ブラック・ムーン第十五回

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 一八七二年、一月十五日(明治四年十二月六日)、午前八時三十分。
 日がのぼるにつれて、サンフランシスコ湾にかかった濃い霧(きり)が、少しずつ薄れていく。
 外交使節団が乗ったアメリカ号は、湾と太平洋をつなぐ金門(ゴールデン・ゲイト)の瀬戸を目指して、ゆっくりと進んだ。
 日の出前から、甲板に群がり始めた団員たちに交じって、時枝新一郎(ときえだしんいちろう)も湾の奥に連なる山やまに、目を向けた。霧がはれるにつれて、真正面に差しのぼる朝日が、しだいに輝きを増す。
 ただこちらの霧は、日本のそれと比べてどことなく濃く、重い感じがする。日本では、霧のほかに靄(もや)、霞(かすみ)といった呼び名もあり、それぞれ区別されている。アメリカでも、そうした言い分けがあるのだろうか。
 ともかく、そのせいか日はのぼっても、頭上に広がる空は日本晴れとはほど遠く、寒さばかりが身にしみた。
 二十日間を超える、初めての長い船旅の苦労が報われて、新一郎は体に活力がみなぎるのを覚えた。
 近づいてくる、金門の瀬戸に目を凝らす。
 幅はおよそ五町ほどか、こちらの単位にすれば三分の一哩(マイル)、といったところだろう。さして広くないうえ、潮の流れがかなり速いところをみると、深さもそれほどではないようだ。
 さすがに感慨を覚えて、新一郎は腕を組んだ。
 さまざまな思いが、頭の中を駆け巡る。
 明治二年五月の箱館(はこだて)戦争で、土方歳三(ひじかたとしぞう)は側頭部に鉄砲玉を食らい、深手を負った。
 新一郎は、喪心したままの土方歳三を、箱館湾に停泊中の米国船、セント・ポール号に運び込んで、アメリカへ密航させる決断をした。もともとは、歳三が新一郎を密航させるつもりで、手筈をととのえていた船だった。
 当初、船長のジム・ケインは、怪我人を乗せたくないと言って、歳三の乗船を渋った。
 新一郎は、礼金をさらに上乗せして、自分のかわりに歳三を密航させるよう、船長を説得した。もし、新政府軍によって捕らえられれば、歳三は死罪を免れぬと分かっていたからだ。
 出港のおり、歳三の世話役、付添役として妹のゆらを、一緒に送り出した。
 というより、歳三を運び込んだ船にゆらを置き去りにして、無理やり同行させたのだ。歳三をただ一人、米国人の手にゆだねるのが不安で、そうせざるをえなかった。
 その心中は、船長に託したゆら宛の手紙で、意を尽くしたつもりだ。ゆらがそれを理解したことは、以後の手紙のやりとりで分かっている。船長も、最後には新一郎の意を組んで、ゆらと歳三のために何かと、便宜を図ってくれたようだ。
 ともかく、そのときからすでに二年半が、過ぎてしまった。
 ゆらは歳三とともに、サンフランシスコの下宿屋に腰を落ち着け、おりに触れて便りをよこした。ただ、間隔があきすぎていることもあって、要領を得ないことが多かった。
 今のところはっきりしているのは、船中で正気を取りもどした歳三が、それまでの記憶をすっかりなくしていた、ということだけだった。
 近藤勇(こんどういさみ)とともに、新選組を結成して副長を務めたことも、五稜郭(ごりょうかく)を本陣に新政府軍と一戦を交えたことも、歳三はいっさい思い出せないらしい。側頭部に負った銃創によって、引き起こされた症状のようだ。
 ただ、なぜか読み書きを含む言葉や習慣、判断力や理解力は残っている。
 それ以外は、自分の名前もひとの名前も忘れ、場所や土地の名称も思い出せず、しばらくは話が通じなかった、という。
