新もぐら伝 ~狼~第8回

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 鎌田希美(かまたのぞみ)の実家は岡山県高梁(たかはし)市にあった。
 高梁市は岡山県の西中央に位置し、広島県との境にあり、備中松山(びっちゅうまつやま)城の城下町として知られる。
 高梁川沿いを北上するJR伯備(はくび)線は秘境を旅するような情緒があり、古(いにしえ)の城下町風情を味わえる。
 また、高梁川の鮎(あゆ)やピオーネというブドウも有名で、近年では観光地としても栄えてきている。
 東京から新幹線と在来線を乗り継いで、四時間強。益尾(ますお)と真昌(しんしょう)が備中高梁駅に着いた頃には、陽が傾きかけていた。
 階段を上がって改札を出ると、二人は西口へ歩いた。
 備中高梁駅の西口は城見通り口と呼ばれていて、北へ二百メートルほど歩くと、備中松山城が望める。東口は寺巡り口という名称で、文字通り、駅の東側には多くの寺社仏閣が点在していた。
「きれいな駅ですね」
 真昌は開けたエントランスに出て、辺りを見回した。
 ガラス張りの駅舎は複合施設となっていて、図書館やコーヒー店、観光案内所がある。
「どうします? ホテルに行きますか?」
 真昌が訊く。
 益尾は腕時計を見た。午後四時を回ったところだった。
「先に一度、家を訪ねてみよう」
 益尾は言い、スマートフォンを出した。メモしておいた鎌田希美の実家の住所を入れ、検索をかける。
「歩いて十分ちょっとだな。一階にコインロッカーがあるから、荷物を預けて行ってみよう」
「わかりました。預けてきます!」
 真昌は益尾のバッグを取って、速足で西口の階段を下りていった。
「急がなくていいよ」
 益尾は苦笑し、風景を眺めつつ、ゆっくりと階段を下りた。
 高梁川の水の香りに周りを囲む山々の木々の香りが混ざり合ってほんのりと漂い、のどかで心地いい。
 ロッカーに荷物を預けた真昌が駆け戻ってきた。
「どっちですか」
 真昌は左右を見回した。
「あわてるなって。ここは初めてか?」
「はい」
「僕も初めてだ。初めての場所に来た時、被疑者の検挙に向かっている時以外は、努めてゆっくりと歩き、周りをよく見ること。駅周辺に何があるか、人は多いか少ないか、年齢層や男女比はどうか、オフィスが多いか、田畑が目立つか、ビルやマンションが建ち並んでいるか、一軒家が多いのか、新築か古民家か、観光地かベッドタウンか昔からの集落か。所属する都道府県の担当範囲以外はしょっちゅう来るわけじゃないから、来た時によく見ておく。その癖をつけておくこと」
「わかりました」
 真昌の返事に、益尾はうなずいた。
「というわけで、歩こう。こっちだ」
 益尾は県道196号線を西に向かって歩き始めた。真昌も続く。
 レンガ敷きの歩道沿いに店はあるものの、そのほとんどが閉まっている。
「益尾さん、ここ観光地ですよね。なんか、店は閉まってるし、人もいないし、車も少ないし......」
 真昌はきょろきょろと周りを見ながらつぶやいた。
「観光地は駅から北に進む方だね。そっち側には武家屋敷や備中松山城がある。このあたりは、生活場なんだろうな」
 銀行や理容店などもあるが、外壁は錆(さ)びて雨染みのある古い建物が多い。左右に延びる路地の奥には、古い家が並んでいた。
 地方の観光地にはよく見られる光景だ。華やかな観光用のメイン通りは建物もきれいに改築され、新しい土産物店や飲食店が並ぶが、そこから外れた地域は昔ながらの街並みがそのまま残っている。
 昔ながらの場所は、賑わいから取り残されたように、かつての活気をしまい込んで、静かに寂びる。
 一方でその静けさは悠久の時を思わせ、疲れた心を癒してくれることもある。
 そのまま県道を進み、国道313号線を横断して高梁大橋に出ると、ゆったりと流れる高梁川のせせらぎが聞こえてきて、視界には連なる里山が広がった。
 古き良き日本の風景を思わせるその光景に、二人は思わず、ほおっと息をついた。
