新もぐら伝 ~狼~第4回
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逮捕者からの事情聴取を終えた真昌(しんしょう)は、益尾(ますお)と共に本庁を出た。
タクシーで新橋に向かう。益尾が食事に誘ってくれた。
「お疲れさん。外国人の取り調べはどうだった?」
益尾が話しかける。
「やりにくいですね。通訳を入れても、都合の悪いところはすっとぼけるし、わけのわからないところで喚きたてるし。スマホを手元に置いて、自動翻訳もしていたんですけど、とても追いつかなくて」
真昌はため息をついた。
「そうだね。通訳要員の不足は、以前から問題になっている。特に、アジア圏の通訳者不足は深刻だ」
益尾の口からもため息がこぼれる。
来日外国人の増加に伴い、彼らに関わる犯罪捜査において、様々な問題点が浮上していた。
通訳は、英語や中国語については必要な要員を確保できるが、タガログ語やウルドゥー語などのアジア圏の通訳者は圧倒的に不足している。
その国や宗教上の慣習がわからず、無用に彼らを怒らせ、取り調べに支障をきたすこともある。
身元確認についても、そもそも戸籍制度が整っていない国も多く、押収した旅券が偽造だった場合、本名や所在がわからないといった事態に直面することもある。
指紋照合で本人だと判明することもあるが、偽造旅券が複数あったり、本国でも多数の名前を使っていたりして、どれが本名なのかわからないこともある。
また、近年では、外国人犯罪者が犯行後まもなく、国外逃亡する事案も増えていた。
今回のように、国内で組織の幹部をまとめて検挙できる事例はめずらしい。
「外国人犯罪については、法改正も含めて、抜本的な対策が必要だね」
益尾は運転席のヘッドレストを見つめた。
真昌も深く首肯(しゅこう)した。沖縄もインバウンドの観光客が増え、他人ごとではなくなっている。
「やっぱ、英語ぐらいはできないとダメかなあ......」
真昌がぼそりと言う。
「ダメということはないけど、できたほうがいいだろうね。まあ、僕も人に自慢できるほど話せるわけでもないから、結局のところ、通訳さんを頼ってしまうんだけどな。話せないまでも、相手の話を理解するには役に立つ」
「英語なあ......」
真昌はため息をついた。
「無理することはないよ」
益尾は笑って、話を続ける。
「ただ、真昌はまだ耳がいいだろうから、勉強するなら早い方がいい」
「耳ですか?」
真昌が益尾を見る。益尾はうなずいた。
「英語だけでなく、言語を取得するとき、ポイントとなるのは耳だ。外国語は母音が細かくて、日本人には聞き取りにくい音もあるからね。それが聞き取れるうちに学んだ方が上達する」
話していると、タクシーが目的地に到着した。真昌が先に降り、続いて益尾が料金を払って降りてきた。
真昌は歩道の隅に立って、益尾を待っていた。
「なんで、そんな端っこにいるんだ?」
益尾が見やる。
「人が多くて」
歩道を見渡して、苦笑する。
「慣れないと、そうだろうな」
益尾は歩道を横切り、地下への階段を下りていく。真昌もついていった。
狭い階段を降りると、引き戸があった。益尾が顔を覗かせる。
「いらっしゃい。ああ、益尾さん」
出迎えた中年女性が笑顔を見せる。
「奥の個室にどうぞ」
女性が言う。
益尾は慣れた様子で、カウンターの後ろを通り、右奥へ進む。
真昌は女性に会釈して、益尾に続いた。益尾は小上がりで止まった。
「先に入って。靴はそのままでいいから」
益尾が言う。
真昌は革靴を脱いで、引き戸を開けた。
と、いきなり声が飛んできた。
「おそーい!」
真昌はドキッとして、小上がりを上がったところで突っ立った。
「あ、木乃花(このは)ちゃん!」
真昌の顔が赤くなる。
隣には愛理(あいり)もいる。
「こんばんは」
「ご無沙汰してます」
真昌が頭を下げる。
益尾が入ってきた。
「ごめんごめん。二人が真昌に会いたいって言うんで呼んだんだが、せっかくだからサプライズにしようと木乃花が言うものでね」
「サプライズだったでしょ?」
木乃花が満面の笑顔を向ける。
「そうだね」
真昌はますます赤くなってうつむいた。
益尾と愛理は見合って微笑んだ。
益尾が奥の席に進む。真昌は木乃花の前に座った。
ワンピース姿の木乃花は、背筋をピンと伸ばして座っていた。ロングの黒髪をポニーテールで束ねている。顎先はシュッとしていて、眉や目元がきりっとしている。シャープな顔立ちは愛理にそっくりだった。
