ブラック・ムーン第十九回

 その夜。
 ブラック・ムーンとハヤトは、クリント・ボナーと同じホテル・アビリーンに、泊まることにした。
 ケムカの話は、幼いだけに順序立っておらず、襲撃の全貌は不明だった。
 ただ、族長のトシタベが死んだことと、サモナサが連れ去られたことだけは、確かなようだ。
 ブラック・ムーンは、少しのあいだ迷った。
 結局、襲われたキャンプに夜間もどっても、混乱を招くだけだと判断する。
 サモナサをさらった捜索隊は、とうに逃げ去ったはずだ。追跡には、かなりの時間がかかるし、今さらあわてても始まらない。
 襲撃の手を逃れた女子供、老人や病人たちも、様子を見にもどるのは、夜が明けてからだろう。
 ケムカによれば、トシタベは捜索隊が襲って来たとき、サモナサを守ろうとして、果敢に戦ったらしい。なんとか、敵を二人倒したものの、背後からまともに弾を食らって、絶命したという。
 その話に、ブラック・ムーンもさすがに、落ち込んだ。不本意とはいえ、トシタベと一緒に暮らした日々に、思い出がないわけではないのだ。
 トシタベは頑固な男だったが、ブラック・ムーンにはやさしかった。何かと、白い目を向けてくる部族の連中からも、しっかりと守ってくれた。
 しかし、今となってはトシタベの死よりも、サモナサを奪われたことの方が、ショックだった。
 もし可能なら、サモナサを取り返すときに、併せてトシタベの仇を討つ。それくらいしか、できることはないだろう。
 ケムカを、自分の部屋で寝かしつけたあと、ブラック・ムーンはハヤトとボナーがいる、隣の部屋に足を運んだ。
 そこで、あらためてボナーに、助っ人の相談を持ちかけた。
 ハヤトと一緒に、サモナサ救出の手助けをしてもらおうと、その理由と背景を詳しく話した。
 まず、牧場主で自分の父親でもある、ジョシュア・ブラックマンとの、息子サモナサを巡る確執について、ひととおり説明する。
 だれにせよ、サモナサを見つけて連れ帰った者に、多額の報奨金(ほうしょうきん)を出すと父親が約束して、カウボーイや無法者を駆り集めたこと。
 その結果、大小いくつかの捜索隊が次つぎに組織され、西部各地に送り出されたこと。
 すでに二度、サモナサをさらわれる危機に瀕(ひん)したが、そのたびにハヤトの助けを借り、切り抜けてきたこと、などなど。
 しかし今回は、かなりの規模と思われる捜索隊に襲われ、ついにサモナサを奪われてしまった。
「これまでは、ハヤトのおかげでなんとかしのいだけど、今度ばかりは相手が多すぎるみたいだわ。二人だけでは、どうにもならない。もしあんたが、あたしたちに手を貸してくれたら、サモナサを取りもどせるかもしれない。考えてくれないかしら」
 ブラック・ムーンがそう持ちかけると、それまで黙って聞いていたハヤトが、ボナーに言った。
「あんたが、賞金稼ぎで飯を食っていることは、よく承知している。この仕事に手を貸しても、金にならないことはおれが請け合う」
 もし、それが口添えのつもりだとしたら、とんでもない口添えだった。
 ボナーは、にこりともせずに、肩をすくめた。
「つまり、おれにただ働きをしろ、というわけか」
「そうだ。稼ぎが目当てなら、サモナサを連中の手から取りもどして、ブラックマン牧場へ送り届けた方が、よほど金になる」
 真顔でそう言うハヤトに、ボナーと一緒にブラック・ムーンも、思わず苦笑した。 ボナーが、肩をすくめて言う。
「もし、おれがそのとおりにしたら、どうするつもりだ」
「そのときは、おれがあんたを殺してでも、サモナサを取りもどす」
 言下に応じたハヤトに、ボナーは少し黙ったあとで、おもむろに続けた。
「あんたは、この女に惚れているのか。あんたには、ユラがいるはずだぞ」
