ブラック・ムーン第四回

 ようやく、日が傾いてくる。
 まだ明るい空を背に、禿鷲(はげわし)の群れがゆっくりと輪を描くのが、木陰から見てとれた。何をねらっているのか。
 そのとたん、トウオムアは思い出した。
 砂地に、ハヤトに斬り倒された追っ手の一人、マックの死体が転がっているのだ。禿鷲のねらいは、それだろう。
 ハヤトも、禿鷲に気づいたらしく、やおら腰を上げた。
 マックの馬を引き、ゆっくりと森を出て行く。
 その、力強くはないがしっかりした足取りに、トウオムアはつい声をかけそびれた。
 何をするのか見ていると、ハヤトはマックの死体を馬にかつぎ上げ、土手の方へ運んで行った。
 川っぷちに姿を消したが、ほどなく馬だけ引いてもどって来る。
「川に捨てたのかい」
 トウオムアが聞くと、ハヤトは眉根を寄せた。
「そうだ」
「あんなやつは、禿鷲のえさにしてやればいいのに」
「たとえあんな悪党でも、親兄弟がいるだろう。禿鷲のえさには、したくない」
「川に流しても、魚のえさになるじゃないか」
「川の魚は、人を食わない。少なくとも、おれの国では」
 トウオムアは、口をつぐんだ。
 あらためて聞く。
「あんたの国では、悪党にも情けをかけるのかい」
「人にもよる。とにかく、おれは禿鷲が人を食うのを、見たくない」
 ハヤトは、怒ったようにそう言って、馬から鞍(くら)を下ろした。
 次いで、くくりつけてあった毛布を、ほどき始める。寝床の用意をするつもりらしい。 ほどきながら、あとを続ける。
「これが終わったら、あんたの寝床も作ってやる」
 トウオムアは、苦笑した。
 野営するとき、白人の男ならまず女の寝床を作り、それから自分の方に取りかかるだろう。
 コマンチの場合は、妻がはじめに夫の寝床を作り、そのあと自分の寝床を作るのが、習いになっている。
 ハヤトの手順は、それよりはましかもしれない。
 鞍と毛布をセットし、寝床の準備がすむのを待って、トウオムアはハヤトに火をおこさせた。
 それから、撃たれた脚を投げ出したままで、バファローの干し肉と豆をいため、二人分の食事をこしらえる。
 食後のコーヒーを飲みながら、トウオムアは言った。
「来たときから逆算すると、ビーティの町はここから南へ、ざっと五十マイルという見当になる。あしたの朝早く出発して、ほぼ川沿いにくだって行けば、夕方までには着けるだろう」
「もう一度言うが、ひとまずおれだけ町にはいって、医者を探す。見つけたら、あんたのところへもどって、人目につかぬように、医者のところへ運ぶ。それでいいだろうな」
 ハヤトが、しつこく繰り返す。
 余儀なく、トウオムアは同意した。ハヤトは、よほどこの太ももの傷が、気になるらしい。
 それとも、ハヤトの国の男たちはみながみな、女は弱いものと決め込んでいるのだろうか。
 確かに、決して軽い傷とはいえないが、これくらいでへこたれていたのでは、とうていサモナサを取り返すことはできない。
 万一に備えて、トウオムアは毛布を固く体に巻きつけ、手元に拳銃を置いて眠りについた。

