ブラック・ムーン最終回


 二月六日、火曜日。
 ブラック・ムーンら三人は日没直後、まだ空にたそがれの色が残るあいだに、ダッジ・シティの北西部を望む、小さな丘に到達した。
 このあたりは、南北戦争のあとほとんど白人が姿を消し、コマンチにとって格好の猟場になっていたのだ。
 おもちゃのような小さな町だが、両側に工事中らしい鉄道線路が、延びている。噂によると、この秋口にはカンザス州北東部のアチソンから、ニューメキシコ準州のサンタフェへ延びる鉄道が、ダッジ・シティまで達するらしい。それが一年早まっていたら、この旅もはるかに楽だっただろう、と思う。
 いずれにせよ、鉄道が開通すればダッジ・シティは、アビリーンやウィチタと並んで、間なしに家畜の重要な輸送地点として、栄える町になるだろう。
 しかし、今はまださほど人口の多くない、ただの田舎町にすぎない。
 クリント・ボナーは、もしかするとサモナサをさらった捜索隊、あるいはその一部の者たちがこの町に、残っているかもしれないと言った。
 それは十分に、ありうるだろう。
 コマンチのキャンプを襲ったあと、捜索隊が追跡を振り切ろうと、夜通し走り続けたとするならば、自分たちより少なくとも半日は、先行しているはずだ。このあたりで、一息入れる気分になっても、おかしくない。
 ボナーは、続けて言った。
「あんたもハヤトも、鹿皮服を着たそのいでたちでは、インディアンと間違えられる恐れがある。おれが一人で町へ行って、様子を見てくることにする。ついでに、町の入り口に近い通りにホテルがあれば、部屋を予約してこよう」
 ブラック・ムーンは、すぐに了解した。
 久しぶりに風呂にはいり、ちゃんとした食事をしたかった。
 ボナーが、さらに続ける。
「念のため、合言葉を決めておこう。ここへもどって来たら、おれはブラックと声をかける。そうしたら、あんたはムーンと答える。いいか、あんたが自分で答えるんだぞ、ブラック・ムーン。ハヤトがムーンと答えたら、容赦なくぶっ放すからな」
 ボナーが行ってしまうと、ブラック・ムーンとハヤトは、火をおこした。
 たき火は目につきやすいので、まったく危険がないとは言いきれないが、夜になるとますます冷えてくるから、しかたがない。
 それに、ボナーがもどったときの、目印にもなる。
 皮のコートにくるまって、コーヒーを飲んだ。アビリーンで買った粉だが、一応は本物の豆を挽いたものだった。
 空がすっかり暗くなり、さらにたっぷり一時間が過ぎたにもかかわらず、ボナーはもどって来なかった。
 馬で行けば、片道十分ほどの距離のはずだが、時間がかかりすぎる。
「遅いわね、ボナーは。何をしているのかしら」
 疑いたくはないが、なんとなく不安になる。
 しかしハヤトは、気にも留めないようだった。
「町にサモナサがいたか、何か有力な手掛かりをつかんだか、どちらかだろう」
 それを聞いて、ぎくりとする。
「連中がまだ、このあたりでもたもたしている、と思うの」
「そうは思わないが、ボナーの帰りが遅いのは、それなりの理由があるからだ」
「そうだといいんだけど」
 ブラック・ムーンが応じたとき、近づいてくる蹄の音が聞こえた。
 二人はたき火を離れ、岩陰に身を隠した。
 約束どおり合言葉を交わしてから、ボナーが馬をつないでそばにやって来た。
「ずいぶん、遅かったじゃないの。何があったか、聞かせてちょうだい」
 ブラック・ムーンは、あいたカップにコーヒーを注いで、ボナーに手渡した。
 ボナーは、それを一口飲んで、話し始めた。
「思ったとおりだった。捜索隊の連中は、ダッジ・シティに今朝方着いたが、主力の三人はサモナサを連れて、昼過ぎに出て行ったらしい」
 それを聞いて、胸にぽっと灯がともる。
「ということは、残りの連中はただ人集めで、雇われただけね」