木乃花と最後に会ったのは、四年前。中学の卒業祝いに、益尾が家族で沖縄へ旅行に来た時だった。
真昌はちょうど刑事部に配属されたばかりで忙しかったが、一日だけ、内間(うちま)の運転で紗由美(さゆみ)と楢山(ならやま)も一緒に沖縄美(ちゅ)ら海(うみ)水族館に出かけた。
その頃からすでにすらりと背が高く大人びていたが、大学生となった木乃花は、さらに大人になり、美しさに磨きがかかっていた。
「真昌君、巡査部長になったんだってね。パパがすごいことだって言ってたよ」
「いや、別に、試験に受かればいいだけだし」
照れて、肩を竦(すく)め小さくなる。
「いやいや、すごいぞ。二十五歳で受かったんだからね。キャリアでも平均は二十六歳。受験資格があるとはいうものの、ノンキャリアでそれを上回る年齢で合格する者はなかなかいない」
「沖縄県警のホープね」
愛理が目を細める。
「いや、ホープとかそんなんじゃなくて......」
ますます小さくなる。
「もう、真昌君、相変わらずかわいいなあ」
木乃花がからかう。
「こら。年上の人にかわいいとか言わないの」
愛理が木乃花に言った。
「ごめんなさーい」
木乃花は両肩を上げて、すまし顔をする。
「腹減ったな。ビールでいいか?」
益尾が真昌に訊いた。真昌はうなずいた。
木乃花が大声でビールを頼む。中年女性が引き戸を開けた。
「もう始めてもよろしいですか?」
「お願いします」
益尾が言う。
「コースを頼んでいたんだが、いいね?」
真昌に訊く。
「はい」
首を縦に振る。そして、室内を見回した。
大人が六人も入ればいっぱいの小ぢんまりとした和室だったが、飾られた花や壁に掛けられた小さな日本画がさりげなく室内を彩り、趣(おもむき)のある落ち着いた風情を演出している。
玄関の方にはカウンター席があり、それなりに客もいたが、そちらの声もほとんど聞こえず、静寂なプライベート空間となっていた。
「どうした?」
益尾が訊く。
「いや、こんなところでメシ食ったことがないんで......」
「緊張してるの?」
木乃花がからかうようにニヤリとする。
「島にはこんなところないからさー。いや、あるんだろうけど、俺みたいなのにはあまり縁がなくて」
「つまんないなあ、食べに行くところがないとか」
「そういうわけじゃないさ。おいしいところはいっぱいある。おばあの食堂だったり、地元の居酒屋だったり。地元の居酒屋は、壁に蛇口がついていて、そこから泡盛飲み放題のところもあるんだよ」
「うそ! 行ってみたい、それ!」
木乃花が目を輝かせる。
「二十歳過ぎたら連れて行ってもらいなよ、真昌君に」
愛理が言う。
「そうする! いいよね、真昌君」
木乃花が首を傾ける。
「ああ......俺はいつでも」
照れてうつむいた。それを見て、益尾と愛理が目を細めた。
「そういえば、木乃花ちゃんは大学生だったよね。どう?」
真昌は視線を感じて、話題を変えた。
木乃花はこの春、東京の有名私立大学に入学した。女子大生生活を謳歌しているもの......と思っていたが。
木乃花はため息をついた。
「つまんない」
「どうして?」
思わず聞き返す。
「何しに来たんだろうって人が多くて。授業では寝てる人とかおしゃべりしている人もいて、そういう人に限って、サークル活動とかカフェ巡りばかりしてて。毎日、遊びに来てるんですか? って感じの人ばっか」
「大学生って、そういうもんじゃないの?」
真昌はつい口走った。
「私は違うよ」
木乃花が睨んだ。美形なだけに、睨まれると少々怖い。
「あ、ごめん......」
真昌は肩をすぼめて、小さくなった。
「そういう学生が多いのも事実だ」
益尾が言う。
「そうね。けど、この頃は目的意識を持った学生も増えているのよ。ただ、そうした学生は海外の大学に進学したり留学したりする子が多いね」
愛理が言った。
「そうなの。私の高校の時の友達もみんな海外に行っちゃった。だから、私も本当は海外の大学に行きたかったんだけど」
「あんたは、英語力が足りなかったから行けなかったんでしょう?」
愛理が静かに見据える。
「それはそうだけど......」
木乃花はしゅんとした。
「でも、すごいよ、木乃花ちゃん。外国へ行こうって気があるんだから。俺なんか、考えたこともないし、正直、ビビる」
真昌は笑った。
「ビビるって、どういうことよー」
「英語でしゃべられると、宇宙人に遭ったみたいでなあ」
「ひどーい!」
木乃花も笑う。
