新もぐら伝 ~狼~第1回
プロローグ
内間孝行(うちまたかゆき)は大分刑務所の正門前にレンタルしたミニバンで乗り付けていた。車を降りて、門の方を見つめている。
隣には渡久地泰(とくちやすし)がいた。かつて、沖縄で悪さばかりしていた泰も、今はすっかり更生し、福岡市内でソーシャルワーカーをしながら社会福祉士の資格取得を目指して、勉強をしている。
格好も粋がったものではなく、ジーンズにジャケット、髪型もサラサラのストレートヘアで、爽やかな大学生か若手サラリーマンのようだった。
「まだですかね」
泰も正門の方を見やる。
と、奥の方から話し声が聞こえてきた。詰所のドアが開き、丸坊主の男と看守が出てくる。
「お世話になりました」
丸坊主の男が深々と頭を下げた。
看守はうなずき、声をかけた。
「おまえは大丈夫だと思うが、一般社会に戻れば、様々な誘惑に見舞われる。自分をしっかり持って、二度と過去に戻らないよう、がんばれ」
「そのつもりです」
男は笑顔を見せた。
「彼らは大丈夫だな?」
看守が男の背後に目を向けた。
男は振り向いた。そして再び、笑みを覗かせる。
「一人は俺の大事な後輩、もう一人は俺の大事な弟。二人とも、前を向いて自分の人生を切り開いている者たちです」
「そうか。なら、問題ないな」
「問題ないどころか、これから共に歩む大切な仲間です。助け合いながら、進むつもりです」
男の言葉に、看守が深くうなずいた。
男はもう一度、深々と一礼し、振り返った。
「巌(いわお)さん!」
内間が右腕を大きく上げて、振った。
出てきたのは渡久地三兄弟の長男、渡久地巌だった。
巌は違法賭博の管理や放火、敵対する組の構成員への暴力行為などで、禁固七年の実刑を言い渡され、服役していた。
そして今日、刑期を終え、出所となった。巌は仮釈放対象となり、審査が行なわれたが、面接で仮釈放を断わった。
自分が犯した罪をきっちりと清算する。それが真の更生には最も必要だと自認していたからだ。
同じ房にいた受刑者からはあれやこれやと言われたが、巌は気にすることなく、刑務作業に真面目に取り組み、自由時間は読書と体づくりに努めた。
巌はジーンズにポロシャツといったラフな格好をしていた。胸板は厚く、袖から覗く二の腕は筋張って太い。ジーンズに包んだ臀部(でんぶ)や太腿(ふともも)も太く、生地を押し上げている。
収監された七年前より、一回り大きくなっていた。
巌は持ち物を詰めたスポーツバッグを右手に持ち、車に近づいてきた。
「でけえ声で呼ぶなよ。恥ずかしいだろうが」
内間を見て、苦笑する。
「何、言ってんですか! めでたいんだから、喜びますよ!」
内間が駆け寄り、バッグを取ろうとする。
巌が手を放す。と、内間の腰が折れた。バッグが地面に落ち、ドスッと音を立てた。
「めちゃめちゃ重いじゃないですか! 何が入ってるんですか?」
「本だ。手元に持っておきたい本を詰めてきた。しかし、数が多かったんで、他は中に寄付してきた。それ、おまえが車の中に入れろよ」
巌が言う。
内間は両手でハンドルを持ち、必死に持ち上げ、ミニバンのトランクに荷物を載せる。
巌は内間に向けていた顔を泰に向けた。
「元気そうだな」
微笑(ほほえ)みかける。
「兄さんこそ。とても刑務所にいた人間とは思えない」
泰は笑った。
「兄さんか。島言葉はやめたのか?」
巌が訊く。
「今は福岡におるけんな。島言葉は通じないんで、自然と使わなくなった」
「そうか。がんばってるんだな。社会福祉士の資格は取れそうか?」
「難しいけど、がんばるよ。飯島(いいじま)先生も応援してくれてるし」
泰が言う。
巌は目を細めて、強くうなずいた。
「二人とも、乗って乗って!」
内間は運転席に乗り込み、声をかけた。
泰が後部のスライドドアを開けた。巌が乗り込む。泰も隣に座った。
ドアが閉まると、車がゆっくりと走りだした。
「巌さん、湯布院(ゆふいん)の温泉旅館を取ってあるんですけど、そこでいいですか?」
内間がバックミラーで後ろを見て、話しかける。
