ブラック・ムーン第七回

第二章 

 トウオムアはコーヒーをぐいと飲んだ。
 あまり飲みなれていないのか、ハヤトは一口飲んだだけで、やめてしまった。
 ハヤトの助けを借りて、ソルティとザップの二人を倒し、首尾よく息子のサモナサを取りもどしてから、一週間がたつ。
 その間、コマンチがバファロー狩りをしそうな地域や、移動したかもしれないキャンプを探して、あちこち馬を走らせた。
 しかし、どちらにも巡り合えなかった。
 トシタベが、バファロー狩りからもどったかどうか、分からなかった。
 もし、すでにキャンプにもどったとして、妻が息子とともに姿を消したと知ったら、トシタベはどう思うだろうか。
 トシタベの母親には、狩りをしている夫に食べ物や薬草を届ける、と嘘を言ってキャンプを脱出した。
 トシタベも、それが嘘だと見抜くだろう。
 妻は、コマンチとの暮らしがいやになって、自分が留守のあいだに逃げ出したのだ、と思うかもしれない。
 この上は、できるだけ早く現在のキャンプ地を、探し当てなければならない。トシタベが、キャンプにもどっているかどうかは、考えないことにする。いずれ再会したときに、正直にわけを話すしかない。
 そのときは、ハヤトが証人になってくれるだろう。
 サモナサは、矢筒を枕に眠っている。長時間、馬に乗って走り続けたために、疲れているのだ。先を急ぎたいが、もう少し寝かせておいてやろう。
 そう思ったとき、ハヤトが声をかけてきた。
「コマンチは、よくバファロー狩りに出かけるのか」
 トウオムアはわれに返り、コーヒーを飲み干した。
「遠征が多くなったのは、ここ数年のことだわ。何年か前までは、別に遠くへ探しに行かなくても、バファローはあちこちにいたものだった。それが、今では見つけるのに苦労するくらい、数が減ってしまったの」
「どうしてだ。殺しすぎたんじゃないのか」
「そのとおりだけど、それはコマンチのせいじゃないわ。東部からやって来た、白人のハンターがこぞって、狩りをするようになったからよ」
 ハヤトが、意外そうな顔をする。
「白人も、バファロー狩りをするのか」
「するようになったのさ。以前は、あたしたちがバファローの毛皮と交換に、白人から銃や酒や煙草(たばこ)を手に入れていた。。肉はあたしたちの食糧だし、毛皮はティピーや敷物、着るものになる。角や骨だって、日用の道具や武器を作るのに、役立つんだ。バファローに、むだなものは何一つない。バファローは今も昔も、コマンチのだいじな生活資源なのよ。ところが」
 トウオムアは、言葉を切った。
 むらむらと、怒りがわいてくる。
 それに気づいたのか、ハヤトは眉を寄せて聞き返した。
「ところが、どうした」
「白人のハンターは、バファローの毛皮が金になると分かって、あたしたちのことなどこれっぽっちも考えずに、乱獲を始めたんだ。乱獲って、分かるかい。めったやたらに、殺すことさ」
「なんのために」
「もちろん、毛皮を手に入れるためよ。バファローの毛皮は、白人のあいだで高く売れるんだ。それから、舌をほしがる。バファローの舌を燻製(くんせい)にすると、東部のみんなが喜んで食べるらしいよ」
 トウオムアは舌を出し、指でつついてみせた。
 ハヤトが、ぞっとしない顔をする。
「しかし、バファロー狩りはコマンチの方が、うまいんじゃないのか」
「しばらく前までは、そうだったわ。でも、近ごろは白人が射程距離の長い、威力のある銃を開発してね。数百ヤードも離れた、岩陰や木の茂みからバファローを、ねらい撃ちするのよ。コマンチみたいに、巨大な群れの中に飛び込んで、槍で突いたり矢を射込んだりする、命がけの危険を冒さなくても、楽に仕留めることができる、というわけさ。たった一人で、一日に百頭以上も仕留めるハンターも、少なくないと聞いたわ。」
「それならコマンチも、同じような銃を手に入れればいい」
 トウオムアは、首を振った。
「そういう銃や弾薬は、数が少ない上に値段が高くて、手にはいらないのさ。それより腹が立つのは、連中がバファローを仕留めたあとの、ばかげた解体処理だわ」
 ハヤトが、興味を引かれたように、目を向けてくる。
「何をするんだ、連中は」
「信じないでしょうけど、ハンターについて来る皮はぎ屋が、仕留めたバファローの生皮を、その場ではぐのさ」
 ハヤトは、眉をひそめた。
「ほんとうか」