「そのとおりだ。三人は、キャンプ襲撃のために雇った連中に、手間賃を払っておさらばしたわけさ。雇われたのは十三人で、そのうち七人は三人と逆方向の、ウィチタへ向かった。あとの三人は町に残って、町で唯一のサルーン〈ロング・ブランチ〉で、豪遊している最中だ。いずれは、二階の淫売宿で女を相手に、お楽しみという段取りらしい」
 ブラック・ムーンは、ハヤトと顔を見合わせた。
「そんな話を、だれに聞いたの」
 その問いに、ボナーは肩をすくめた。
「当人たちが、酒を飲みながら話していた内容を、おれが背中越しに盗み聞きして、短くまとめただけさ」
 ハヤトが乗り出す。
「主力の三人は別として、雇われた男たちが十三人。そのうち、ウィチタへ行ったのが七人で、ダッジ・シティに残ったのが三人とすると、数が合わないな。あとの三人は、どこへ行ったんだ」
「襲撃のとき、コマンチの戦士にやられたそうだ。町に残った三人の、仲間だったらしい」
 ボナーの返事に、ブラック・ムーンは急き込んで尋ねた。
「雇われた連中は、いくら手当をもらったのかしら」
「連中の話によると、一人あたり百ドルだったそうだ」
 百ドルといえば、ざっとカウボーイの三カ月分の、給料だ。十三人合わせれば、千三百ドルになる。
 最初に、サモナサを連れ去ったザップ、ソルティらの三人組は、報奨金が千五百ドルだと言った。
 だとすれば、今回の捜索隊の主力三人の場合、助っ人料を清算したあと手元に残るのは、死んだ三人分を払わずにすんだとしても、たったの五百ドルにしかならない。それを三人で分けると、一人あたり百七十ドル足らず、という勘定になる。こうした大仕事の場合、常識的にはありえない、はした金だ。
 どう考えても、コマンチを相手に一戦交えるのに、千五百ドルでは安すぎる。
 そもそも、ソルティたちを倒してからすでに、一年半が過ぎているのだ。
 ブラック・ムーンは言った。
「なかなか、サモナサがつかまらないものだから、父親は報奨金の額を上げたに違いないわ。最初は千五百ドルだったけど、今はきっと三千ドル、あるいは五千ドルくらいまで、上げたかもしれない。かりに五千ドルだとしたら、今回の捜索隊が下っ端連中に、一人あたま百ドル払ったところで、主力の三人の手元には少なくとも、三千七百ドル残るわ。きっと、そうよ。父親にすれば、五千ドルや一万ドル程度のお金は、ごみみたいなものだし」
 ハヤトもボナーも、黙って見返すだけだった。
 コーヒーを飲み干して、ボナーがおもむろに口を開く。
「さんざん、連中のおしゃべりを聞いたあと、おれは帰り道で馬に揺られながら、考えた。このチャンスを逃がす手はない、とね」
「何か、いい考えがあるの」
 ブラック・ムーンが乗り出すと、ボナーはいかにも楽しそうな笑みを浮かべ、うなずいてみせた。
 三十分後。
 ブラック・ムーンはハヤト、ボナーと一緒にダッジ・シティへ、馬を走らせた。
 町の北西側の入り口から、中央の広場を横切る工事中の鉄道まで、一番街と表示された通りは、静かだった。しかし広場に出ると、人声やらピアノの音がやかましい、喧噪の渦に巻き込まれた。
 前方に見える線路の南側は、ガス灯がところどころついているものの、数が少ないせいで暗かった。
 そのかわり、赤やピンクの照明がちらほらと、闇に浮かんでいる。どうやら、いかがわしい商売が行なわれる、特別な地区らしい。
 北側の広場に面して、サルーンや酒類販売店、金物店、銃砲店などが、軒を並べている。
 サルーン〈ロング・ブランチ〉は、広場前の通りの左から二軒目にあった。
 中にはいると、かなり奥行きのある広い店で、右側に鏡を背にした、長いカウンターが伸びている。
 その前が広い木の床になっており、いろいろな服を来た男たちがビールや、ウイスキーを立ち飲みしながら、大声でおしゃべりをする姿が見える。中には、騎兵隊の軍服を着た者も、何人かいた。
 ブラック・ムーンは、いくらか気後れを覚えながら、ボナーとハヤトに前後を挟まれて、奥へ進んだ。この種の店へはいるのは、初めてだった。コマンチにさらわれたときは、まだおとなになりきっていなかったし、そうでなくともまともな女がはいる場所ではない、とされていた。