 唐突なその指摘に、一瞬ハヤトの頬がぴくりとするのを、ブラック・ムーンは見逃さなかった。
 ハヤトがどう答えるか、自分自身も興味があった。
 ハヤトは、ほとんど口を動かさずに言った。
「そんなことは、なんの関係もない。おれの国には、ギヲミテセザルハユウナキナリ、という言葉がある」
 よく聞き取れないその言葉に、ブラック・ムーンは一瞬困惑した。
「ギヲミテ、なんだと。どういう意味だ」
 ボナーが、口ごもりながら聞き返すと、ハヤトは薄笑いを浮かべた。
「あんたの国には、こういう言葉はたぶんないだろう。おれにも、うまく説明できない。とにかく、困っている者をほうってはおけない、ということだ」
 ハヤトが言いきると、ボナーはしばらく黙り込み、何か考えていた。
 やがて、ジョッキに残ったビールを飲み干し、ブラック・ムーンに質問した。
「しかし、あんたのおやじは孫のサモナサに、一度も会ったことがないはずだ。だれかが報奨金目当てに、別のインディアンの子供を連れて行っても、本物かどうか見分けがつくまい」
 ブラック・ムーンも、そのことを考えないではなかった。
「あたしにも、父親が自分の孫をどう見分けるつもりか、分からないわ。サモナサを問いただしても、要領をえないだろうし。せいぜい捜索隊に、サモナサをさらったとき、そばにあたしらしき女がいたかどうか、確かめるくらいしかないわね」
 それから、ふと思い出すことがあって、愕然とする。
「そうだ、もう一つある。サモナサがはいているモカシン(鹿皮の靴)は、あたしが作ってやったの。その内側に、サモナサとあたしの名前、生年月日、それにあたしの母親の名前と、生没年月日を縫い込んでおいたわ。父親がそれを見れば、サモナサを自分の孫だと、確信するでしょうね」
 そこで言葉を切り、さりげなく付け加える。
「もし、父親が自分の妻の命日を、忘れてさえいなければ、だけど」
 それを聞くと、ボナーは指を立てた。
「すると、あんたの父親がその縫い込みに気がつけば、サモナサを実の孫と信じるわけだな」
「ええ、たぶんね」
 今まで、そのことを失念していたのは、あまりにもうかつだった。
 あのモカシンを、ほかのものと取り替えておけば、かりにサモナサが父親の手に渡っても、実の孫だと判断する材料は、何もなかったはずだ。
 それとも、父親はそれを確かめる別の材料を、何か持っているのだろうか。
 ハヤトが言う。
「どちらにしても、サモナサが牧場へ連れて行かれる前に、取り返せばいいのだ」
 ボナーは、すぐにうなずいた。
「分かった。そういうことなら、おれも損得抜きで手を貸そう。お尋ね者を追う仕事にも、少しばかりあきたしな」
「ありがとう、ボナー」
 ブラック・ムーンは、両手の甲を上に向けてそろえ、弧を描くようにして前へおろした。感謝を表す、インディアンのしぐさだった。
 ボナーは、少し考えていた。
 あらためて、口を開く。
「ただ、おれたち追っ手の数が、二人から三人に増えたところで、たいした変わりはない。むしろ、望みがあるとすれば、サモナサをさらった捜索隊の人数が、減ることだ。報奨金が、いくら出るかは知らないが、隊員の数が多ければ多いほど、一人あたりの分け前は少なくなる。だとすれば、仲間割れして人数が減ることも、期待できなくはないだろう」
 ブラック・ムーンも、実はそのことを考えていた。ボナーは賞金稼ぎだけあって、さすがに目のつけどころが違う。
 ブラック・ムーンは言った。
「あるいは、捜索隊を率いる隊長らしき者がいて、その男が自分で隊員を集めたとしたら、それはそれで望みがあるわ。サモナサをさらったあと、隊長が隊員たちに約束した手当を払って、人数を減らすことも考えられる。牧場へ送り届けるだけなら、気心の知れた手下が三、四人いれば足りるはずだし」