「ほんとよ。さらに、はいだ生皮を地面に広げて、大釘でしっかり打ちつける。そのまま日に当てて、乾燥させるのさ。乾くまで、コマンチが横取りしに来ないように、交替で張り番をするんだ」
「肉はどうする」
「舌は、燻製にするために切り取るけど、それでおしまいさ。肉は放置して、コヨーテや禿鷲(はげわし)の餌にするか、そのまま腐らせてしまうかの、どちらかだわ。あたしたちの、だいじな命の糧をね」
 ハヤトが、ごくりと喉を動かす。
 コマンチなど、平原インディアンはバファローの肉を、常食としている。干し肉にすれば、もちろん保存食にもなる。
 それを、放置したまま動物の餌にしたり、腐らせたりする白人の理不尽な仕打ちを、トウオムアは許せなかった。その愚挙は、コマンチとともに暮らしてみなければ、一生分からずにいたことだろう。
 この五年ほどのあいだに、草原に生息するバファローの数は、目に見えて減り始めた。それ以前は、遠出をしなくてもバファローを狩るのに、さほど不自由はしなかった。
 しかし今では、バファローを探して長い旅をすることも、珍しくなくなった。
 それどころか、政府がもくろんでいるように、インディアンを居留地に押し込む、という理不尽な政策がまかり通れば、コマンチはバファローを追って、大平原を好きに移動する自由を、失うことになる。
 それは、コマンチにとって死活問題だった。政府からあてがわれる食糧や、支給品に頼ることになれば、ただ単に生きているというだけで、終わってしまう。
 トウオムアは続けた。
「とにかく、白人のハンターのせいで、バファローは減る一方なの。だから、コマンチの男たちはときどき、バファロー狩りをするために、遠出をしなければならなくなった。ときには、キャンプごと移動することもあるけど、それだと時間がかかって狩りのチャンスを、逃してしまう。いろいろな不都合が、コマンチの生活を圧迫しているのよ」
 ハヤトは、すわった膝に肘を乗せて、小さく首を振った。
「そうか。それが、どんなにたいへんなことなのか、おれにも分かるような気がする」
 へたな英語だったが、それを聞いてトウオムアは、少し心がなごんだ。この男は、白人でもインディアンでもないが、決して未開人などではない。
「今、この国の政府はあたしたちインディアンを、勝手に特定の居留地に押し込めて、プラケーション(懐柔)政策をとろうとしている」
「プラケーション」
「つまり、野蛮な暮らしにおさらばして、文化的な生活を営めるようにする、という口実のもとに、インディアンを管理するつもりなのよ。もともと、インディアンのものだった土地へ、力ずくで押し入って来た連中が、あたしたちを手なずけようとして、必死になってるわけ」
 それから、自分で含み笑いをする。
「そういうあたしも、もとはといえばその連中の、一人だけどね」
 インディアンの中には、そんな政府の指示を受け入れる部族もいるが、コマンチやシャイアン、アパッチ、スーなどは、ごく一部の者たちを除いて、それに応じようとしない。
 ことに、バファロー狩りを生活の基盤とするコマンチは、大多数がその方針に強く反発した。中でも、コマンチの支族の一つクワハディ族は、もともと戦闘的な気質の部族だけに、最大の反対勢力といわれている。
 ともかく、コマンチは昔ながらの狩りのやり方で、いくらか多めのバファローを仕留めて、余分の毛皮と引き換えに、白人から生活物資を手に入れてきた。バファローは神聖な動物であり、必要以上の乱獲は決してしなかった。
 そもそも、槍と弓矢と殺傷力の小さい鉄砲では、バファローを数多く仕留めることは、不可能だったのだ。
 このままでは、バファローは白人のハンターに蹂躙(じゅうりん)され、ますます減る一方だろう。
 なんとかしなければならないが、どの部族もそのための方策を持っておらず、白人の言うままになりつつあった。
 ふとわれに返って、トウオムアは木の間越しに、空を見上げた。
 日の高さからみて、そろそろ十二時になるころだ。これからまだまだ、気温が上がる。あまり、のんびりはしていられない。
 たき火を消し、サモナサを起こした。
 馬に鞍(くら)を載せ、まっすぐ東を目指す。
 それから、二時間後。
 ロッキー山脈の南端の、広い山裾を回って視界が開けたとき、はるかかなたの東の空に立ちのぼる、黒灰色の煙が見えた。
