ブラック・ムーン第十三回

 一八七〇年、七月二十八日。
 トシタベが言う。
「おれは、ハヤトとかいうあの男に、おまえたち白人がそう呼ぶ、ワン・オン・ワン・ファイト(一騎討ち)を挑む」
 それを聞いて、トウオムアは愕然とした。
「一騎討ちなんて、もってのほかだわ。それだけは、やめて。今戦っても、対等な戦いにはならない。ハヤトはまだ、体が十分に回復していない」
 そう詰め寄ると、トシタベは拳(こぶし)を握って、自分の胸を叩いた。
「いや。おれは、もう十分にやつに、休養を与えた。おまえがあの男を、このキャンプへ運んで来てから、きょうですでに七度、日がのぼった。そのあいだに、あの男はたっぷりと、体を休めた。おれと戦うだけの力は、もうもどったはずだ」
 トウオムアは、両手を開いて腹にあてがい、体が弱っているしぐさをした。
「いいえ、まだ治ってない。ハヤトは、バファローの大群に、踏みつぶされた。それも、サモナサの命を守ろうとして、おおいかぶさったからだ。その上を、バファローが何十頭も、駆け抜けて行った。それで、ハヤトは体のあちこちに、怪我をした。でも、そのおかげでサモナサは、命拾いをしたんだ。だから、あんたもあたしもハヤトに、恩がある。あたしたちは、その恩を返さなきゃならない。一騎討ちをしようなんて、もってのほかだよ」
 トシタベは、右手の親指を立てた。
「その恩は、まじない師がハヤトのために三日間、休まず精霊に祈りを捧げて、ちゃんと返した。おかげで、ハヤトはもう立ち上がれるし、食事もちゃんとしている。おれは何もせずに、やつをほうっておくこともできた。だが、おまえの言うことを受け入れて、めんどうを見たのだ。もうあの男に、借りはない」
 そう言って、握り締めた右の拳を額(ひたい)に当て、ひねるしぐさをする。怒りの表現だ。
 もはや、トシタベの考えを変えさせることは、できそうもない。
「それなら、あたしがハヤトのティピー(テント)へ行って、ほんとうにもとの体にもどったか、確かめることにする」
「ノー」
 トウオムアは英語で言い、さらにコマンチの言葉で、あとを続けた。
「おまえたちが、二人だけで会うことは、許さない。おまえは、キャンプにたどり着くまでのあいだ、何日もハヤトと一緒にいた。つまり、自分の連れ合い以外の男と、長い時間を過ごしたのだ。それが、われら部族の掟(おきて)に背くことは、分かっているだろう」
「そのわけは、話したはずだよ、トシタベ。ハヤトがいなかったら、あたしは悪いやつらに殺され、サモナサは連れ去られていただろう。だからこそ、そのために怪我をしたハヤトを、トラヴォイ(曳行架)で運んで来たんだ。サモナサだって、それをよく知ってるよ」
「サモナサは、まだ子供だ。おまえと、ハヤトのあいだに何があったか、分かるはずはない」
 トウオムアは、唇の裏を噛み締めた。
 コマンチに限らず、インディアンは妻の不行跡に対して、常に厳しい措置をとる。
 むろん、それは白人のあいだでも同じだろうが、より対応のしかたが厳しいことは確かだ。
 ハヤトを運んで来る途中、トウオムアとのあいだに何かあったと、トシタベが本気でそう信じている、とは思えない。キャンプに着いたとき、起き上がることもできなかった、半死半生のあのハヤトの様子を見れば、それは容易に分かったはずだ。
 しかし、部族の者たちの目にはかならずしも、そうは映らなかったかもしれない。
 ハヤトの状態がどうであれ、二人に疑いを抱いたであろうことは、経験上分かっていた。
 ここで、もしトシタベがトウオムア、ハヤトに対してなんの措置も取らず、重大な疑惑を黙止したとすれば、どうなるか。
 部族の者たちは間違いなく、族長のトシタベが二人の関係を容認したもの、と判断するだろう。
 そうなれば、トシタベに対する部族内での威信は、地におちる。当然、族長としての地位も、危うくなるに違いない。
 連中を納得させるためには、どうあってもすみやかにけじめをつける、という決断が要求されるのだ。
 トウオムアは、思い切って言った。
「それがあんたの本心なら、ハヤトとあたしを同罪とみなして、鞭(むち)で打つなり体に焼き印を押すなり、好きなようにすればいい。そうすれば、族長としての体面を、保てるだろう」
 トシタベが、右手の人差し指を前に突き出して、その上に左の手のひらをかざす。
 死を意味するしぐさだ。
「ハヤトとは、一騎討ちでけじめをつける。おまえの処置は、それが終わってから考える」