「いいところですね。沖縄にも山はあるけど、こんなにゆったりというか、ふんわりとした空気は感じたことないです」
「ふんわり、ね」
 益尾はつい笑ってしまったが、言い得て妙だった。
 深緑に覆われた里山は、何頭もの象が緑色の毛布をかぶって穏やかに休んでいるように映る。
 毛布の切れ端が街の建物の端にかかっている。その様はまさに〝ふんわり〟と表現できる。
「詩人だな、真昌は」
「感じたままを言ってみただけです。もうちょっと語彙力があればいいんだけど」
 真昌は照れ笑いを浮かべた。
 橋を渡り、県道302号に突き当たり、そこを左へ進む。ずいぶんと山が迫る。
 二人は山肌に沿った脇道を上がっていく。ぐねぐねとうねる道の脇には整地された平地がぽつりぽつりと現われ、家や田畑があった。
 たまにすれ違う人は、高齢の人が多かった。作業着を着ているところから見て、農作業をしている高齢者たちなのだろう。若い人は見かけない。
「この坂を上るのは一苦労ですね」
 真昌は上体を倒して、急な坂道を歩いた。
「本当だね。このへんで暮らしている人たちは足腰が強いんだろうな」
 益尾はうねる坂道の三回目のカーブを曲がった先にある家の前で立ち止まった。駐車スペースに立てた塀にある表札を見た。
〝鎌田〟とある。
「ここだな」
 真昌を見やる。真昌は益尾に駆け寄り、背筋を伸ばして大きく呼吸をした。ハンカチを出して、額や頬、首筋の汗を拭う。
 改めて、家を見る。駐車スペースの右手に瓦の付いた白い壁が長々と伸びている。その奥に平屋建ての家屋が二棟建てられている。左側には蔵もあり、その奥の高台には三基の墓が建てられていた。
「デカい家ですねえ」
「そうだね。鎌田希美の曾祖父はこのあたりの山を持っていたそうだから、名家なのかもしれないな。行くぞ」
 益尾が先に入っていった。真昌はポケットにハンカチをしまいながら後を追った。
 益尾は敷地の左にある母屋のインターホンを押した。二度、三度と鳴らすが、誰も出てくる気配がない。
「留守ですかね?」
「そのようだな」
 益尾が右の平屋に向く。と、坂を上がってきた老婆が敷地に入ってきた。
「あんたら、誰じゃ?」
 突然、声をかけられ、真昌はびくっとして振り返った。
 背を丸めた小柄な老婆だった。モンペを穿き、上はブラウスにヤッケを着て、足元は長靴といった昔ながらの農作業女性のスタイルだった。
 老婆は被っていた日よけ帽子のつばを上げ、益尾と真昌を睨(にら)んだ。
 益尾はゆっくりと歩み寄った。
「警視庁の益尾と申します」
 上着の内ポケットから身分証を出し、老婆に見せた。
「鎌田希美さんのご両親にお会いしたくて来たのですが。こちらの方ですか?」
「信彦(のぶひこ)夫婦は帰ってこんよ」
 老婆は不愛想に言うと、益尾の脇を抜けて右の平屋へ歩いていく。
 益尾と真昌が追った。
「希美さんのおばあさまですか?」
 真昌が訊いた。
 老婆は答えず、平屋に歩き、引き戸を引いた。戸を閉めようとする。益尾が手をかけた。
「希美さんについて、少し聞かせていただきたいのです。お孫さんの命にも関わりかねないことなので」
 益尾はまっすぐ老婆を見つめた。
 老婆はじっと益尾を見返していたが、背を向けた。
「入られえ」
 そう言って、玄関を上がる。
 益尾は真昌を見て、うなずいた。
「失礼します」
 一礼して、中へ入る。真昌も入った。戸を閉める。
 益尾と真昌が靴を脱いで上がったのを見ると、老婆は促すように歩きだした。
 広い家だった。玄関から左に延びる庭に面した廊下を進む。ふすまや障子戸があり、畳敷きの部屋が続く。古い日本家屋の造りだ。
 左手に見える庭には様々な木々が植えられている。こまめに整えているようで、鬱蒼(うっそう)としているように見えて、枝葉は適度にカットされ、雑草は刈られていた。
 一番奥の畳部屋に案内された。障子戸を開けると、猫足の立派な卓が置かれていた。座椅子もある。
「どうぞ」
 老婆は入るように促した。
 二人は頭を下げ、部屋に上がった。立派な応接室だった。
