ブラック・ムーン第十七回
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一八七二年二月一日、カンザス州、アビリーン。
クリント・ボナーが、ネヴァダ州のビーティにユラ、ピンキーを残して町を出たのは、一昨年の七月下旬のことだった。
それからすでに、一年半が過ぎている。
そのあいだ、ボナーは手配の回ったお尋ね者を追跡する、賞金稼ぎの仕事を続けてきた。
それは、有色人種排斥を旗印に掲げて、無差別の襲撃や略奪を繰り返す、QQQの活動に嫌気が差し、転身を図って始めた稼業だった。
しかし、逆に悪党をつかまえる仕事が、向いていたらしい。
キャリアからして、正規の法執行官にはなれないが、やっていることは同じだ。危険を伴うのは確かだが、それなりにやりがいのある仕事だし、稼ぎもまずまずといえる。世の中に悪党が存在するかぎり、食いっぱぐれのない職業でもある。それまで、QQQでやってきたことへの、罪滅ぼしになるような気もするので、思ったより長続きしている。
ボナーは、大通りに面した女郎屋兼業のサルーン、〈ブル・ヘッド〉から漏れてくる乱闘の気配に、耳をすました。
どなり声に、わめき声。グラスの砕け散る音。椅子やテーブルが、壊れる音。
はでな喧嘩(けんか)の様子に、覚えず苦笑を漏らす。こうした町では、日常茶飯事なのだろう。
ひとしきり騒ぎが続いたあと、どうやら決着がついたとみえて、店内の騒ぎが徐々に収まった。
ほどなくスイングドアが、叩きつけられるように開く。
数人の男たちが、どやどやと板張り歩道に、出て来た。足元があやしいのは、殴り合いのせいというより、酒を飲みすぎたためだろう。いずれも、カウボーイかガンマンらしい、拳銃で武装した連中だ。
男たちは、通りの中ほどまでよろめき出ると、その場で互いの体を突いたりしながら、テキサス訛(なま)りでおしゃべりを始めた。どのみち、喧嘩の自慢話に違いない。
中に一人、六フィート四インチ(約百九三センチ)ほどもある大男が、交じっている。
目当ての、ジェリー・バウマンだった。
バウマンは、テキサスの州都オースティンから、手配書が回っているお尋ね者だ。罪名は銀行強盗と殺人で、捕らえるか仕留めるかすれば、五百ドルの賞金が出る。いわゆる、Dead or Alive(生死にかかわらず)というやつだ。
手配書によると、バウマンは一年前にオースティンの銀行を襲い、二人を射殺して三千ドル余りを奪った、という。
写真つきの手配書で、ボナーはバウマンを同じカンザス州の、西へ六十マイルほど離れた、エルズワースの町で見つけた。それから、ひそかにここアビリーンまで、追って来たのだ。
バウマンは、行をともにする七人組のうちの、一人だった。いつも、徒党を組んで動いているため、これまで手を出せずにいた。
連中は、スペイン語でロス・ピカロス(悪党ども)と自称する、何かと騒ぎを起こしたがる男たちだ。
銀行を襲ったあと、バウマンはおそらく奪った金をちらつかせて、カウボーイ崩れの六人組を手なずけ、頭目格に収まったと思われる。
ロス・ピカロスが、この日までに何度か銀行や列車、駅馬車等を襲うなど、悪事を重ねてきたことは間違いない。
とはいえ、手配書は一人しか出ていないので、当面バウマンだけを捕らえれば、目的は達せられる。
バウマンは、大柄なわりに動きが敏捷(びんしょう)で、しかも拳銃の扱いにたけている。生かしたまま捕らえるのは、かなりむずかしい相手だ。
実のところ、撃ち合いに持ち込んで仕留めた方が、手っ取り早い。撃ち合いなら、ボナーの方が場かずを踏んでいる。
とはいえ、まともに考えれば仕留めたあと、重い死体を遠くオースティンまで、しかも腐らせずに運ぶのに、一苦労することになる。
それを避けるためには、いろいろと手配が必要だ。
まずは、町の法執行官に事情を説明し、オースティンに電報を打たせて、バウマンが賞金つきのお尋ね者だ、ということを確認してもらう。
さらに、できることならオースティンに、為替(かわせ)でアビリーンへ賞金を送るように、要請する。それがうまくいけば、苦労して死体をテキサスまで運ばなくても、すむことになる。
そのときは、保安官にそれなりの手数料を払うつもりだし、バウマンの葬式代くらいは、出してやってもよい。
