ブラック・ムーン第十二回

 一八七一年、三月二十一日火曜日、サンフランシスコ。
 ユラ・トキエダが言う。
「極上肉のステーキを、二人前お願いね。両方とも、トウモロコシのスープに、野菜サラダをつけてちょうだい」
「オーケー」
 ユラから注文書を受け取り、ピンキーはその中身を復唱して、キッチンのカウンターに置いた。
 レストラン〈ピンキー〉をオープンして、この日でちょうど一週間になる。
 場所は、サンフランシスコの繁華街ブロードウェイと、モンゴメリー通りの交差点に近い裏通りで、土地がらは悪くない。店の隣には父親の営む精肉店、〈エイブラムの肉屋〉がある。
 前年の十一月一日。
 ピンキーは、二十歳の誕生日を迎えたその日に、別れわかれになっていた両親と弟に、約束どおりこの町で再会した。
 一家は南北戦争の終結直前、奴隷(どれい)だったテキサスの白人の牧場から、脱走した。
 目立つのを避けるために、途中からピンキーだけが一家と別れて、単独行動をとった。
 そのとき、五年後のピンキーの誕生日に、サンフランシスコで再会する、と約束したのだった。
 サンフランシスコというだけで、落ち合う場所までは決めていなかったのだが、ひょんなことからさほど時間をかけずに、巡り会うことができた。
 たまたまその日、マーケット通りにある市の公民館の前で、黒人の参政権獲得を祝う集会が、開かれた。
 サンフランシスコには、黒人ばかりでなくメキシコ人など、有色人種も数多く住んでおり、例のQQQのような過激な人種差別の組織、団体は活動していなかった。
 公民館の前に置かれたステージでは、黒人の権利獲得を喜ぶ人びとが入れかわり立ちかわり、演説をぶっていた。
 ピンキーも、思い切ってそのステージにのぼり、QQQの捕虜(ほりょ)になって連れ回された経験を、率直に語った。
 予想どおり、演説を始めて五分とたたないうちに、ステージの前になつかしい両親と弟が、満面の笑みを浮かべて顔をそろえた。三人もまた、この集会にピンキーがやって来るに違いない、と確信していたらしい。
 ちなみに、父親の名はエイブラム・ピンクマン、四十四歳。
 母親はマーナ、四十三歳。
 弟はチャーリー(チャールズの愛称)といい、すでに十三歳になっていた。
 驚いたことに、三人ともテキサスの奴隷時代とは打って変わって、こざっぱりした服装をしていた。
 それには、わけがあった。
 とりあえずピンキーは、一緒に集会に来ていたユラを、家族に紹介した。
 詳しい話はあと回しにして、とりあえずユラと行動をともにしてきた、これまでのいきさつだけを、手短に話した。
 そのあと、五人で近くのレストランに席を取り、この五年間に起きたもろもろの出来事を、互いに報告し合った。
 ピンキーと別れたあと、一家は黒人差別が少ないと聞く北部へ、まっすぐ向かったという。
 エイブラムは、そのころ急激に活発化し始めた鉄道建設の、工事現場で線路工夫として働き、食いぶちを稼いだ。
 妻のマーナも、同じ現場の食堂で賄い婦の仕事にたずさわり、一家でなんとか食いつないだのだった。
 そのあげく、三人は三年ほど前にカリフォルニアに移り、サンフランシスコをへて北部のサクラメントに、腰を落ち着けたという。
 サクラメント周辺は、一八四八年に大規模な金鉱が発見され、翌年からいわゆるフォーティナイナーズ('49s)、と呼ばれる金鉱探したちが大挙して、押し寄せた地域だ。
 その結果、ゴールドラッシュが始まったわけだが、父親たちが着いたときにはすでに、ブームは去っていた。ただ、あきらめきれない連中が細ぼそと、砂金を探しているだけだった。
 エイブラムも、開放区の川にはいって鉄鍋に砂利をすくい、砂金を探す作業を始めた。
 しかし、労力に見合うだけの成果は、なかなか上がらなかった。
 一進一退を繰り返した結果、線路工夫でためたなけなしの金、二百ドルの四割近くを、食いつぶしてしまった。
 そんなとき、すぐ近くでだいぶ前に金を掘り当て、長年採掘を続けていたドミンゲス、という老人が一家に声をかけてきた。
 もういい年なので、そろそろ金探しから引退したい。ついては、自分の鉱区の採掘権を買ってくれないか、というのだった。
 そのとき、老人は正直にこう言った。