 翌朝。
 日の出前、空が明るくなるとともに、トウオムアは起き出して、焚(た)き火の用意をした。 
闇取引で買った、コーヒーをいれにかかる。夫のトシタベは、どんなにすすめても飲まないが、トウオムアは子供のころから、それなしではすまされなかった。
 豆は、石臼で挽いて粉にしたものを、持ち歩く。やはり、粗挽きになってしまうが、トウオムアはそれが好きだった。
 コーヒーのにおいで、ハヤトも目を覚ましたようだ。
 手早く朝食をすませ、日の出と同時に野営を畳んで、出発する。
 トウオムアは、前日サモナサを連れ去った、追っ手のザップとソルティの、馬の足跡をたどった。
 足跡はしばらく、川の流れと同じ方向に続いたが、やがて広い草原に差しかかったところで、途切れてしまった。
 草原の端は、例の川のほとりまで達している。
 もしかすると、二人の男は草原の中で方向を変え、どこかで川を渡ったかもしれない。ニューメキシコへ向かうとすれば、とにかく東を目指さねばならないから、その選択は十分にありうる。
 ネヴァダ州南東部の、インディアン・スプリングスの峡谷を抜け、州境を越えればアリゾナ準州にはいる。
 しかし、その先にはインディアンも避ける、大峡谷(グランド・キャニオン)が控えており、そこをたどるのは容易なことではない。
 二人はビーティをへて、南東の方角へ斜めに長く伸びた、カリフォルニアとの州境の近くまで、南下するのではないか。
 そこで進路を東に変え、アリゾナとの州境を流れるコロラド川を渡る、というのが順当な道筋に思える。
 とはいえ、追跡に慣れた二人のことだから、こちらの裏をかく恐れもある。
 どちらにせよ、怪我さえしていなければ勘を頼りに、このまま東へ向かうところだ。しかし、行く先は分かっているのだから、焦ることはない。ザップたちが、ニューメキシコに達するまでに追いつけば、それでいいのだ。
 そのころには、太ももの傷も治っているだろう。
 ビーティを望む、町に近い北側の岩山に到着したのは、まだ日差しの強い午後四時過ぎのことだった。互いの怪我や体力を考慮して、まめに休憩を入れたわりには、早く着いたといえよう。
 ありがたいことに、近ごろ大雨が降りでもしたのか、岩のくぼみに水がたまっているのを、見つけた。顔を洗ったり、体をふくくらいの量は、十分にある。
 そのあたりは、いくらか高台になっており、ビーティの町全体がある程度、見渡せる位置だった。町の入り口まで、ざっと二マイルから三マイル、というところだ。
 それくらい離れていれば、町から裸眼でこちらを視認することは、まず無理だろう。
 張り出した岩陰に馬を休め、トウオムアとハヤトは一息入れた。
 十五分とたたぬうちに、ハヤトが立ち上がる。
「これから、町へ行ってくる。一回りして、あの二人やおれの連れが見当たらなければ、医者を探す。ここまで、連れて来られればいいんだが、断わられるかもしれない。そうしたら、もどって来てあんたを町へ、連れて行く」
 あらためて、律義に説明するハヤトの姿に、トウオムアは胸が温かくなった。
「分かった。ありがとうね」
 すわったまま、町へ馬を走らせて行くハヤトに、手を振る。