アビリーンは、テキサスから運ばれて来た牛の群れを、汽車に乗せて西海岸や東海岸へ送り出す、重要な拠点の一つだ。
同時に、苛酷な長旅を終えたカウボーイたちには、ようやく羽を伸ばすことのできる、天国のような町でもある。
その天国の入り口に当たるのが、今までロス・ピカロスが暴れていた、目の前のサルーン〈ブル・ヘッド〉だった。
軒の上に掲げられた、牛の一物をかたどった下品な看板が、物議をかもしたとの噂も、耳にしたことがある。それだけで、この町の品位が知れようというものだ。
日没が近づきつつあり、大通りはしだいに薄暗くなってきた。もう少しすると、近ごろ設置されたらしいガス灯がついて、また明るさがもどるだろう。
先刻の、店の中での喧嘩は格闘ばかりで、銃声は一つも聞こえなかった。
おそらく、それには理由がある。
今この時点で、アビリーンの市保安官を務めているのは、ジェームス・バトラー・ヒコックのはずだ。昨年四月に就任した、と聞いている。
ヒコックは、〈ワイルド・ビル〉の異名で広く知られる、名うてのガンファイターだ。三十代半ばの、独り者だという。
ボナーはヒコックを、写真でしか見たことがない。
かなりの長身で、ハンサムな男だった。髪を、肩のあたりまで長く伸ばし、口ひげを生やしていた。
その写真のヒコックは、軽いケープのようなものを羽織った、しゃれた姿だった。腰にサテンらしき、粋なサッシュを巻いていた。
そのサッシュの左右に、二丁の回転拳銃がぶっ違いに、差してあった。腰に、ふつうのガンベルトを、していない。めったに見ない、珍しいスタイルだ。
あの格好だと、左腰に差した拳銃を右手で引き抜き、右腰の拳銃を左手で引き抜くことになる。いざというときには、体の前で左右の腕を交差させ、同時に拳銃を抜かなければなるまい。
そうした場合、銃口上部に突き出た照準が、サッシュに引っかかる恐れがある。
写真では、はっきり分からなかったが、その拳銃は邪魔になる照準を、削り落としてあるようだった。
ボナーは、もともと二丁拳銃を使わないが、使うとしてもヒコックのような、変わった持ち方をするつもりはない。
一丁は、ガンベルトのホルスターに入れ、もう一丁はズボンのベルトの腰に、はさんでおく。
ちなみに、だれかと撃ち合いになった場合、必要なのは早く抜くことではない。あくまでも、正確に撃つことだ。それが生き延びるこつ、といってよい。いかに早く抜き、いかに早く撃ったところで、命中しなければ意味がない。
カタナによる、ショウサクとハヤトの決闘のように、相手がすぐ目の前にいるときは、早く抜くことが勝敗を決めるかもしれない。
しかし、カタナも早く抜いた者が勝つ、とは限らないようだ。ハヤトは正作を相手に、それを実証してみせた。
どちらにせよ、カタナと拳銃で勝負をする場合は、フェアな戦いにならない。間隔が、十フィート以上も離れてしまうと、カタナは圧倒的に不利だ。対等な戦いにするためには、五フィート以内で立ち合う必要がある。
しかし、そのような戦いにどんな意味があるのか、ボナーには分からない。
ともかく、拳銃にせよカタナにせよ、抜きやすい持ち方、構え方は人によって、それぞれのやり方がある。他人が文句をつける筋合いはない。
ヒコックは基本的に、長いキャトル・ドライブ(追い立てて運ぶ旅)を終えたカウボーイたちの、息抜きのための大騒ぎに関するかぎり、見て見ぬふりをするといわれている。
ただしそれは、拳銃を使わないかぎりにおいて、という条件がつくらしい。
カウボーイであれ町民であれ、正当な理由なく一発でも町なかで銃を撃てば、ヒコックは容赦なく発砲者を牢にぶち込む、という。
法の執行、あるいは正当防衛、緊急避難等の場合は、まだ許される。しかし、争いごとや祝いごと、景気づけのための発砲などは、認められない。酔ったあげく、喧嘩になって発砲するなどは、もってのほかとされる。
保安官になって以来、ヒコックはそれを厳密に守ってきたようだ。
最初のうちは、掟を破って牢にぶち込まれる者が、続出したらしい。しかし、三日間も拘留されるうえ、百ドルの罰金が課せられると分かると、さすがにみんな自粛するようになった。
今では、週に一度でも発砲事件が起これば、話題になるくらいだという。