 ボナーがうなずく。
「それも、大いにありうるな。そのほか、サモナサを手に入れたことを聞きつけて、横取りしようとするやつらが現れる可能性も、勘定に入れておく必要がある」
「そのどさくさに、おれたちが付け込むわけか」
 ハヤトが口を挟むと、ボナーはもう一度うなずいた。
「そうだ。こいつはけっこう、ややこしい仕事になるかもしれんな」
 ボナーが、なぜこんな割に合わない、というよりまったく金にならない、ただ働きの仕事を引き受けたのか、ブラック・ムーンには分からなかった。
 ボナーにしてみれば、冗談交じりにハヤトが口にした方法で、父親から大金を引き出すことも、やれないわけではないのだ。
 ボナーの本心がどうであれ、そのことだけは覚えておく必要がある。
 話し合いの最後に、ブラック・ムーンは言った。
「一つだけ、あんたたちに言っておくことがあるわ。これからは、あたしをトウオムア、とは呼ばないでほしいの。コマンチから縁を切られた以上、その名前はふさわしくないから」
「では、なんと呼べばいい」
 ハヤトの問いに、ブラック・ムーンは応じた。
「本名はダイアナ・ブラックマンだけど、今さら純粋の白人にもどれないことも、分かってるの。だから、トウオムアを英語に直して、ブラック・ムーン、と呼んでちょうだい」
 それは、キャンプを追われたときから、ひそかに決めていたことだった。
 明けて二月二日、金曜日。
 一行は日の出の三十分前、朝七時過ぎにホテルを出て、南へ向かった。
 この時季のカンザスは、風が強く気温もかなり低い。雪もよいでないのが、せめてもの救いだった。三人は、夜着兼用の毛皮のコートを、体に巻きつけた。
 ブラック・ムーンは、ケムカを自分の鞍の前に乗せ、コートでくるんでやった。
 アビリーンを出て、およそ四マイル。
 一昨夜まで、ハヤトとキャンプを張っていた場所を、通り過ぎた。
 それまでの数日間、寒さをこらえつつ野営していたものの、しだいに空模様があやしくなったため、前日アビリーンへ移ったのだった。
 そのあいだ、ケムカは三日に一度くらい、様子を見に来ていた。念のため、自分たちがいないときは、アビリーンに行っているはずだ、と教えておいたのだ。
 そこから、コマンチのキャンプ地までは、南へ二マイルほどだった。
 アビリーンを出たあと、馬に少し無理をさせて急いだこともあり、一時間足らずでキャンプ地の近くに、到着した。
 姿を見られぬように、北側に生い茂った潅木のあいだから、様子をうかがう。
 むろん、襲撃して来た連中はとうに姿を消し、燃え残ったティピー(テント)があちこちに、点在しているだけだった。
 隠れたり、逃げたりした女子供や老人たちが、三々五々もどって来つつあった。
 これから、無事だった家財道具や食糧、馬を集めるなどして、新たなキャンプ地を探すことになるだろう。
 逃げて行く捜索隊を、追いかけた戦士も何人かいたらしい。しかし、結局は手出しできなかったとみえ、むなしく引き返して来たようだ。
 ブラック・ムーンは、ボナーから双眼鏡を借りて、焼け残ったキャンプのあちこちを、丹念に目で追った。
 族長でもあり、夫でもあったトシタベの遺体は、見つからなかった。
 怪我人は、かなり多いように思われたが、死者は予想したほどではなかった。
 捜索隊の目的は、少なくともコマンチを殺戮(さつりく)することではなく、サモナサを見つけて連れ去ることだから、それは当然だろう。
 逆に、返り討ちにあった捜索隊の隊員らしい、白人の死体も二つか三つ、認められた。
 レンズの中を、ケムカの母親アグールの姿が、ちらりとかすめる。