 近いようでも、それなりに距離がある。
 ビーティまで行き着くのに、小半時(三十分)ほどかかった。最初の三分の一を並足、次の三分の一を速足、最後の三分の一をまた並足で走った。
 もとは追っ手の一人、マックが乗っていた馬だが、乗り手の性根を映したものか、疳(かん)の強いたちだった。手綱を引き締めるのに、だいぶ苦労させられた。
 それでも、鞍には輪になったロープが掛けられ、長い革鞘(かわざや)にはライフル銃が収まっている。使い方はよく分からないが、トウオムアなら使いこなせるだろう。
 町へはいる前に、いつも腹に巻いているさらしから、油紙の包みを取り出す。中に、吹針と一緒にドル紙幣がしまってあるのだ。
 長い時間川を流されたが、水は染み込んでいなかった。
 その紙幣は、六月の初めにエル・ドラドで、高脇正作とやり合って昏倒させたとき、持ち金の中から失敬したものだ。かなりの額を持っていたが、金貨や銀貨には手をつけなかったから、正作も文句を言うまい。
 紙幣を、何枚かポケットに移して、油紙をしまう。
 ビーティをつらぬいて、南北に長く延びる中心の通りに、北側の入り口からはいった。 通りの幅は、板張り歩道を入れておよそ五間(九メートル)、長さはせいぜい五十間ほどしかなく、あまり活気があるとはいえない。夕方ではあるが、まだまだ日差しが強く、宵が迫る気配はない。
 三日前に泊まった、ラルストン・ホテル。
 その並びに、レストランの〈オールドマン・ビーティ〉や、保安官事務所がある。
 それを過ぎて、しばらく馬を進めると、サルーン〈ネヴァダ・パレス〉の看板が、目に留まった。
 馬を止め、駒留めにつないで、スイングドアを押す。
 中のテーブル席は、酒を飲みながらおしゃべりする者、カードで賭け事をする者、女を膝に乗せてからかう者で、ほぼいっぱいだった。
 順繰りに確かめたが、ピンキーも時枝ゆらもおらず、ダニエル・ティルマンや高脇正作、クリント・ボナーも、いなかった。
 ザップとソルティの姿も、やはり見当たらない。
 カウンターに目を向けると、例によって髪と口髭をきちんと固めた、バーテンダーのトム・フィンチの顔が見えた。
 客はおらず、フィンチはカウンターに斜めにもたれて、新聞を読んでいた。
 その前に行って、カウンターに手を置く。
 フィンチは、顔を上げてこちらに目を向け、口元に笑みを浮かべた。
「やあ。元気かね」
 例によって、愛想がよくも悪くもない、なれた口調だ。
 カウンターに、一ドル紙幣を載せた。
「ウイスキーをくれ。この町には、医者がいるかね」
 フィンチは笑みを消し、グラスを置いてウイスキーをついだ。
 それから、こちらの体をじろじろと点検する。
「医者なら、一人だけいる。通りの南のはずれに、ドク・ワイマンの診療所があるよ」
「銃で撃たれた傷を、治せるかね」
「得意中の得意さ。こんな町でも、撃ち合いがときどきあるからな。しかし、あんたはどこも撃たれたように、見えないが」
「診てもらうのは、おれではない。ドク・ワイマンは、銃で撃たれた女のところまで、一緒に行ってくれるかな。町から少し、離れたところだが」
 フィンチが、唇を引き締める。
「女だって。それじゃ、遠出は無理だな。かみさんに知れたら、おおごとになる。前にも何度か、そういうことがあった。今度ばれたら、ドクはかみさんに絞め殺されるだろう」 かなりの焼き餅焼き、とみえる。
「こっちへ、女を連れて来る分には、かまわないかね」
 ためしに聞くと、フィンチは瞳をくるりと回した。
「それなら、いいだろう。どっちみちかみさんが、ドクの手伝いをするんだ」
 ウイスキーを、一口に飲み干す。
「ありがとう。助かったよ」
 フィンチは、一ドル紙幣をつまみ上げた。
「銀貨なら三杯だが、紙幣でも二杯は飲ませる。もう一杯どうだね」
「いや。かわりに、あんたが飲んでくれ」
 フィンチは肩をすくめ、新しいグラスにウイスキーをつぐと、一息に飲んだ。
 ついでに、尋ねてみる。
「もしかして、いかにも流れ者らしい二人組の男が、ここに立ち寄らなかったかね。きのうから、きょうにかけてだが」
 フィンチは、グラスを置いた。
「流れ者の、二人組か」
「そうだ。一人は片方の耳、確か左の耳だったと思うが、ちぎれてなくなった男だ。もう一人は、手首に黒い革の帯のようなものを、つけていた」
「片耳の男に、黒いカフの男、とね」
 フィンチはつぶやき、それから首を振った。
「いや。少なくとも、ここには立ち寄らなかったね」
「そうか。とにかく、ありがとう」
 サルーンを出た。
 並びに、雑貨店があるのを見つけ、中にはいる。
 男物の、普通の大きさと小さめの、シャツとチョッキ。
 つばの広い、ステットソンの帽子の、大と小を一つずつ。自分の分は、その場でかぶった。
 石鹸と手ぬぐい。
 ヘヤブラシと呼ぶ、櫛(くし)や刷毛(はけ)によく似た、髪をすく道具。
 それらを麻袋に詰め、馬からライフル銃を取って来て、それに合う銃弾も五十発買う。 ドク・ワイマンの診療所に寄って、一時間後に負傷した女を連れて来るから、診てもらいたいと頼んだ。
 ドク・ワイマンは、豊かな口髭をたくわえた、初老の男だった。自分の妻を呼んで、こちらの言ったことをそのまま伝え、手を貸すように指示した。
 フィンチの話から、どんなにきつい妻かと心配していたが、実際には驚くほど愛想のよい、美形の女だった。分からないものだ。
 帰りに、ラルストン・ホテルに寄って二部屋予約し、トウオムアが待つ岩山へ馬を走らせた。
 着いたときは、すでに西側の山の端に、日が沈みかけていた。
 薄闇の中で、トウオムアの顔が妙に白く、きれいに光るのが見える。
「たまり水を使ったのか」
「ええ。キャンティーンを、いっぱいにしたあとでね」
「キャンティーンとは」
「水を入れる筒のことよ。あんたの分もあるわ」
「そうか」
 そんなやりとりのあと、町でのことを細大漏らさず、話して聞かせた。
 例の二人組にも、こちらの連れにも出会わなかったと聞くと、トウオムアは少し残念そうな顔をした。
 それにかまわず、買った物が詰まった袋を取り出し、トウオムアに渡した。
「その中に、新しい衣類とかヘヤブラシが、はいっている。着替えて、それなりに身づくろいをすれば、いくらかは白人の女にもどるだろう。ただし、あまり乱暴な口をきかなければ、だがね」
 トウオムアは、珍しく目を輝かせて、礼を言った。
「いろいろと、ありがとう」
 それにかまわず、立ち上がる。
「では、町へ行こう。ドクターが、待ちくたびれないうちにな」