さらに、喧嘩や乱闘でサルーン、理髪店、その他商店の商品や調度品、グラス、鏡などを壊した者は、現金で弁済すべしとの触れ書きも、貼り出された。
それやこれやで、これまで荒くれ者の町だったアビリーンも、このところ平穏無事に推移しつつある、といわれているのだった。
おそらく、ロス・ピカロスの連中もそれを承知しており、少なくとも拳銃は撃つまい、と決めたのだろう。なにしろ相手は、ワイルド・ビル・ヒコックなのだ。
ボナーは、板張り歩道の柱にもたれて、通りの中ほどでおだを上げる連中を、注意深く見守った。
賞金を受け取るためには、少なくとも自分の手でバウマンを、捕らえなければならない。まず騒ぎを起こさせ、できればヒコックが駆けつける前に、バウマンを押さえることが、肝要だ。
そのとき、またサルーンのスイングドアが開いて、エプロンをした禿げ頭のバーテンが、足ばやに出て来た。
通りへおり、手にした紙切れをバウマンに、ぐいと突きつける。
「壊れた椅子とテーブル、割れたグラスとカウンターの後ろの大鏡、締めて七十八ドル五十セント。すぐに現金で、払ってもらいましょう」
その要求を聞きつけて、たちまち人だかりができ始めた。
バウマンが、バーテンを見下ろして言う。
「ほう。あれだけぶっ壊したわりには、安いじゃねえか」
「それはつまり、あんたたちとやり合った五人と、折半になってるんでね」
バウマンは、つくづくとバーテンを見返し、軽く肩を揺すった。
いつの間に抜いたのか、その手に拳銃が握られている。
人だかりがざわめき、だれもがあとずさりを始めたので、逆に輪が広がった。
「あの喧嘩は、おれたちが勝ったんだ。負けた五人から、全額取るがいいぜ」
バウマンが応じると、ほかの仲間たちもそうだそうだ、と声を上げる。
バーテンは、辛抱強く言った。
「いや。喧嘩両成敗で、折半が決まりなんですよ。この町ではね」
バウマンは、拳銃をくるりと回して、バーテンの鼻先に突きつけた。
バーテンの体が、棒を飲んだようにこわばる。
ボナーは、柱の陰に身を寄せた。
そっと、拳銃の撃鉄に掛けた革紐をはずし、いつでも抜けるようにする。
もしバウマンが発砲すれば、すかさずその背を撃つのだ。
当然、それは緊急避難と見なされるから、ヒコックも発砲したボナーを、罪には問えないだろう。
たとえ当たりどころが悪く、バウマンが死んだとしても、ボナーには賞金を要求する、当然の権利が生じる。
バーテンが、震え声で言った。
「あんた、知ってるのか。この町の保安官は、あのワイルド・ビル・ヒコックだぞ。一発でも発砲したら、あんたは牢屋入りだ。もし、だれかを撃ったりすれば、監獄行きになる。相手が死んだら、縛り首は間違いない。あんたに、その覚悟があれば、別だがね」
バウマンは、ちょっとたじろいだ様子を見せたが、仲間たちの手前もあってか、すぐに胸を張った。
「ワイルド・ビルが怖くて、アビリーンの町に来られるか。ここで、ダンスでも踊りやがれ」
バウマンは悪態をつき、いきなり銃口を地面に向けて、発砲した。
バーテンの足元で、土煙が舞い上がる。
バーテンは、悲鳴を上げて紙切れをほうり出し、頭をかかえてサルーンに逃げ込んだ。
バウマンとその仲間が、大声で笑いだす。
人だかりのできた通りに、不安と期待の入り交じったような、ざわめきが走った。 果たして、そこから三十ヤードほど離れた、保安官事務所のドアが開いて、通りへ光が流れ出した。
その光を背にして、黒い帽子をかぶった長身の男が、戸口に姿を現す。
時をおかず、男は板張り歩道をゆっくりと、歩きだした。
黒いケープを羽織り、胴に白いサッシュを巻いたその姿は、ヒコックに違いなかった。
サルーンの斜め向かいに近づくと、ヒコックはおもむろに通りにおり立った。
ボナーは、柱の後ろに身を隠したまま、右手を銃把(じゅうは)に近づけた。
よもや、バウマンがヒコックに撃ち合いを挑む、とは考えられない。いくら酒がはいっていても、そんな自殺行為に出るほど、愚かではあるまい。
ヒコックと、バウマンが向き合う線上の人だかりが、さっと割れて空間ができる。ボナーも、ほぼその線上にいたので、目の前から人がいなくなった。
体の向きを変え、流れ弾があたらないようにして、柱の陰からのぞき見る。
ボナーのいる場所からは、バウマンが斜めに背を向けて左側に立ち、そこへヒコックが右前方から近づく、という位置関係になった。