 突き当たりは広いサロンで、壁際にずらりとテーブルと椅子が並び、隅の方では腕カバーをした男が、ピアノを弾いている。
 ボナーが奥を指さしながら、喧噪に負けぬ声で言った。
「あの壁際に、テーブルが一つあいている」
「グラスがあるから、だれかがいるらしいわよ」
 ブラック・ムーンが言うと、ボナーはかまわず続けた。
「かまうものか。もとは、おれがすわっていた席だ。隣のテーブルにいるのが、さっき話した下っ端の三人さ」
 三人とも口髭(くちひげ)を生やした、四十がらみの男たちだ。頭上の壁の帽子掛けに、テンガロンハットとガンベルトが、掛けてある。
「おれが耳にした限りでは、右側の男がマイク・トムスン、左側がビル・ケッチャムで、真ん中の斜めに背を向けているやつが、ジョー・クルスだ」
 人声やピアノの音がうるさく、聞き取るのがやっとだった。ハヤトには、聞こえなかったかもしれない。
 ボナーは、テーブルの上のグラスを床に下ろし、二人に顎(あご)をしゃくった。
「カウンターで、ウイスキー一瓶とグラスを三つ、もらって来てくれ」
 ブラック・ムーンとハヤトは、黙って言われたとおりにした。
 バーテンダーは、ブラック・ムーンを見て女と分かったのか、軽く顎を引いた。
 しかし、ハヤトが後ろの料金表を見て、カウンターに一ドル五十セントを置くと、何も言わずにボトルとグラスを出した。
 席にもどったとき、ボナーはすでに男たちと親しげに、話をしていた。
 さっそく、ハヤトの手からボトルを取り上げ、男たちのグラスに酒を注ぐ。
 それから、自分たちのグラスも満たして、景気よく言った。
「さてと、おれたちの大仕事の前祝いに、一杯付き合ってくれ」
 それを聞くと、マイク・トムスンなる男が笑い出し、二人の仲間にウインクした。「前祝いとは、おもしろいじゃねえか。おれたちは逆に、打ち上げだもんなあ」
 ボナーは、おおげさに目を見開いた。
「打ち上げとは、けっこうじゃないか。だいぶ、金回りがよさそうだしな」
「まあな。運もよかったが、たった一カ月で一人百ドルがとこ、稼いだのよ」
 ボナーがあからさまに、こばかにしたような顔をする。
「ふうん。たった百ドルか」
 つぶやくように言うと、今度はビル・ケッチャムなる男がむっとした顔で、ボナーに指を突きつけた。
「でかい口をきくじゃねえか。おまえたちの仕事は、もっとでかいとでも言いてえのかよ」
 ボナーは、わざとらしく帽子のつばを指で押し上げ、おもむろに応じた。
「まあ、少なくともその五倍にはなるな。一人あたりで、だぞ。ただし、おれたちのほかにあと三人、つまり全部で六人そろわないと、仕事にならないのさ」
 男たちは、互いに顔を見合わせた。
 ジョー・クルスなる男が、探るような目でボナーを見る。
「もしかして、おれたちに手を貸せと言ってるように、聞こえるがね」
「そのつもりでいたが、どうやらあんたたちは、大金を稼いだばかりらしいから、付き合う気はなさそうだ。無理に、とは言わないよ」
 男たちが、また顔を見合わせる。
 今度は、トムスンが口を開いた。
「まあ、しばらくは骨休めをするつもりだが、話だけなら聞いてやってもいいぜ」
「聞くだけでは、金にならんがね」
 クルスが、じれたように催促する。
「一人当たり五百ドルとなると、かなりやばい仕事だろうな」
「ある程度、危険を伴うことは確かだ」
「どんな仕事だ。銀行強盗か」
「もうちょっと、やばいかもしれん。コマンチが相手だからな」
 それを聞くと、男たちはまた目を見交わした。
 ケッチャムが言う。
「コマンチだと」
「そうだ。コマンチにかどわかされた、白人のがきを救い出す仕事だ。キャンプを探して、そのがきをニューメキシコのさる牧場に、送り届けるんだ」
 ボナーの返事に、男たちはそろって顔をこわばらせ、また視線をやりとりする。
 ケッチャムは目をもどし、唇をゆがめて無理に作ったような、あいまいな笑いを浮かべる。
