ブラック・ムーン第三回


 ハヤトも、トウオムアをまじろぎもせず、見返してくる。
 おもむろに言った。
「別に詳しくはないが、おれたち一行は、わけがあって、ビーティからこの川の上流の、峡谷(きょうこく)に行ったのだ。おれの仲間も、ビーティへ様子を見に、もどるかもしれぬ。この近くには、ほかに町がないようだからな」
「その町を出たのは、いつのことだい」
 トウオムアが聞き返すと、ハヤトは少し考えた。
「まだ記憶がはっきりしないが、二日か三日くらい前だ、と思う。ところで、今日は何年何月の、何日だろうな。こちらの暦(こよみ)でだが」
「白人の暦で、一八七〇年の六月二十六日だ。時間はたぶん、午後六時前後だろう」
 ハヤトが、目を上へ向ける。
「すると、おれがビーティの町を出たのは、きのうの朝だったわけだ。そして、崖から転落したのは、きょうの昼過ぎだった。だとすれば、ざっと六時間ほどあの川を、流されたことになる」
 独り言のような口調だ。
 トウオムアは、いくらか迷いながらも、正直に告げた。
「実は、あたしたち母子もおととい、ビーティの町のそばを通り過ぎたんだよ」
 それを聞くと、ハヤトは思慮深い表情になり、目をもどした。
 さりげない口調で、慎重に言葉を選びながら言う。
「あの三人が、あんたの父親に雇われて、息子を連れもどしに来たことは、さっきのやりとりで、分かった。どうやって、あんたの居場所を、突きとめたのかも、なんとなく理解できた。しかしあんたは、連中の言いなりにならずに、逃げ出したわけだろう。あんたの、コマンチの夫は、それを黙って、見ていたのか」
 トウオムアは、首を振った。
「見ていたら、こうはならなかったよ。あたしの夫は、一族の戦士たちを引き連れて、バファロー狩りに出ていた。だから、三人があたしを捜し当てたことも、あたしがキャンプを離れたことも、知らずにいたんだ。たぶん、今ごろは狩りからもどって、あたしが消えたことを、知ったはずだ」
「それなら、追ってくるんじゃないのか」
「白人が、あたしを連れもどしに来た、と分かればね。でも、あたしが自分の勝手な考えで、キャンプを逃げ出したと思ったら、追ってはこないだろう。逃げた女を追うのは、コマンチの誇りが許さないからね。だけど、どこかで出会うことがあったら、間違いなくあたしを殺すよ」
 ハヤトは、立てた膝(ひざ)のあいだに首を垂れ、しばらく考えていた。
 やがて顔を上げ、落ち着いた口調で言う。
「あんたは、さっきの連中を出し抜いて、息子とキャンプから脱出した、というわけか」「そういうことになるね」
 また少し考えてから、隼人はおもむろに言った。
「そのとき、どんなふうにして、連中の手を逃れたのか、差し支えなければ、聞かせてくれ」
「それを知って、どうするのさ」
「別に、どうもしない。ただ、おれの国でよく言われることだが、こうしてたまたま出会ったのは、前世からの因縁があるからだそうだ。おれはなんとなく、あんたをこのまま、ほうってはおけない、という気がしてきた。もちろん、役に立てるかどうか、自分でも分からない。しかし話だけは、聞いてみたい」
 トウオムアは、まじまじとハヤトを見返した。
 冗談を言っているようには見えないし、まして何か下心があるというわけでも、なさそだ。
「だけど、あんたには連れがいるんだろう。あたしにかかずらっていたら、それだけその人たちと巡り会うのが、遅くなるよ」
「あんたが、心配する必要はない。連れの中には、あまり顔を合わせたくない人間が、いるしな」
 さりげない返事の中に、どことなく苦渋の色がにじんでいる。
「そいつとは、仲が悪いわけか」
「そういうわけじゃないが、会うとどちらかが、死ぬことになる。そういう相手が、二人もいるのさ」
 驚いて、ハヤトの顔を見直す。
「一人で、二人を相手にするのかい」