 その色から、雲でも霧でもなく、もちろん砂嵐でもないことが、すぐに分かる。
 いやな予感がした。
 ただのキャンプなら、あれほど高く煙が上がることはない。
 おそらくは、毛皮か何かが燃えるときに出る、強いにおいの煙だ。そして、ティピーの天幕は、バファローの毛皮でできている。
 隣の馬に乗った、息子のサモナサが不安げな顔で、見上げてくる。
 過去の経験から、サモナサはあの煙が何を意味するか、察したに違いない。わずか五歳とはいえ、何度も経験した白人との戦いの中から、息子は多くのことを学んだのだ。
 馬を走らせながら、いちばん後ろにいるハヤトが、声をかけてくる。
「あの煙は、なんだと思う」
 トウオムアは、少し考えた。
「だれかが何かに、火をつけたんだろうね」
 返事にならない返事をする。
 ハヤトが、真ん中を走るサモナサを追い越し、馬を並べてきた。
「何かというのは、コマンチのキャンプという意味か」
「分からない。でも、何かが燃えていることは、確かね。コマンチかどうかはともかく、インディアンのキャンプが燃えている可能性が、高いかもしれないわ。もちろん。騎兵隊の駐屯地とか、大規模な幌馬車隊ということも、ありうるけど」
 ハヤトとサモナサ、というより自分自身の不安を取りのぞこうと、いろいろな可能性を挙げてみせる。
「インディアンのキャンプだとしたら、だれのしわざだろうな」
「騎兵隊かもしれないし、ほかの部族のインディアンかもしれない。あるいは、白人の自警団とか、インディアン討伐隊とかも、考えられるわ」
 トウオムアは口をつぐみ、忙しく考えを巡らせた。
 ソルティたちによると、自分の父親ジョシュア・ブラックマンは、サモナサをコマンチから引き離し、自分の牧場へ連れて来させるために、複数の追っ手や捜索隊を雇ったそうだ。
 その中で、サモナサを最初に連れて来た者へ、多額の賞金を払うという話だった。
 ソルティとザップは、もう少しでそれを手に入れるところだったが、トウオムアとハヤトに追いつかれて、目的を達しそこなったわけだ。
 しかし、サモナサを捜す賞金稼ぎが、ほかにもまだいるとすれば、安心するわけにはいかない。どこでまた、賞金目当てのならず者や、ガンマンと遭遇するか、予断を許さないからだ。子連れのインディアンは、ただでさえ目につきやすいから、なおさら油断はできない。
 行く手の煙の原因も、そうした一団のしわざでないとは、言いきれないだろう。
 その意味でも、ハヤトという道連れがいることは、心強かった。
 キャンプへもどったら、サモナサを夫のトシタベの手に託し、大陸横断鉄道のしかるべき駅まで、ハヤトを送り届けるつもりだ。
 ハヤトの助力に報いるためにも、その約束だけは果たさなければならない。
 それもあって、はるかかなたに立ちのぼる煙が、コマンチのキャンプと関わりのないことを、祈らずにはいられなかった。
 ハヤトが、ずばりと聞いてくる。
「あの煙が、あんたたちのキャンプ、ということはないのか」
 すぐには答えず、トウオムアは空を見上げた。日の高さからして、午後二時を回ったころだろう。
 目に届くとはいえ、煙の立つ場所までおそらく、十マイルはあるに違いない。
 幼いながらサモナサは、おとな並みに馬を乗りこなすから、休みやすみ走らせても二時間とかからずに、行き着くことができよう。
 トウオムアは答えた。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。コマンチでなくても、インディアンのキャンプが襲われた、という可能性が高いと思う。どちらにしても、行ってみるしかないわ。それも、大急ぎでね」
 馬の腹を蹴って、真っ先に走り出す。
 ハヤトは、すぐにはついて来なかった。サモナサを先に行かせて、またしんがりを務めるつもりらしい。
 そのあたりの対応からして、ハヤトはやはり並みの男ではない。
 トウオムアらは、途中二度の休憩を入れただけで、ひたすら走り続けた。
 走るうちに、遠くに立ちのぼっていた煙が、少しずつ薄くなるのが分かる。
 それを見るだけで、トウオムアの胸騒ぎはどんどん、ふくれ上がっていった。

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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