 すでに、あらかた採り尽くしたあとなので、鉱区から今後金がたくさん見つかることは、まずあるまい。
 ただし、こうも付け加えた。
 鉱区内には、まだ手をつけていない場所が、何カ所かある。そこから、新たな鉱脈が見つからない、とは言いきれない。
 権利の譲渡料は、五十ドルでいいという。
 採掘権の売値としては、あらかた掘り尽くされたあととはいえ、かなりの安値だ。 しかし、手持ちの金が少なくなった一家にとっては、五十ドルといえどもかなりの大金だった。
 マーナははなから、その話に反対した。
 しかしエイブラムは、最後の賭けに挑戦するべきだと言って、権利の購入を主張した。マーナが反対するなら、自分一人でも鉱区に残って、採掘を続けるとまで言った。
 マーナは根負けして、目減りした生活費の中から五十ドルを出し、エイブラムに権利証を買ってやった。
 ただ、自分はもはや採掘を続ける気がなく、チャーリーを連れてサンフランシスコにもどる、と言った。
 そんなわけで、鉱区に残ったエイブラムはたった一人で、金を探し続けた。
 そして一年後、エイブラムはドミンゲスが手をつけていなかった、なんのへんてつもないガレ場から、金を含む鉱石の塊をいくつか、掘り出したのだ。鉱脈、というほどの規模ではなく、それ以上の金は見つからなかった。
 たいした量ではなかったが、エイブラムはサクラメントまで行き、アセイ・オフィス(鉱物分析所)で、その鉱石を分析してもらった。
 すると、わりあいに純度が高いことが分かり、換金した結果アーロンの取り分は、二千ドルほどになった。
エイブラムは、それで採掘に見切りをつけ、鉱区の採掘権を別の男に百ドルで、転売した。
 サンフランシスコにもどると、エイブラムはその金をそっくり、マーナに渡した。
 それがおよそ、一年前のことだった。
 一年前といえば、ピンキーがユラとともにハヤトを探して、ネヴァダの東部から南西の町を、巡歴していたころだ。家族が、そのような幸運に恵まれたとは、夢にも思っていなかった。
 ともかく二千ドルといえば、もと奴隷だったピンクマン一家にとって、目にしたこともない大金だ。
 エイブラムとマーナは、その二千ドルを元手にして、とりあえず小さな肉屋を始めた。
 それには、それなりの理由があった、という。
 前年の一八六九年の五月に、東西の海岸をつなぐ大陸横断鉄道が、開通していた。 そして今また、カンザス・シティからアビリーンをへて、デンヴァーに達するカンザス・パシフィック鉄道、さらにカンザス州のトピーカからニュートン、ダッジ・シティをへて西海岸へつながる、新たな鉄道が建設中だった。
 すでに、テキサス南部の牧畜業者によって、チザム・トレイルやウェスタン・トレイルなどの、牛の大群を北の鉄道駅へ運ぶ、安全な輸送ルートが開かれていた。
 これらのルートと、新たな鉄道の駅がうまく接続されれば、西海岸にも大量の牛が定期的、かつ迅速に供給されることになり、牛肉がどんどん市場に出回るはずだ。
 それを見込んで、エイブラムはまず肉屋を始めたのだ、とうそぶいた。
 その読みは、みごとに図に当たったごとく、商売はのっけから軌道に乗って、〈エイブラムの肉屋〉は大いに繁盛している、という。
 このいきさつを聞いたピンキーは、学問のない元奴隷の父親の着眼に、舌を巻いてしまった。
 その結果、ピンキーは早ばやと、父親の仕事を手伝う気になったのだった。
 チャイナタウンに開いた小さな肉屋は、半年もしないうちに手狭になった。
 今では、にぎやかな通りに場所を移し、より大きな精肉店に衣替えしていた。
 そして、年が明けたこの二月の半ば。
 店の隣にあった小さな賭博場が、ルーレットに違法な仕掛けをしたことがばれ、警察から営業停止をくらって閉店する、という事件が発生した。
 エイブラムは、ただちにその建物のオーナーと話をつけ、店を借り受けることに成功した。
 そのうえで、ピンキーに小さな食堂を開くように、勧めたのだった。
 ピンキーに、否やはなかった。
 セント・ポール号で、ジム・ケイン船長のために、毎日のように食事を用意した経験から、料理には自信があった。
 それが、役に立つときが来たのだ。
 そして一週間前、ユラをウエートレスとして正式に雇い、レストラン〈ピンキー〉を開いたのだった。