 船医によれば、そうした記憶の喪失はままあることで、時がたてば治る場合が多いという。ただしいつ、どういうきっかけで記憶がもどるかは、だれにも分からないそうだ。現に、歳三の記憶がもどったとの知らせは、これまでのところ届いていない。 それに加えて、間なしに歳三とゆらは密入国したことがばれ、アメリカの役人たちに追い回されて、あちこち逃げ惑うはめになったそうだ。
 そのあげく、一年半ほど前に二人はアメリカ西部の、ネヴァダとかいう地方のどこかで、離ればなれになってしまった。
 それ以来、ゆらは歳三と出会っておらず、消息も聞かないという。
 万一のときは、最初に寄宿したサンフランシスコの下宿屋、グロリアズ・ロッジを中継ぎの場所にする、と決めてあったとのことだ。
 しかし、ゆらが書いてよこした最後の便りには、相変わらず歳三からなんの音沙汰もなく、無事でいるのかどうかも分からない、とあった。
 メイスン&ヒル商会を通じて、新一郎がアメリカへ脱出させた高脇正作(たかわきしょうさく)は、いろいろと紆余曲折(うよきょくせつ)があったものの、今はサンフランシスコの本社で働いている、という。手紙でははっきりしないが、渡米した正作は歳三ともゆらともそりが合わず、なんらかのいざこざがあったと思われる。じかに会って話せば、もう少し詳しい様子が知れるだろう。
 ともかく、自分が外交使節団とともに渡米することは、すでにゆらに手紙で知らせてある。ゆらは、新一郎が使節団の団員の一人として、アメリカに渡るものと思っていたようだが、そうでないことも伝えておいた。
 今回の外交使節団は、開国以来日本が結んできた欧米諸国との、あまりに不平等な修好通商条約を改正するため、派遣されるものだと聞いている。その沙汰は、つい二月ほど前に、出されたようだ。
 それを聞きつけた、メイスン&ヒル商会の日本支社長、ディック・ペイジはただちに、アメリカへ一時帰国することを決めた。
 使節団は、特命全権大使の岩倉具視(いわくらともみ)以下、木戸孝允(きどたかよし)ら四名の副使に加えて理事官、書記官などの随行員を含む、五十名前後の団員で構成されている。むろん、身の回りの世話をする従者は、その数にはいっていない。
 さらに、四十人を超える公費、私費の留学生が同行するほか、海外留学や海外視察の経験のある者、それに日本語と英語ないし和蘭(オランダ)語を話す、通詞も加わっている。
 ペイジは、どういうつてを頼ったかは知らないが、アメリカ領事館の筋に渡りをつけ、自分と新一郎を使節団の船に便乗させることに、成功した。ペイジも新一郎も、ある程度互いの国の言葉が分かるので、船内での通詞添役として売り込んだようだ。 ペイジは、新一郎を単なる社の通詞としてだけではなく、商才もあると認めてくれていたらしい。社長の、ポール・メイスンの了解のもと、アメリカで見聞を広げさせるねらいも、あるとのことだった。
 むろん新一郎に、否やはなかった。仕事もさることながら、アメリカに渡れば歳三やゆらに会い、無事を確かめることができるのだ。
 いつの間にか、甲板は団員の群れでいっぱいになり、あちこちで話に花が咲いていた。
 団員は、岩倉大使などごく少数の者を除き、ほとんどが洋装だった。頭も髷(まげ)を落とし、散切りにしている。
 むろん、新一郎もその一人だったが、外資の商社勤めのおかげで、髪も服も洋風に慣れていたから、まずは見苦しくない格好になったはずだ。
 団員の中でも海外留学、海外駐在の経験者が多い書記官たちは、それなりにきちんとした装いだった。
 しかし、それより身分が上の理事官たちは、そうした経験のある者が少なかった。 そのため、急ごしらえの洋装が体になじまず、袖や裾がつんつるてんだったり、逆にぶかぶかだったりと、こっけいないでたちが目立った。
 そもそも、洋行の支度をした横浜の店では、日本人の小さな体に合うような、洋服も靴も売っていない。