 ザップは言った。
「あの、サーベルを持った妙なやつは、おっつけ町へもどって来る。たぶん、あのダイアナがマックに撃たれて、怪我をしたんだろうよ。町はずれの、医者の診療所に立ち寄るのを、おれはこの目で見た。きっとあの女を連れて、もどって来る気だぞ」
 ソルティが応じる。
「その、サーベル野郎がぴんぴんしてるとなれば、マックは返り討ちにあって殺された、と見ていいだろう。いくら待っても、追いついて来ないわけだ」
「それはそれで、いいじゃねえか。千五百ドルを、三等分せずに山分けするとなりゃ、お互いに分け前は七百五十ドル、という勘定になる。悪くねえ話だぜ」
「そのとおりだ。ただし欲をこいて、一人ならまるまる千五百ドルになる、などと考えるなよ」
 ザップは、いやな顔をした。
「冗談にもほどがあるぜ。そうならねえように、あの二人を今夜のうちに、片付けようじゃねえか」
 ソルティは、首を振った。
「いや。それより、あの女の傷が治らないうちに、先を急ぐ方がりこうだ。今ならあの二人より、かなり距離を稼ぐことができる。やつらが追いつく前に、あのがきをブラックマン牧場へ送り届けて、さっさと礼金を受け取るんだ。あとは、おさらばするだけさ。やつらに会うことは、二度とあるまいよ」
 なるほど、とザップは思った。
 やはりソルティは、頭がいい。
 あえて危険を冒さず、大金を手にするにはそれがいちばんだ、と納得する。
「よし。二人が来ないうちに、ホテルへもどってあのがきを、連れ出すことにしよう。あさってあたり、アリゾナへ抜けられるように、きょうあすのうちに距離を稼ごうぜ」
 ザップとソルティは、小さなバーを出てホテルへ向かった。
(つづく)

ブラック・ムーン

Synopsisあらすじ

新選組副長・土方歳三は箱館で落命した――はずだった。記憶を失った土方は、内藤隼人と名を変え、米国西部へと渡っていた。彼の命を狙う元・新撰組隊士との死闘の末、ラヴァ・フィールズの断崖から落下した隼人だったが……。
逢坂剛が放つ、究極のエンターテイント・”賞金稼ぎ”シリーズ!

Profile著者紹介

逢坂 剛

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。本作は『果てしなき追跡』『最果ての決闘者』につづく“賞金稼ぎ”シリーズの第3弾。

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