「けど、いつかは行けるんじゃないかな、木乃花ちゃんだったら。友達が先に行ってるからって、焦ることないよ。先に行ってるから偉いわけじゃなくて、向こうに行って、何を学んで、何を見つけてくるかだろ? 機会を得た時に、それをモノにすればいいだけだからさ」
真昌が木乃花を見つめて微笑(ほほえ)む。
「そうだね。真昌君に言われると、そんな気がしてくる。ありがとう」
木乃花に言われ、真昌はまた少し照れた。
ビールやジュースで乾杯をして、運ばれてきた料理に舌鼓(したつづみ)を打ち、談笑する。東京で緊張しっぱなしの真昌にとって、ホッと息を付ける時間だった。
「そういえば、木乃花ちゃん。ワーキングホリデーに行きたいとか言ってなかった?」
真昌が思い出したように訊く。
「ああ、あれ、やめたの」
木乃花はあっさりと返し、お造りを口に運んだ。
「やめたって?」
「ワーホリいいなあと思ってたんだけど、実際に行った友達が仕事見つからなくて帰ってきたり、エージェントにぼったくられたりって話がいっぱいあったから、やめとこうと思って」
「私たちも説得したのよ。やめときなさいって」
愛理が言う。
益尾が真昌を見やった。
「真昌もいろいろ聞いているだろう? ワーキングホリデーに関するトラブルは」
「そうですね。島にも国内のワーホリがあるんですけど、思っていた仕事と違うとか、給料が少ないとか、よく揉めてますよ。おばちゃんのところでもそういうトラブルがあるみたいです」
「紗由美さんのところで?」
「ワーホリの人を雇うこともあるみたいなんだけど、コールセンターは大変ですからね。こんな仕事できないって、文句言ってやめていくそうです」
真昌が苦笑する。
「紗由美さんも大変ねえ」
愛理がため息をつく。
「おばちゃんは人材派遣の方が忙しいから、コールセンターの方は任せているらしいんですけど、後輩が何かと相談に来るそうです」
「紗由美さんは面倒見いいから」
愛理が微笑んだ。
「それとさあ。ちょっと怖い話も聞いたんだ」
木乃花がジュースを口にした。ひと息ついて、話を続ける。
「友達の友達の話みたいなんだけど。その子、激安のワーホリエージェントでシンガポールに行こうとしてたんだけど、出発前日にそのエージェントが消えたらしいの」
「消えた?」
真昌が手を止めて、木乃花を見やる。
木乃花はうなずいた。
「噂では、狼に襲われたって」
「狼?」
真昌は首をかしげた。
「私も詳しいことはわからないんだけど、なんでもそのエージェント、自分のところから派遣した人たちに現地で怪しい仕事をさせてたみたいなの。まあまあ、私たちの間では有名な会社だったんで驚いたけど、普通の登録エージェントに見せかけたそういうところもあるらしくて。おかげでその友達の友達は助かったんだけどね」
「狼って、なんなんだよ」
真昌が言う。
「都市伝説みたいなものだと思うけど、なんか他にもいきなり潰れた会社がいくつかあるって聞いているし。で、やっぱり、留学するならちゃんとしたエージェントで行こうと思って」
愛理と益尾を交互に見やる。
「行かせてあげたいけど、うちもそんなに余裕あるわけじゃないから。どうしても行きたいっていうなら、給付型の奨学金を取りなさい」
愛理がびしっと言う。
「わかってます!」
木乃花はふくれっ面で、真薯(しんじょ)を丸ごと口に放り込んだ。
真昌は、益尾と目を合わせて笑った。と、益尾が小さくうなずいた。
真昌は理由がわからなかったが、同じように返した。
Synopsisあらすじ
伝説のトラブルシューター「もぐら」影野竜司の血を引く竜星は、自らを見つめ直す旅に出た。
だがその後ふいに消息を絶ち、安否不明となっていた。
同じ頃、裏社会ではある噂が知られるようになる。
リュカントロプル(狼男)が違法売春組織を襲撃、
構成員を半殺しにし、女性を掠っていくという――。
最強のハードバイオレンス・アクション
新たなる「もぐら」伝説、ここに開幕!
Profile著者紹介
1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が120万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『死してなお』『紅い塔』『AIO民間刑務所』などがある。
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- 第9回2025.01.13