 そのしぐさが、ハヤトを殺すという意味なのか、妻たる自分を殺すという意味なのか、トウオムアには分からなかった。
 どちらにせよ、族長たるトシタベが一度口にした決意を、ひるがえすことはない。
 トウオムアは、拳を強く握り締めて、考えを巡らした。
 むろん、ハヤトを連れてキャンプに帰ることに、迷いがなかったわけではない。トシタベや部族の者に、疑いの目で見られる恐れがあることは、重々承知していた。
 とはいえ、命がけでサモナサを救ってくれたハヤトを、死にかけたまま置き去りにするなど、できるはずがなかった。
 トシタベに、何か言われることは、覚悟の上だった。
 しかし、サモナサの無事な姿を見せてやり、それまでのいきさつをつぶさに説明すれば、納得してくれると思っていた。
 今となっては、その考えが甘かったことを、認めざるをえない。
 そもそも、トシタベの母親にさえ理由を告げず、サモナサを連れてキャンプから姿を消したことが、不信を招いたのは間違いなかった。
 しかし、あのときトシタベも戦士たちも、バファロー狩りで不在だった。
 老人と、女子供しか残っていないキャンプを、追っ手の狼藉から守るためには、何も言わずにサモナサを連れて、姿を消す以外に方法がなかったのだ。
 ただ、部族の残留組は北へ移動したものの、結局は別の追跡者に見つかって襲撃され、キャンプを蹂躙された。
 そのため、さらに北へ移動したところで、やっと狩りに出ていた遠征組と出会い、キャンプを立て直したのだった。
 今サモナサは、トシタベの母親のティピーに、預けられたままになっている。万が一にもトウオムアが、サモナサを連れて逃げ出さないように、との用心だろう。
 トウオムアも、今逃げ出すくらいなら最初からキャンプにはもどって来なかった。正直に事情を話せば、分かってもらえると思っていた。
 やはり、それが甘かったのだ。
 トシタベが、口を開く。
「これから、ハヤトのティピーへ行って、おれと一騎討ちをするように言う。おまえも一緒に来て、ハヤトにおれの言うことを、正しく伝えろ。ただし、よけいなことを話してはならん。おれもいくらか、おまえたちの言葉が分かることを、忘れるな」
 そう言い捨てて、さっさと歩きだす。
 いやもおうもなかった。
 トウオムアは、トシタベのあとについて、キャンプのあいだの道を抜け、川の方に向かった。その川岸に立つティピーに、ハヤトが軟禁されているのだ。
 歩きながら、トウオムアはため息をついた。
 族長になってからトシタベは、ますますうたぐり深くなったようだ。トウオムアの言うことを、まともに聞こうともしなかった。
 川岸の一角を、半円形に取り囲むような配置で、戦士たちのティピーがある。
 そこは、どの方角にも逃げることができない、閉鎖された場所だった。
 昔から、ティピーの入り口はすべて、東向きに作られる。
 しかし、ハヤトのティピーだけは西向きで、見張りやすいようになっている。
 入り口の垂れ幕は、まくり上げられたままだ。それは、いつでもだれでもはいっていい、という意味だった。
 トシタベは、そこから十フィートほど離れた位置で、足を止めた。
 腕を組み、英語で呼びかける。
「ハヤト。カム・アウト」
 ほとんど間をおかず、ハヤトが体をかがめて姿を現した。
 長い髪を革紐で束ね、背後に垂らしている。髭(ひげ)も伸びたままだ。
 バファローに踏みつけられ、あちこち裂けた鹿皮服の上下は、ハヤトが療養しているあいだに、トウオムアがつくろった。
 ハヤトは、トウオムアにちらとも目をくれず、トシタベと向かい合って立った。
 トシタベが、今度はコマンチの言葉で言う。
「おまえは、おれの息子と妻を白人の悪党から、救ってくれた。それについては、あらためて礼を言う」
 一度口を閉じ、トウオムアを振り向いて、うなずく。
 トウオムアは、それをやさしい英語に直して、ハヤトに伝えた。
 ハヤトは、小さくうなずいただけで、何も言わない。
 トシタベは続けた。
「ただし、おまえはおれの妻と二人きりで、何日も一緒に旅をした。そうなった理由は、おれもトウオムアに話を聞かされたから、承知しているつもりだ。しかし、それを知った以上、おれがおまえたちに何もせずにいると、戦士たちが黙っていない」
 そこでまた、トウオムアを見る。
 しかたなく、トウオムアはその趣旨を当たり障りのないように、かいつまんでハヤトに伝えた。