「同時に、ではないがね。詳しくは、聞かないでもらいたい。ともかく、しばらくは会わないでいた方がいい、という気がする。そのあいだに、あんたに手を貸すことができるなら、それはそれで意味があるだろう」
 その、きまじめな口調からすると、ただの暇つぶしに手を貸そう、というわけでもなさそうだ。
 それに、この男の今の体調を見るかぎり、命をかけてだれかと戦う状態ではない、という気がする。
 そして、自分もまた同じ状況、といえるだろう。少しのあいだ、互いに助け合うのも、悪くないかもしれない。
 トウオムアは、体の緊張を解いた。
「それじゃ、あの三人組がやって来たときのことを、話してあげよう。あたしにすれば、上出来の対応だったと思うけど」
 ハヤトはうなずき、目で先をうながした。
 得体の知れない男だが、その表情の動きや立ち居振るまいから、確かに信頼できそうな人間だ、とあらためて思う。
 この男は少なくとも、コマンチを含むインディアンの存在を、理由もなく恐れたり憎んだりする、傲慢(ごうまん)で分からず屋の白人とは、異なっている。
 ふんぎりをつけて、トウオムアは話し始めた。
「今から六、七週間前のことだけど、あたしたちコマンチの一族は、アリゾナ準州の南部の草原地帯で、キャンプを張っていた。年寄りを除いて、男たちはみんなバファロー狩りで、遠征に出てしまった。そういうときに、あの三人組の追っ手がキャンプに、やって来たんだ」
 三人の男は、キャンプの近くで薬草をつんでいた、トウオムアと息子のサモナサに、さりげなく近づいて来た。
 薬草探しに熱中するあまり、トウオムアは三人がすぐそばに来るまで、気がつかずにいた。
 男たちは、愛想よくトウオムアに挨拶したあと、もしかしてジョシュア・ブラックマンの娘の、ダイアナではないかと尋ねた。
 相手はいかにも無法者、流れ者らしい風体に見えたが、口調や態度物腰は妙に丁重だった。おそらく、トウオムアを警戒させまい、としたのだろう。
 ダイアナことトウオムアは、なりかたちこそインディアンだが、アイルランド系の赤みがかった髪や、澄んだ緑青色の目を見れば、白人だということはいやでも、見当がつく。
 トウオムアは、十年ぶりに父親の名前を耳にして、内心強い警戒心を抱いた。しかし、それをおもてに出さぬだけの分別は、ついていた。
 白人だと知れた以上、へたに隠しだてしない方がいいと判断し、確かにダイアナ・ブラックマンだ、と認めた。
 三人の男たちは、わざとらしいほど満面に笑みを浮かべ、口ぐちに説明した。
 自分たちは、ミスタ・ブラックマンに頼まれて、ダイアナ母子を助け出しに来たこと。 しばらくのあいだ、離れたところから様子をうかがい、白人の母子と確信したので、声をかけたこと。
 ほかにも、捜索のために雇われた者が何人かいるが、自分たちが最初に見つけたのは、まったく運がよかったこと、などなど。
 そんないきさつを、男たちは代わるがわる、口にした。
 無理やり連れ去ろうとせず、丁重にわけを説明してみせたのは、キャンプにいるコマンチの仲間に、気づかれるのを恐れたのだろう。
 実のところ、戦うのに必要な男たちは狩りのために、すべて出払っていたのだが。
 父親は牧畜という仕事がら、あちこちに情報網を持っている。それを頼りに、さらわれたダイアナの消息を、長年尋ね続けてきたのだろう。
 その結果ダイアナが、コマンチ族の男の妻になり果て、さらにサモナサを生んだことまで、突きとめたとみえる。
 ちなみに、一族が白人の密売商人と取引するとき、トウオムアもしばしば通訳として、その場に臨んでいた。族長の夫、トシタベが白人にだまされるのを嫌って、トウオムアを帯同したのだ。
 そんなとき、トウオムアはサモナサを背負って行くので、それを目にした白人たちの口から、自分の消息が父親の耳に伝わった、と思われる。
 ひとことでコマンチといっても、その下にケワツァナ、コーサイ、クワハディなど、いろいろな部族があり、広い西部の所々方々に散らばっている。それも、ほとんど一カ所に定住することがなく、あちこちに移動して生活する。