 手前に正座して並ぶ。真昌は部屋を見回した。床の間には山水画の掛け軸が飾られ、小棚には壺や皿が置かれている。隣の部屋との襖(ふすま)上に模様を刳(く)り抜いた板が貼られていた。
「あれ、珍しいですね」
 真昌に言われ、益尾は襖の上を見上げた。
「ああ、あれは欄間(らんま)と言うんだよ」
「ランマ、ですか?」
「そう。日本の伝統的な建具だね。ああいうふうに、天井と鴨居の間を飾るんだよ。今、欄間のある家はあまりないな。しかも、型抜きみたいに彫っているだろう? あれは透かし彫り欄間といって、欄間の中でも珍しいものだ」
「へえ、そんなのがあるんですねえ。あれ、牛ですよね。牛と城って、おもしろい組み合わせですね」
 話していると、障子戸が開いた。
「あの欄間は、臥牛山(がぎゅうざん)と備中松山城を描いとるんじゃ」
 老婆が入ってきた。盆に急須と湯飲みを載せている。
 老婆はいったん中へ入って盆を置き、両膝をついて障子戸を閉めた。もう一度立ち上がって、益尾の右斜め横に膝をつく。
 盆に載せた急須から茶を注ぎ、両腕を伸ばして、真昌と益尾の前に湯飲みを置いた。
「城のある山は、地元じゃ〝おしろやま〟と呼んどる。臥牛山は、年老いた牛が草の上で伏せて寝とるように見えるんで老牛伏草山(ろうぎゅうふくそうざん)とも呼ばれとる。まるで、わしらのようじゃな」
「お元気じゃないですか」
 真昌が言う。
「必死に生きよるだけじゃ。年寄りは行くとこねえから」
 老婆の言葉はどこか自虐的だ。
「失礼ですが、希美さんのお祖母さまですか?」
 益尾が改めて訊く。老婆はうなずいた。
「お隣は、希美さんのご両親の家ですか?」
「そうじゃ」
「先ほど、信彦夫婦は帰ってこないとおっしゃっていましたが、息子さん夫婦のことですか?」
「そうじゃ」
「よろしければ、理由を聞かせていただけますか?」
 益尾が丁寧な口調で訊ねる。
「初対面の人に話すことじゃねえけどな。まあ、いいじゃろ」
 老婆は自分の湯飲みを取って両手で包み、お茶を一口飲んだ。
「うちは代々公務員の家でな。じいさんも国鉄の職員じゃった。信彦と嫁は二人とも教師で、親戚も教師やら役所勤めが多い。希美も教師になりたいと大学に進学する予定じゃったんじゃがな。信彦が女を作って、揉めて、教師を辞めることになった」
 老婆はため息をつき、お茶を啜った。
「相手も妻子持ちじゃったけんな。まあ、えらい騒ぎになってしもて。退職金は慰謝料で持ってかれて、嫁までここにはいられんようになった」
「奥さんも教師を辞めたということですか?」
「そうなろうが。あんごーがおえりゃあせんことしたんじゃけん。おられるわけなかろうが!」
 老婆は方言で語気を強めて言い放った。怒っているようだが、何を言っているのか、益尾も真昌もわからなかった。
 きょとんとしていると、老婆はふっと微笑んだ。
「すまんな。つい方言でしゃべってしもた。馬鹿者がダメなことをしたのだから、ここにいられるわけがないと言ったんじゃ」
 ふうっと息をつく。
「信彦と嫁は離婚はしとらんが、今は別居しとって、別々の場所で働いて暮らしとる。嫁は希美について来いと言ったんじゃけどな。希美はどっちにもつかんとここにおって、通いよった高校を卒業して、自力で大学に行った。ほんと、希美が不憫(ふびん)じゃ」
 老婆はまたお茶を飲んで、話を続けた。
「わしもできるだけのことはしちゃったんじゃけど、資金面は面倒見てやれんでな。希美は学費が払えんで大学を辞めた。ここを売り払ってもよかったんじゃが、ご先祖さんの残した土地じゃけんのお。わしの一存ではどうにもならず、親戚連中からはえろう反対されたんじゃ。あげな、やっちもねえ家族の面倒なんか見んでええってな」
 やっちもねえは、バカバカしいとかしょうもないという意味だと、老婆は言った。
「そうでしたか......。希美さんは、大学を辞めた後、どうされたんですか?」
「専門学校に行ったと聞いたが、どこかは知らんのじゃ。わしに迷惑かけたくなかったんじゃろうな。親戚と揉めたことを知っとったけん」
「その後、希美さんから連絡は?」
 益尾が訊くと、老婆は顔を小さく横に振った。そして、益尾を見やる。