 ユラは半年ほど前、カリフォルニア通りに開設された日本領事館で、念願のパスポートを発給してもらい、不法滞在者の汚名を逃れていた。そのため、正規雇用も可能になった。
 領事は、驚いたことに日本人ではなく、ブルックスとかいうアメリカ人だそうだ。正しくは名誉領事だろうが、とにかくブルックスはかなりの親日家らしい。
 もっとも、実際にパスポートの手続きをしたのは、タロウ・ツカハラという、日本人の館員だそうだ。
 どうやら、ケイン船長からもらった漂流証明書が、役に立ったとみえる。
 ツカハラは、レストランをオープンした日に花を出し、店にも来てくれた。
 色の黒い、痩せ形の三十過ぎの男で、なかなか英語が堪能だ。アメリカ暮らしが長いのか、髪形もスーツの着こなしも、まずは板についている。
 ユラは、例のグロリアズ・ロッジに住まいを定めて、毎日モンゴメリー通りの急坂をくだり、店にかよって来る。
 ちなみに、ハヤトと戦ったショウサク・タカワキは、ピンキーとユラがビーティから、サンフランシスコへ向かったとき、一緒について来た。
 タカワキは、崖から転落して傷を負ったため、軽く右足を引きずるようになった。 そのせいもあってか、ユラに対する態度が控えめになり、口数も減ってしまった。とにかく、決闘でハヤトを仕留めそこなったのが、かなりこたえたようだ。
 サンフランシスコに着いたあと、タカワキは日本での勤め先だった、というメイスン&ヒル商会の本社で、働き始めていた。最初はそこへ、研修で来ていたらしい。
 それほど大きな会社ではないが、日本との貿易でかなりの利益を上げ、マーケット通りの石造りの新しい建物に、事務所を構えている。
 ピンキーが店を開いたあと、タカワキは社長のポール・メイスン、副社長のテレンス・ヒルと一緒に、食事をしに来た。
 タカワキの、これまでのいきさつを忘れたような、口数の少ない静かな立ち居振る舞いは、まるで人が変わったとさえ思えるほどだ。
 ピンキーは、そしておそらくユラも、とまどいながら相手をするしか、方法がなかった。
 もっとも気になるのは、ハヤトの消息だった。
 最後にハヤトの噂を聞いたのは、ネヴァダのビーティでのことだった。
 インディアンに似た、だれとも知れぬ白人の女と一緒に、南東の方角へ向かった、と聞かされた。
 それきりハヤトは消息を絶ち、中継ぎ場所に決めたグロリアズ・ロッジにも、電報一つよこさない。
 自分では打てなくても、人に頼んで打つことはできるはずだ。そう考えると、ハヤトの身に何か起きたのではないか、と不安にもなる。
 ユラも同じだろうが、そうした不安をおもてに出すことは、ほとんどない。いつも黙々と、配膳や給仕の仕事を、こなしている。
 開店してから、一カ月ほどたったある日の午後。
 領事館のツカハラが店に来て、ユラに極秘のニュースを伝えた。
 あとで聞いたところ、今年の秋か来年の年明けごろに、日本から外交使節団がやって来る、というのだ。
 それが事実とすれば、日本からそうした使節団が訪れるのは、一八六〇年春以来のことだ。
 ツカハラによると、これまで日本が欧米と結んだ種々の条約が、きわめて不平等なものであり、その是正交渉をするために、まずはアメリカにやって来る、という趣旨らしい。
 だれが代表を務めるか分からないが、おそらく国家元首に相当する大物が、やって来るだろう。ブルックス領事も自分も、そのための受け入れ準備に、奔走しなければならない。
 そう言ってツカハラは、鼻息も荒く帰って行ったそうだ。
 同じ日の夜、今度はタカワキが一人で、やって来た。
 タカワキも、同じ情報をユラに伝えに来たのだ、とあとで分かった。メイスン&ヒル商会の日本支社は、かなり情報の収集にたけているらしい。
 ただ、タカワキはツカハラの知らない、極秘の話をユラに伝えていた。
 閉店後、皿洗いや掃除をすませたあと、ピンキーはユラからこう聞かされた。
「今度の、日本の訪米使節団のメンバーに、シンイチロウ・トキエダ、つまりわたしの兄が、加わるらしいの」


ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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