バウマンは、手にした拳銃の銃口を下げたまま、ヒコックが近づくのを見ている。 ヒコックは、サッシュの左右に拳銃を二丁差していたが、両腕はまっすぐに垂らしたままだ。
足を止め、静かな声で言う。
「たった今、発砲したのは、おまえか」
サッシュのような、滑らかな響きの声だ。
バウマンは、銃を下げたまま応じた。
「ああ、このおれだ。文句があるか」
思ったより強気だ。
「アビリーンでは、正当な理由がなく発砲する者は、逮捕するのが定法だ」
ヒコックの返事に、バウマンがせせら笑う。
「テキサスにゃ、そんなばかな法はねえぞ、ヒコック。ワイルド・ビルかなんか知らねえが、勝手に決めるんじゃねえ」
たとえ酔っているにせよ、バウマンも肚だけはすわっているようだ。
「この町では、わたしが法律だ。拳銃を捨てて、事務所へついて来い」
「おれは、拳銃を手から放したことはねえ。あんたは、かなりの早撃ちだそうだな、ヒコック。その腕を、見せてもらおうじゃねえか。あんたが抜くまで、銃口を上げるのを待ってやる」
そう言いながら、バウマンがチャップス(革のオーバーズボン)の陰で、そっと撃鉄を起こすのを、ボナーは見た。
これなら、銃口を上げて引き金を引くだけで、発砲することができる。
ヒコックは、少しも動ぜずに応じた。
「ばかなまねは、やめるんだ。二十フィートも離れているうえに、おまえは酔っ払っている。当たるはずがない。おとなしく、言われたとおりにしろ」
息の詰まるような、数秒間があたりを支配する。
ボナーは、拳銃の撃鉄に親指をかけ、すぐにも撃てるように身構えた。
突然、バウマンの手にした拳銃の銃口が、ぴくりと動いた。
次の瞬間、バウマンは声を放って、のけぞりながら発砲した。
ほとんど同時に、別の銃声がそれに重なる。
ヒコックの足元で、土煙が上がった。
バウマンは、もう一度叫んでたたらを踏み、そのまま後ろざまにどうと倒れた。
青いシャツの、心臓のあたりに赤黒い穴があき、じわりと血が噴き出す。
ヒコックの、右手に握られた拳銃の銃口から、かすかな煙が漂い出ていた。
ボナーは、抜きかけていた拳銃の撃鉄をもどし、銃把から手を放した。こわばった指が、汗でぬるぬるする。
ヒコックの、抜く手も見せぬ早わざに接して、冷や汗をかいた。噂にたがわぬ、すごい早撃ちだ。
ボナーは、板張り歩道から通りにおり、乱れた人だかりのあいだを割って、倒れたバウマンのそばに行った。
ロス・ピカロスの男たちが、まるで何も見なかったというように、声ひとつ漏らさずその場から、こそこそと離れて行く。すっかり、酔いがさめたようだ。
バウマンは拳銃を握り締め、目を見開いたまま死んでいた。
ボナーは膝(ひざ)をつき、バウマンの目をのぞき込んだ。
ガス灯の光を映した右の瞳に、きらりと光るものが刺さっている。
細い針だった。思ったとおりだ。
今の場面を、思い起こす。
銃口を上げて、ヒコックに拳銃を向けようとしたその瞬間、バウマンは声を上げてのけぞった。そのときこの針が、右目に刺さったに違いない。
むろん、こうした助けがなかったとしても、ヒコックの勝ちは変わらなかったかもしれない。しかし、バウマンはすでに撃鉄を起こしており、銃口を上げれば撃てる状態になっていた。
ヒコックの抜き撃ちが、いくら速いにしても対抗できたかどうか、にわかに断言はできない。
目をやられたバウマンは、ヒコックの足元に、弾を撃ち込んでしまった。しかし、もし吹き針の奇襲にあわなければ、胸に命中させていたかもしれない。
頭の上から、声がかかる。
「そこを、どいてくれ」
顔を起こすと、すでに拳銃を腰にもどしたヒコックが、ボナーを見下ろしていた。 ボナーは、黙って立ち上がった。
一歩下がり、あたりを見回す。
向かいの板張り歩道の手前に、鹿皮服を来た男と女が並んで立ち、ボナーを見ていた。
思ったとおり、男はハヤトだった。
Synopsisあらすじ
新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!
Profile著者紹介
逢坂 剛
1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。
Newest issue最新話
- 最終回2021.09.09