「そんなことしてくれなくてもいい。空港まで送ってくれ」
「まあ、そう言わずに。長い務めで疲れた心身を癒してもらいたいって、泰が用意したんですから」
「泰が?」
隣を見る。
「俺も給料もらえる身になったからさ。少しだけ、兄さん孝行しようかと思って」
「俺も、巌さんには世話になったんで、ちょっとですが、出させてもらいました」
内間が言う。
「ちょっとって......。タクシー業界も厳しいだろう」
「あ、俺、タクシー会社は辞めたんですよ」
「何やってんだ?」
「安達(あだち)の姐(あね)さん、覚えてますか? 竜星(りゅうせい)の母ちゃん」
「ああ。会ったことはないが」
「姐さんが働いてる会社が人材派遣部門を作りましてね。そこに調査部を作るんで、来ないかと誘ってくれたんですよ」
「ほう、調査部か。何を調べるんだ?」
「派遣登録したヤツの身辺調査が主です。あと、派遣先企業のことを調べることもあります。いい加減なヤツを送り込んだり、いい加減な企業に派遣したりすれば、信用に関わりますからね」
「なるほどな。いい仕事もらったじゃないか」
「ほんと、安達の姐さんと、後押ししてくれた楢山(ならやま)さんには感謝してます」
「楢山さん? 楢山さんは竜星の母親と結婚して、苗字変わったんじゃないのか?」
「そうなんですけど、今さら安達さんと呼ぶのもなんかしっくりこないんで、みんなそのまま楢山さんとか楢さんって呼んでるんですよ」
「それもそうか」
巌は笑った。
「兄さん、これからどうするん?」
泰が訊いた。
「二、三、考えちゃいるが、まだこれと決めたわけじゃない。一度、島に戻って、ゆっくり考えようかと思ってる」
「そうか。急ぐことはないよな」
泰が微笑む。
「剛(つよし)は?」
巌が泰に訊く。泰は少し顔を曇らせた。
「今はもうしゃべることもできなくなった。起きることもなく、俺の呼びかけにも反応しなくなってる」
「そうか......」
「でも、兄貴はこれでよかったのかもしれない」
泰は少しうつむいて、言葉を紡ぐ。
「兄貴が正気に戻れば、あの性格だからまた竜星を付け狙うかもしれない。島には、兄貴を持ち上げて、渡久地の名前で悪さしようってのがまだ残ってる。そんな連中に巻かれるよりは、今のまま静かに眠っている方が幸せかもしれない」
話しながら、顔を上げて巌を見る。
「剛にーにー、いい顔してんだよ」
泰は笑みを覗かせた。
「どんな夢見てんのか知らねえけど、うっすらと笑ってて、すごく穏やかな顔をしてて。あんな顔の剛にーにー、見たことないし」
泰の目にうっすらと涙がにじむ。
巌は泰の肩を抱いた。
「いつか、しっかり目を覚ましたら、別人になってるかもしれないな。それまで、見守ってやろう。俺たち兄弟で」
言うと、泰は強くうなずいた。
「そういえば、竜星はどうしてる? 旅に出たと聞いてたが、帰ってきたのか?」
内間に声をかけた。
内間が顔を曇らせた様子が、バックミラーに映る。隣を見ると、泰も深くうつむいていた。
「なんだ? 何かあったのか?」
巌が内間と泰を交互に見やる。
内間が口を開いた。
「竜星......行方不明なんですよ」
予想もしなかった返答に、巌は声を失った。
Synopsisあらすじ
伝説のトラブルシューター「もぐら」影野竜司の血を引く竜星は、自らを見つめ直す旅に出た。
だがその後ふいに消息を絶ち、安否不明となっていた。
同じ頃、裏社会ではある噂が知られるようになる。
リュカントロプル(狼男)が違法売春組織を襲撃、
構成員を半殺しにし、女性を掠っていくという――。
最強のハードバイオレンス・アクション
新たなる「もぐら」伝説、ここに開幕!
Profile著者紹介
1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が120万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『死してなお』『紅い塔』『AIO民間刑務所』などがある。
Newest issue最新話
- 第9回2025.01.13