 ことに靴は大きすぎ、詰め物をしてはく者が続出したため、歩き方がぎくしゃくしている。中には、子供用の靴を買い求めた者もおり、そちらの方がまだましなようだった。
 そのほかにも、船内での洋食の食べ方が分からぬことから、とまどう者が少なくなかった。
 とりわけ、ふだんいばっている理事官たちは、洋行を経験した書記官たちから、嘲笑(ちょうしょう)を浴びるはめになった。
 さらに前夜、荷物の中に酒や宝飾品がはいっていると、入国するときに役人に税を取られる、との説明があった。そのため、そうした貴重品を服や体に隠そうと、四苦八苦する者が現れた。
 それやこれやで、薩摩長州の出身者を中心とする上級団員と、旧幕臣の多い下級団員のあいだに、何かともめごとが発生しがちだった。
 同じ旧幕臣でも、新選組に籍を置いていた新一郎は、前歴がばれると不都合なこともあり、日常の簡単な通弁の仕事を務める以外は、団員たちと距離をおくようにしていた。
 さいわい、団員の中に知った顔は一人もおらず、船旅は何ごともなく終わった。
 思いもしなかったのは、同乗している海外留学生の中に、女が五人交じっていたことだ。女といっても、十代半ばの年長組が二人に、まだ子供のような女子が三人、という顔触れだった。
 聞くところによると、北海道開拓使の次官黒田清隆(くろだきよたか)が前年、道開拓の事業を推進する参考にしようと、アメリカで進む西部開拓の実情を、視察したという。
 そのおり、アメリカでは女が男に伍して、いろいろな仕事をこなしている、と分かった。
 それを見て、これからは女子にも教育が必要だ、と痛感した黒田は、使節団派遣が決まるとともに、広く女子留学生を募集した。
 全費用を、国が負担するという条件だったが、留学期間が十年と長いこともあり、最初は一人も応募者がなかった、という。
 二度目の募集で、ようやく集まったのがその五人だ、とのことだった。
 そろって、稚児髷(ちごまげ)に振袖といういでたちだったが、いずれも初めての外国旅行に、緊張の色を隠せなかった。
 女たちは五人とも、旧幕臣の家柄の出だという。元薩摩藩士ながら、箱館戦争のおりに榎本武揚(えのもとたけあき)の助命を嘆願した、黒田らしい取り計らいだった。
 ことに、賊軍の一番手だった会津松平(あいづまつだいら)家から、家老職の山川(やまかわ)家の娘捨松(すてまつ)を選んだのは、なかなかの見識だと思う。
 とはいえその黒田も、新一郎が箱館で敵対した元新選組隊士と知れば、アメリカ号への乗船に横槍を入れたかもしれぬ。
 それを考えると、新一郎は微苦笑を禁じえなかった。
 長い待機時間をへて、アメリカ号は金門の瀬戸を抜け、サンフランシスコの湾内にはいった。
 すると、突然どこからか大砲を撃つ音が聞こえ、一瞬船上が静まった。
 砲声は、それから断続的に二発、三発と続き、十数発に及んだ。どうやらそれは、日本の外交使節団の到着を歓迎する、祝砲のようだった。
 使節団の上陸は、午前十時過ぎから行なわれた。
 随行の者たちから始まり、しだいに身分の高い者たちに移って、留学生やそれ以外の同乗者は、最後に回された。
 ペイジとともに、新一郎は最後尾の一団に交じって、桟橋を渡った。
 上陸に当たって、パスポートと称する旅行印章の照合があり、さらに手荷物改めが行なわれた。
 そこにいたって、それまではわりと調子よく進んでいたのに、にわかに人の列がとどこおり始めた。
 役人が、改め台に何人も横長に並んで、一人ずつ手荷物を調べる。そのため、それぞれの役人の前に、長い行列ができた。
 すると、ペイジはすばやく人込みを抜けて、台の端に行った。
