2026 02/20
まえがき公開

『戦国北条氏』 はじめに

小田原城を本拠に雄飛した戦国大名北条氏。今川・武田・上杉ら有力大名とは、激しい攻防を繰り広げる一方、婚姻や養子縁組で同盟関係を結んだ。一族の結束を誇り、民政重視の巧みな領国統治で名高い。伊豆・相模・武蔵・下総を版図に収め、北関東の一部をも勢力圏とする。だが、豊臣政権と鋭く対立、小田原合戦で敗れてあえなく滅亡した。初代宗瑞(早雲)から氏綱・氏康・氏政・氏直まで、宗家五代一〇〇年の歩みをたどる。

『戦国北条氏 関東の覇者、五代一〇〇年の軌跡』の 「はじめに」を公開します。


 伊豆の韮山にらやま城、次いで相模の小田原城を本拠とした戦国大名北条氏。伊豆平定を機に戦国大名化し、関東制覇を目前にして豊臣秀吉に敗れ滅んだおよそ100年に及ぶその事績は、「北条記」「相州兵乱記」「関八州古戦録」をはじめとする近世の歴史書において詳述され、広く流布してきた。とりわけ、北条早雲こと初代伊勢宗瑞そうずいの下克上や国盗のあり様、三代氏康と武田信玄・上杉謙信との激烈な戦闘などは、戦国乱世を象徴する合戦譚として、いまだに多くの人々の心をとらえている。

 実際のところ、これらの記述には少なからぬ誤りが含まれており、ことさらに読者の興味を惹こうと誇張、創作されたとみられる記述さえ見受けられている。それゆえ、すべてを史実と認めるわけにはゆかないが、中には近代以降も拡散を続け、歴史学の専門家の間ですら無批判に受容されて通説化してきたものも少なくない。

 一都七県に及ぶ広大な旧北条領国に属する自治体における自治体史編纂事業の盛行などにより、5000点を超える北条氏および家臣らの発給・受給文書やその動向に関わる各種の記録をはじめ、良質な史料の発掘が進んだ現在、そのような誤伝・錯誤の類いは、着実に否定あるいは訂正されつつある。

 もっとも顕著な事例の一つは、初代宗瑞の出自に関する所説の大幅な修正であろう。かつて一介の素浪人から身を起こしたとされてきた宗瑞だが、現在では室町幕府の財政事務を管掌するまんどころ頭人とうにんを世襲した京都伊勢氏の庶流で、もとは室町幕府の九代将軍足利義尚の申次衆などを務める幕臣であったことが確実となり、粗野で野心に満ちた荒くれ者、私利私欲にまみれ国盗りに狂奔したきょうゆう、典型的な下克上の体現者という旧来の人物像は、大きな転換を迫られることとなった。

 系譜関係も精査され、氏綱の子で、相模玉縄城の城主などを務めた為昌など、これまであまり知られていなかった一族の事績・系譜が次々と明らかにされている。そして何よりも重要なのは、北条氏を核とした戦国期関東の政治・軍事や経済、社会・文化その他の多様な動向について、これまでにない正確な事実把握がなされつつあることであろう。これには年欠文書の年代比定を課題として氏康・氏政・氏直の花押変遷を追究し、また退隠後の氏康・氏政の政務執行に伴う独自の印判使用の実態把握を試みた私の仕事も、いくらかの貢献をなし得たと考えている。

 それでも一般市民の間においては、かねて定着してきた近世の歴史書に由来する古典的情報が、いまだ常識的なものとして共有されている面もあることが否めない。そこで、幅広い愛読者に恵まれる中公新書へのラインナップを好個の機会とし、本著では信頼度の高い史料とこれに裏付けられた近年の研究成果を踏まえ、改めて始祖宗瑞から氏綱・氏康・氏政・氏直へと続く北条五代の事績などを叙述することとした。むろん新書である以上、紙数は限られている。それゆえ豊かな研究成果のすべてを網羅することは難しく、やむなく割愛した部分も少なくないが、その分、北条五代をめぐる大きな歴史の流れをコンパクトに整理することに意を用いたつもりである。

 なお、将軍や他大名らを含む登場人物については、改名や改姓、出家による法名使用の時期や契機の把握が進んでいる例も多い。その前提にはそれぞれに個人的信条や政治的意味もあり、ないがしろにはできないが、逐一従うのはあまりに煩雑であり、基本的にはもっとも一般的とみられる呼称に統一している。また年齢については、すべて生年を起点に数え年で表記することを原則とした。


(まえがき、著者略歴は『戦国北条氏』初版刊行時のものです)

山口博(やまぐち・ひろし)

1959年生まれ。中央大学大学院文学研究科国史学専攻前期課程修了。小田原市学芸員として小田原市史編纂などに従事した。小田原地方史研究会会員。著書に『北条氏康と東国の戦国世界』(夢工房)、『戦国大名北条氏文書の研究』(岩田書院)、『北条氏五代と小田原城』(吉川弘文館)など。