 アグールは何かを捜すように、焦げたティピーとティピのあいだを、歩き回っていた。
 おそらく、ケムカを捜しているのだろう。
 ブラック・ムーンは、そばに立つケムカに言った。
「安心して、ケムカ。あんたのナーベア(母親)は、無事でいるわ。あそこの、焼けずにてっぺんまで残ったティピーの、入り口に立っている。あんたを捜してるのよ。見てごらんなさい」
 背後から、双眼鏡をケムカの目に当ててやり、だいたいの方向へ向ける。
 ケムカは、自分で双眼鏡に手を添え、あちこち動かした。
 やがて、うれしそうに言う。
「ナーベア、いた」
 ブラック・ムーンは、双眼鏡を取ってボナーに返した。
 あらためて、ケムカに話しかける。
「もう、悪いやつらは、もどって来ないわ。アグールのところ、あんたのナーベアのところへ、もどりなさい」
 ケムカは、ブラック・ムーンを見上げた。
「トウオムアは、もどらないの」
「今は、もどれないわ。サモナサを、捜しに行かなければならないから」
 トシタベが死んだ今、キャンプに残っているのは、自分に好意を抱いていない、白人嫌いの連中が、ほとんどだ。
 もはや、コマンチのキャンプにもどることは、ないだろう。
 ブラック・ムーンは、自分で作ったビーズの首飾りをはずし、ケムカの首にかけ直した。
「これを、サモナサとあたしだと思って、だいじにしてちょうだい。あんたやトワシのことは、忘れないわ。あんたも、サモナサとあたしのことを、忘れないでね」
 ケムカは、首飾りをぎゅっと握り締め、こくりとうなずいた。
「さあ、行きなさい」
 そう言って、ブラック・ムーンは茂みのあいだから、ケムカをキャンプ地の方へ押し出した。
 五分後、ブラック・ムーンはハヤトとボナーの先に立って、平原を西へ向かった。 カンザス州は、コマンチとともにバファロー狩りで、あちこち何度も移動しており、道筋がよく頭にはいっている。
 キャンプ地を離れたところで、馬首を南西の方角に変えた。
 サンタフェ街道に出て、そのまま道なりに走り続ければ、近ごろできたばかりの小さな町、ダッジ・シティにぶつかる。
 街道沿いの、東五マイルのあたりに位置するダッジ砦の、兵士たちの唯一の気晴らし場所、といわれる。
 ダッジ・シティを出ると、少し先の左手に南西へまっすぐ延びる、シマロン・カットオフ(近道)の入り口がある。それを利用すれば、コロラド準州の南東の角と、インディアン・テリトリー(先住民特別保護区/現在のオクラホマ州)の西端をかすめて、ニューメキシコ準州の北東の角に、はいることができる。
 そこから、ふたたびサンタフェ街道に合流すれば、一本道でサンタフェに達する。 サンタフェから、ブラックマン牧場のあるシルバー・シティ近郊までは、さらに数日みておかなければなるまい。牧場は、アリゾナ準州との州境に近い、州南西部の隅に位置している。
 例の捜索隊も、おそらくそのルートをたどる、と思われる。
 コマンチのキャンプ地を、ほとんど潰滅させたところからすると、捜索隊は五、六人程度の人数ではなく、少なくとも十数人はいたはずだ。それもおそらく、射撃の腕の立つ連中ぞろいだろう。
 捜索隊を、だれが率いているか分からないが、そうした連中を統率するからには、ただのガンマンではあるまい。
 前夜の話ではないが、少しでも隊員の数が減っているように、祈らずにはいられない。
 いずれにせよ、サモナサの奪回には、慎重な作戦が必要だ。

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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