「刑事さん、希美に何があったんかのお?」
 しわしわの小さな目を開いて、益尾を見つめる。心配そうだ。
 益尾は微笑んで見せた。
「ちょっと事件がありまして、その現場を目撃したようなんです。なので、話を聞きたいのと、その事件の犯人がまだ捕まっていないので、万が一のことを考えて保護したいだけです」
「無事なんか、希美は?」
「今のところ、大丈夫そうです。だから、今のうちに早く見つけてあげたい」
 益尾は言うと、ポケットから名刺を出した。
「もし、希美さんから連絡があれば、僕の携帯番号に連絡をください。心配でしたら、署に連絡をくれてもかまいません。部下には伝えておきますので」
 机に置いて差し出すと、老婆は名刺を両手で握りしめた。
「事情を話してくださって、ありがとうございます。この後、希美さんの親戚にも当たってみようと思っていたんですが、そういう事情なら、我々が顔を出さないほうがよさそうですね。親戚の誰かから、希美さんに関する情報が入ったら、連絡をください」
 益尾が言うと、老女は首肯(しゅこう)した。
「それと、信彦さんと奥さんの住まわれている住所を教えていただけますか? どちらかに連絡を取っているかもしれませんから」
「ちょっと待っとられえね」
 老女は立ち上がり、襖を開けて隣の部屋へ行った。電話台がある。その横の柱にかけた電話帳を取り、広告を切ったメモを持って戻ってきた。
 眼鏡をかけて電話帳を広げ、信彦と奥さんの住所と電話番号を書いて、益尾に差し出した。
「早く希美を見つけてやってください」
「任せてください」
 益尾は力強くうなずき、メモを受け取った。
 お茶を飲み干し、益尾と真昌は家を出た。老婆は玄関先まで来たが、表に出て見送ることはなく、引き戸を閉めた。
 来た道を戻る。山々は暮れなずみ、ほんのり茜色に染まろうとしている。
「よく話してくれましたね、おばあ」
 真昌が言う。
「どうしてだと思う?」
 益尾が訊ねた。
「孫が心配だったからですか?」
「それも一つある。もう一つは、僕たちがまったくの第三者だからだ」
 益尾が言うと、真昌は小さく首をかしげた。
 益尾は微笑んだ。
「両親が街を出なければならないほどのスキャンダルだ。おばあさんの心労も相当なものだっただろう。しかし、そこかしこで話すわけにもいかない。ずいぶんと溜め込んでいたんだと思う。そういう思いを吐く時は、関係のない第三者の方が楽なんだよ」
「ああ、そうですね。家族とか友達に聞かれたくない話を、飲み屋なんかでしゃべって帰るオヤジとかいますもんね」
「それと同じ。さらに、僕たちが警察官だったということもある。鎌田家は代々公務員だと言っていただろう? だから、公務員には信頼があるんだ」
「なるほど。逆に公務員を毛嫌いしている人だったら、聞き出すのは難しかったということですね」
「そういうこと。せっかく話してくれたんだ。無駄にしないようにしよう」
「はい」
 真昌が強く首肯する。
「今日はホテルでゆっくり休もう。明日はまた動くからな」
 益尾はメモを入れた上着の横ポケットをポンと叩いた。

新もぐら伝 ~狼~

Synopsisあらすじ

伝説のトラブルシューター「もぐら」影野竜司の血を引く竜星は、自らを見つめ直す旅に出た。

だがその後ふいに消息を絶ち、安否不明となっていた。

同じ頃、裏社会ではある噂が知られるようになる。

リュカントロプル(狼男)が違法売春組織を襲撃、

構成員を半殺しにし、女性を掠っていくという――。



最強のハードバイオレンス・アクション

新たなる「もぐら」伝説、ここに開幕!

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が120万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『死してなお』『紅い塔』『AIO民間刑務所』などがある。

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