 そこで父親は、ダイアナ母子の居場所を突きとめるため、人を雇って二人がいそうな集落を、しらみつぶしに捜し回らせたのだろう。
 三人の話を聞いて、トウオムアは父親がどういう目的で、自分たちを連れもどそうとするのか、直感的に見抜いた。
 父親は、みずからの牧場の後継者を、求めているのだ。
 そして、それはダイアナ本人ではなく、自分の血を引く息子のサモナサに、違いなかった。
 トウオムアは、忙しく頭を働かせた。
 男たちの目的を阻止しようにも、キャンプには年寄りと女子供しか、残っていない。
 もし自分が、ここで騒ぎ立てたり抵抗したりすれば、キャンプの人びとがそれに気づいて、争いになるのは間違いない。
 たとえ相手は三人でも、男の戦士のいない一族の劣勢は明らかで、死人や怪我人が続出するだろう。男たちの、すさんだ人相や風体からして、目的のためには手段を選ばぬ、冷酷な連中であることは、一目瞭然だ。
 戦いのどさくさに紛れ、サモナサを連れて逃げることも、不可能ではないだろう。しかし、そのために無力な一族の人びとを、犠牲にするわけにはいかない。
 すぐに肚(はら)を決め、トウオムアは男たちに、こう持ちかけた。
 ひとまず、身の回りのものを取りに、自分と息子は一度キャンプへもどる。
 その上で、ほかのコマンチたちに怪しまれないように、息子と二人でこっそり抜け出して来る。
 三人とも、一族の者に見つかる危険を避けるため、キャンプから離れた東側の川のほとりで、自分たちを待っていてほしい。
 そう頼み込んだ。
 そのたくらみを、トウオムアはことさら目を輝かせ、口元から唾を飛ばさぬばかりにして、述べ立てた。つまり、父親の救いの手が十年ぶりに、ようやく自分たちに届いたことを、思い切り喜ぶふりをしてみせたのだった。
 それが真に迫っていたのか、あるいはよけいな騒ぎを避けたかったのか、男たちはトウオムアの申し出に、こころよく応じた。
 三人は指示されたとおり、おとなしく川の方へ馬首を向けた。
 トウオムアは、サモナサを連れて自分のティピー(テント)にもどり、大急ぎで逃走に必要なものを、革袋に詰め込んだ。
 トシタベの年老いた母親には、狩りに出た夫のところへ食べ物や、薬草を届けに行くと告げた。
 それから、集落の西側にある馬の囲い場に向かい、愛馬キーマを引き出した。
 そして息子とともに、キーマに乗って静かに集落を離れ、男たちと反対の方角へ逃走した、という次第だった。
「あたしは、バファロー狩りをしている夫のところへ、なんとか逃げ延びようとしたの。でも追っ手の三人は、思ったより抜け目のないやつらでね。間なしに、あたしと息子が逃げたことに、気づいたらしい。それですぐに、あとを追って来たのさ」
 馬の扱いに関するかぎり、コマンチはほかのどの種族よりも、たけている。
 父親も、そのことをよく承知していたとみえ、ことさら乗馬に優れた追っ手を選んで、雇ったようだった。
 コマンチ仕込みの、トウオムアのわざと経験をもってしても、追っ手の男たちを振り切ることは、できなかった。追跡をかわしながら、延々と休まず逃げ続けるのが、精一杯だった。
 そのあいだも、狩りをしているトシタベたちを探したが、出会うことはかなわなかった。あてもなく探すには、西部の大草原は広すぎた。
 逃げ続ければ、そのうち追っ手もあきらめるだろう、とひそかに願った。しかし、かなりの礼金を約束されたとみえて、追跡は執拗に続いた。
 見晴らしのいい平原では、何マイルも距離が離れていながら、追って来る連中の姿を認めることも、しばしばだった。
 町に立ち寄ると、多かれ少なかれ追って来た連中に、噂が届いてしまう。
 そのため、どうしても買い物が必要なとき以外は、町には近づかなかった。
 手元には、多少のドル金貨と銀貨のほか、これまでに作りためた手芸品や、アクセサリーがある。それで、ほしいものをあがなったり、交換したりした。