 ハヤトは、いっさいトウオムアに目を向けることなく、先をうながすようにトシタベに、顎(あご)をしゃくってみせた。
 トシタベが、一度大きく息を吸って吐き、さらに続ける。
「そこでおれは、おまえに一対一の戦いを挑む。その場合、どちらかが大地を叩いて負けを認めるか、あるいは相手の手にかかって死ぬまで、戦わなければならない。もし、おまえが一騎討ちを拒むなら、その場で杭に縛りつけられて、日干しにされるか蟻(あり)のえさにされるか、いずれにしても死ぬことになる。すぐに、どちらを選ぶか、返答するがいい」
 言葉が途切れ、その場に静寂が流れる。
 すでに、太陽は西の山の端に沈みかけているが、日差しはまだ強い。
 上半身裸の、トシタベの赤銅色(しゃくどういろ)の背中には汗が玉となって浮き、きらきらと光っていた。
 トウオムアもまた、自分の白いシャツの内側が、汗まみれになるのを意識した。
 肚(はら)を決めて、トシタベの言葉をそのまま感情を交えず、ハヤトに伝える。
 聞き終わるが早いか、ハヤトは口を開いた。
「受けて立つ、と返事をしてくれ。それと、素手で闘うか武器を使うか、もし使うとすれば何を使うかも、聞いてもらいたい」
 トウオムアがそれを伝えると、トシタベは即答した。
「おれは弓と、矢を五本用意する。もし、おまえが銃を使うつもりなら、それでもかまわぬ。ただし、弾はおれの矢と同じく、五発までだ」
 それを聞いて、トウオムアはためらった。
 弓矢で、銃と戦うのは圧倒的に不利、と考えるのはトシタベに関するかぎり、間違いだ。
 トシタベは、部族のうちでも三本の指にはいる、弓の名手だった。ことに、馬上での弓の扱いにかけては、だれにも負けないわざを持っている。
 たとえ相手が、名うてのガンマンや騎兵隊員であっても、トシタベなら十分に対抗できるだろう。いや、まず後れを取ることはない、とみてよい。
 しかし、これまで目にしたかぎりでは、ハヤトの銃の腕はライフルにしろ拳銃にしろ、まずまずといったところでしかない。アメリカに来て、さほど年月がたっていないようだし、不慣れなのはしかたがないだろう。
 通訳の間が、あきすぎた。
 トシタベが首をねじり、トウオムアをにらみつける。
「早く、通訳しろ。おれが言ったことを、そのまま伝えるんだ」
 躊躇しながらも、トウオムアはトシタベが出した条件を、ハヤトに伝えた。
 ハヤトは口元を引き締め、やおら二人に背を向けると、ティピーの中にもどった。
 ふたたび現れたとき、ハヤトの手には例のサーベルに似た、日本のソード(剣)が握られていた。
 ハヤトがそれを、目の前に掲げる。
「おれは、これで戦う」
 トウオムアは、ふと思い出した。
 スタンピードのあと、ハヤトを木の幹の下から引き出したとき、左手にしかと握られていたのが、その剣だった。
 ハヤトはそれを遣って、トウオムアやサモナサを何度も、救ったのだ。
 トシタベの肩が、とまどったように揺れる。
 その口から、短い英語が漏れた。
「ホワット・イズ・ザット」
「ディス・イズ・カタナ。ジャパニーズ・ソード。カ、タ、ナ」
 ハヤトの返事に、トシタベは繰り返した。
「カ、タ、ナ」
 トウオムアも、口の中でカタナ、とつぶやいてみる。
 それがハヤトにとって、命よりもたいせつなものらしいことが、今初めて分かった気がした。
 トウオムアが通訳するまでもなく、トシタベはハヤトの意図を理解したらしい。
 おもむろにうなずくと、あらためてトウオムアを振り向いた。
「今夜もう一晩、やつに休養を与える。あしたの朝、日が東の山際から顔を出したとき、南北に走るキャンプの中央通路で、一騎討ちを始める。おれは、馬を用意する。そうしたければ、ハヤトにも用意するように、と言ってやれ」
 トウオムアは、トシタベが言ったとおりに、ハヤトに伝えた。
 さらに、馬が必要ならキーマを使っていい、と付け加える。
 話が終わるのを待って、トシタベはくるりと向きを変え、もどり始めた。
 そのあとに従いながら、トウオムアはただ一つのことを、思い悩んでいた。
 ハヤトに吹き針の隠しわざがあることを、トシタベに告げるべきだろうか、と。

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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