「そいつは、妙な話だな。その仕事は、もう決着がついたんだ。知らなかったのか」 ほかの二人も、そうだそうだと言わぬばかりに、うなずいてみせた。
 ボナーが、とぼけた顔をする。
「まさか。デマじゃないのか。長いあいだ探しているが、なかなか見つからないと聞いたぞ」
 三人の男は、今度こそ気分よさそうに肩を揺すって、笑い合った。
 トムスンが、自慢げに言う。
「デマじゃねえよ。そのがきを救い出したのは、おれたちだからな」
 クルスが、こくんとうなずいた。
「そうだ、間違いねえ。しかもそれは、ついきのうの日暮れどきのことよ」
 ボナーが、わざとらしく真顔にもどる。
「ほんとか。それでそのがきは、今どこにいるんだ」
 その問いに、三人はまた互いの顔を、ちらちら見た。
 ケッチャムが、返事をする。
「おれたちを雇ったやつらが、依頼主の牧場へ送り届けに行ったよ。なんでも、ニューメキシコの南の、シルバー・シティの近くだと聞いたが」
「ふうん、そうだったのか」
 ボナーは、それだけ言って腕を組み、口をつぐんだ。
 クルスが、いかにも気が進まぬ様子で、ボナーに言う。
「ところで、あんたたちはその仕事を、いくらで請け負ったんだ。一人あたり、五百ドルとか言ってたが、ほんとうか」
「ほんとうだ。雇い主は、シルバー・シティの近くにある、ブラックマン牧場のあるじで、ジョシュア・ブラックマンという男だ。もし、がきを連れて来てくれたら三千ドル、状況によっては五千ドルまで報奨金を出す、と言われたんだ。あんたたちは、何人雇われたかしらないが、一人百ドルはひどいだろう。ずいぶん、値切られたものだな」
 トムスンが、どんとテーブルを叩いて、憎にくしげに言う。
「くそ、マッキーのやつ、おれたちの足元を見やがったな」
「マッキーって、だれのことだ」
 すかさずボナーが聞くと、クルスが代わって答えた。
「なんとかマクナマラ、という野郎の呼び名だ。ほかに仲間のゲインズ、プラマーという野郎がいて、三人でおれたち雇われガンマンを、仕切っていたのよ」
 ケッチャムが、肘をついて乗り出す。
「もし報奨金が三千ドルなら、生き残った十人のガンマンに百ドルずつ払っても、二千ドル残る。マッキーが千ドル、ゲインズとプラマーが五百ドルずつ取る、という計算だろう」 トムスンは、もう一度テーブルを叩こうとしたが、途中でやめた。
「黙っていられねえぞ、こりゃ。すぐにもあとを追いかけて、あの三人を片付けるんだ。がきを取りもどして、ブラックマン牧場とやらへ届けりゃ、ごほうびがたっぷり出るだろう」
 そうだそうだ、とあとの二人があいづちを打つ。
 ボナーが指を立て、三人のあいだに割り込んだ。
「まあ、待て。行きがかり上、この話はおれたち六人全部で、取りかかるべきだ。どちらが欠けても、真相にたどり着かなかったんだからな」
 ケッチャムは少し考え、二人の仲間を交互に見た。
「マッキーたち三人は、けっこう腕の立つやつらだ。こっちは、一人でも多い方がいいだろう。あいつらに、まるごと金を取られるくらいなら、おれたち六人で山分けした方が、よっぽどすっきりするぜ」
 クルスが、大きくうなずく。
「そうともよ。さっそくあしたの朝から、追跡にかかろうぜ。やつらは例のがきを連れてるし、半日前に出たばかりだから、追いつくのは時間の問題だ」
 トムスンは、舌なめずりをして言った。
「そうと決まったら、今夜は二階へ上がって、豪儀に遊ぼうじゃねえか」
 それまで、黙って聞いていたブラック・ムーンは、ハヤトとこっそり視線を交わして、小さく肩をすくめた。
 ハヤトが、いかにもうまくやったと言わぬばかりに、ボナーに小さく顎をしゃくりながら、うなずいてみせる。


 *ご愛読ありがとうございました。続きは2022年発売予定の単行本『ブラック・ムーン』でお楽しみください。

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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