 町に行くと、インディアンの母子は目につきやすく、じゃけんに扱われることが多い。 トウオムアの、髪や目の色で白人と見当がついても、かえってうさんくさい目で見返され、居心地の悪くなることがしばしばだった。
 白人の、密売商人との闇取引で貯めたドルを、五十ドルほど持っている。
 それを示したところで、めったにいい顔はされなかったが、金貨と銀貨はそこそこに通用した。
 しかし紙幣は、あまり喜ばれなかった。いつなんどき、紙切れに変わるか分からないからだろう。
 ともかく、食べ物や衣類、日用品など、必要な買い物があるとき以外は、町に立ち入らないようにした。
 追っ手に、足跡をたどられないようにするには、せいぜい町から離れた崖や森、丘の陰などを探して野営するしか、方法がない。
 そんなわけで、トウオムアはビーティの町にも、立ち寄らなかったのだ。
 ところが、町から離れた草原で野営した翌朝、遠くの丘の上で見張っていた、あの連中に見つかってしまった。あいにく、そこは見晴らしのいい平原だったから、身を隠して馬を走らせることが、できなかった。
 もっとも、まだ二マイルくらい距離があったので、とりあえずいちばん近い岩山まで走り、そこから方角を変えた。馬の後ろに枯れ枝の束を結びつけ、蹄(ひづめ)のあとを消しながら逃げ続けた。
 しかしその努力もむなしく、この日の夕方先刻の川にぶつかり、行く手をふさがれてしまった。川沿いに走れば、あとをたどられやすい。
 やむなく、木立の中に身を隠したものの、結局見つかってしまったのだった。
「サモナサは奪われたけど、あんたのおかげであたしは助かった。まだ、息子を取り返す機会は、残っている。とりあえず、あたしをビーティの町まで、連れて行ってもらえないかしら。もし、あの二人が町にいたら、そこでけりをつけてやるから」
 トウオムアが話を締めくくると、ハヤトは首を振って反対の意を示した。
「その傷では、戦うのは無理だ。ビーティの、近くまでは連れて行くが、あんたは町にはいらない方がいい。まずは、おれ一人で行く。何より、あんたのその脚の傷を、医者に診てもらう必要がある」
 聞き取りにくい英語だが、言っていることはまともだし、よく理解できる。
「話をもどすけど、あんたの連れは、どうするんだい。向こうもきっと、あんたのことを探しているよ。ほうっておくわけには、いかないだろう」
「おれの連れも、ビーティへ向かったかもしれぬ。もし町にいたら、わけを話して、あんたに手を貸すよう、頼んでみる」
「連れの中には、あんたとやり合う相手が二人も、いるんじゃないのかい」
 ハヤトは、少し考えた。
「その一件は、先延ばしにしてもらう。もし、連中が町にいなければ、あんたのことはおれ一人で、なんとかする」
 じっとハヤトを見つめる。
「一つだけ、聞かせてほしい。どうして、初めて会ったばかりのあたしに、手を貸してくれるんだい」
 ハヤトは、小さく笑った。
「おれの方にも、あんたの手を借りることが、あるかもしれんだろう」
 トウオムアは首を振り、笑い返した。
「好きにするさ。ところで、あんたのお仲間とつなぎをつけるのに、何か方法はないのかい」
「ないことはない。サンフランシスコに、お互いに連絡を取り合う拠点がある。そこを通じて、いつかは会うことができる。あわてることはない」
「どんな拠点なんだ」
「グロリアズ・ロッジという下宿屋だ。おれと連れの一人が、そこで世話になったことがある」 その口ぶりに迷いはなく、気休めを言っているわけではない、と分かる。
 トウオムアは、久しぶりに頼りになりそうな男に、出会った気がした。

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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