 そこで、見張りをしていた大柄な男に声をかけ、小さな包みを手渡す。そうしながら、背後の新一郎を親指で示して、自分の連れだというように、うなずいてみせる。 すると男は、すばやく紙包みを隠しにしまい、親指で先へ進めという合図をした。 ペイジは、新一郎にさりげなく顎をしゃくり、台を離れてさっさと歩きだした。どうやら係の役人に、袖の下をつかませたようだ。
 新一郎は、笑いを噛み殺した。アメリカの役人も、日本と変わりがないようだ。
 待合室は、人込みでごった返していた。
 その中で、隅の方に高だかと掲げられた横断幕を、ペイジが目ざとく見つけた。
 幕には、つぎのように書いてあった。

〈Mason & Hill Trading Co./Welcome Back, Mr.Richard Page〉

 リチャードは、ディックの正式名だ。
 ペイジが、人込みを掻き分けながら、横断幕の方へ歩きだす。
 新一郎も、ペイジの上着の裾をつかむようにして、そのあとに続いた。
 真っ先に目にはいったのは、横断幕の下に立つ人びとに交じって手を振る、ゆらの姿だった。襞(ひだ)のついた長い袴(はかま)のような、洋式の服を身につけている。
 ゆらは、新一郎を見つけるなり袴の脇を持ち上げ、駆け寄って来た。
 兄上、と呼びながら両手を広げて、首にかじりつく。
 新一郎は驚き、たじたじとなって鞄を床に落とした。
「おい、おい。はしたないぞ、ゆら。人前で、ばかなまねをするでない」
 ささやきながら、それとなくあたりの様子をうかがうと、あちらでもこちらでも男女が抱き合い、口など吸い合っているのが目にはいる。
 横浜ではときどき見かける、キッスというやつだ。
 ゆらが上体を離し、新一郎を見上げる。
「気にすることはありませんよ、兄上。こちらでは、遠慮しなくてよいのです」
「しかし」
 言いかけて、新一郎はゆらの背後を見た。
 洋服を着た高脇正作が、なんとなくばつの悪そうな顔をして、山高帽を上げてみせる。
 新一郎はゆらを押しのけ、正作が近づくのを待った。
 正作は、片足を引きずるような歩き方で、そばにやって来た。
 右手を差し出して言う。
「ご無沙汰しています。船旅はいかがでしたか」
 新一郎は、いくらか面映ゆい思いをしながら、その手を握り返した。握手は初めてではないが、日本人同士ではめったにしなかった。
「いささか、くたびれた。おぬしこそ、元気そうで何よりだ」
 正作が、困ったような笑みを浮かべる。
「まあ、なんとかやっております」
 新一郎はゆらに、土方歳三のことを聞こうとしたが、正作がいるのでやめた。
 正作をアメリカへ送り出すとき、ゆらと一緒にいる男が歳三だということを、伏せておいたのだ。
 そのために歳三とのあいだが、ぎくしゃくしたのかもしれない。まして、歳三が日本での記憶を失っているとすれば、話が噛み合うとも思われなかった。
 それやこれやで、のっけから歳三の消息を尋ねるのは、さすがにはばかられた。
 ペイジは、迎えに来た本社の重役らしい男たち、そして妻や家族と思われる人びとと、握手したり抱き合ったりして、再会を祝していた。
 それから、新一郎を自分たちのそばに呼び寄せて、互いに引き合わせる。
 いちいち握手しなければならず、新一郎は少々わずらわしい思いをしたが、こちらの習わしだとすれば、従わざるをえない。
 一段落すると、ゆらが新一郎にささやいた。
「今日の段取りは、どうなっておりますか」
「昼はペイジたちと昼餉(ひるげ)、つまりランチをとることになっている。夜は別に、何もない」
「それでは、夜はわたくしが働いている〈ピンキー〉で、ウェルカム・レセプション(歓迎会)を開きましょう」

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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