2025 07/14
著者に聞く

『カナダ―資源・ハイテク・移民が拓く未来の「準超大国」』/山野内勘二インタビュー

本書刊行後のカナダをめぐる政治状況は、トランプ米国大統領就任、カナダ総選挙とカーニー政権の登場、カナダのG7議長国という激動が続いています。そんななか、著者の山野内さんは、現役の駐カナダ日本国特命全権大使として活躍中です。揺らぐ国際情勢を読み解くうえでカギを握る国・カナダの状況についてお尋ねしました。

――カナダは「アメリカの51番目の州」という揶揄は本書でも紹介された定番の揶揄だと思いますが、トランプ大統領の言動は現地でどのように受け止められていますか?

山野内:トランプ大統領の「51番目の州」発言に対してカナダ人は激昂しています。カナダの国技であるアイスホッケーの北米プロ・リーグ(NHL)のカナダ国内で行われた米国チームとの試合で観衆が米国歌演奏の際に激しくブーイングする光景も見られる程です。日頃、温厚なカナダ人が感情を剥き出しです。

この関連で、本年4月に行われた総選挙について一言。総選挙が視野に入った同1月では、国民の間に蔓延する「トルドー疲れ」故に、野党保守党の圧勝が予想されていました。しかし、第2期トランプ政権の発足で「51番目の州」と25%関税が連日報道され、選挙の争点がトルドー批判からトランプ対策に変わりました。結果、争点の変化に効果的に対応したカーニー率いる自由党が勝利。トランプ大統領の言動が選挙結果をも左右するインパクトを与えた訳です。

そして、総選挙後の連邦議会でチャールズ国王が国王演説(Speech from the Throne)を行いました。演説は「カナダ国王」としての行為です。カナダは完全なる主権国家で、憲法の定める立憲君主国にして英連邦の最重要メンバーの一つでもあります。カナダ人は日常的には国王を意識していませんが、この演説はカナダが立憲君主国であることを改めて明確に示しました。

私はオタワに在勤しつつもカナダの全州を訪問しています。閣僚はじめ連邦政府・議会、州政府・議会、経済界、学界、文化関係等の様々な方々と会っています。そこで実感するのは、カナダと米国は地理的に8000キロの国境を接し安全保障・経済・文化面で相当一体化している一方、カナダ人には確固とした誇りとアイデンティティーがあるということです。一連のトランプ大統領の言動は、このカナダ人の誇りを著しく傷つけたのです。しかし、同時に、それはカナダにとって苦く厳しくも絶好の警鐘となりました。米国への過度な依存を脱却し、カナダの持つ大いなる潜在力を具現化するための改革が始まったと思います。

一例をあげます。カナダは世界第5位の天然ガス生産国です。半分は国内需要で、残りの半分は輸出用ですが、輸出先は米国だけです。輸出先を多角化するには、東西に輸送するパイプライン等のインフラが必要ですが、規制緩和、先住民との協力、連邦と州、あるいは州と州の間の調整が不可欠となります。これまでは、様々な事情で一向に進まない現実がありました。正に、トランプ・ショックは、カナダ国内の改革を促進する大きな要因となり得るのです。今後の展開が注目されます。

――政権交代が起こると、大使はどんなお仕事をなさるのですか?

山野内:まず、政権交代の背景を含め、最新の政治状況に関する情報収集と分析です。カーニー政権が置かれている状況を把握しなければなりません。政権にとっての喫緊の課題、優先課題と制約条件などについて東京に報告します。

同時に、人脈構築が不可欠です。特に、首相府の側近との関係構築は待ったなしです。首席補佐官、国家安全保障補佐官、外交顧問等と緊密にコミュニケーションが取れる関係をつくります。更に、外相、産業相、財務相等の主要閣僚との会食・面談をアレンジします。そして、選挙後の新しい議会についても人脈の充実を目指します。

――トランプ大統領の「グリーンランドの領有」発言も、議論を呼んでいます。北極圏に領土を有するカナダにとっても大きな関心事かと思います。

山野内:地球温暖化で北極圏の氷が加速度的に融解し状況は劇的に変化しています。氷に閉ざされた地球の辺境にも苛烈な地政学的現実が押し寄せています。トランプ大統領のグリーンランド発言の背景です。

カナダにとっても同様です。国土の約40%が北極圏に位置しており、包括的に対処すべき非常に重要な課題です。北極圏を巡るカナダの関心は、次の5分野です。すなわち、安全保障、ビジネス、環境問題、先住民関係、国際協力です。

一つ目の安全保障については、ロシアそして中国の北極海での活動の活発化が大きな懸念材料です。ロシア空軍機による領空侵犯も頻発。時には、中露の連携もあります。2024年にはカナダ政府は、国防政策の見直しを行い新しい国防戦略を発表。表題は「Our North, Strong and Free」。正に、簡にして要です。東西を太平洋と大西洋、南を米国と接するカナダにとって、焦眉の急は北方です。潜水艦や砕氷船の増強が鍵です。

注目すべきは、トランプ大統領の言動で米加関係は緊張している一方で、安全保障分野では米国との連携が進んでいる点です。砕氷船増強のため、米加は、フィンランドを加えたICE協定を締結しました。また、トランプ大統領が提唱している北米大陸上空を包括的に防衛する「ゴールデン・ドーム」構想についても、カナダは参画する方針です。

二点目のビジネスの一つは北極圏航路です。カナダ沿岸を通る北西航路の可能性が視野に入ってきています。既に北極海の氷の半分以上が溶け今後一層加速することが予測される中で、欧州からアジアへの航行に要する時間が約4割短縮可能です。地政学的な難しさからロシア沿岸を通る北東航路よりもカナダ沿岸の北西航路への期待が高まっています。

もう一つが資源開発です。インフラ不足や規制緩和、先住民との関係等克服すべき課題は少なくありませんが、重要鉱物をはじめ地下資源の開発が現実味を帯びてきました。

三点目は環境問題。温暖化の影響は極地に行くほど顕著に現れます。永久凍土が溶け始め、その上に建設された高速道路や建物が使用不可となる状況です。また、氷が溶け、薄くなってしまったことで、道路や滑走路として使用できず、人の移動や物資の運搬等に深刻な影響が出ています。また、生態系も激変しています。

四点目は先住民関係。先住民が多く住むユーコン・ノースウエスト・ヌナブトの3準州は全て北極圏に位置しています。上述の通り温暖化で深刻な影響を受けている社会経済への支援が不可欠です。また、先住民に対しては、かつて、厳しい同化政策をはじめ有形無形の差別があったことから、現在、連邦政府は先住民との和解に務めています。同時に、資源開発の観点からは、先住民の理解と支持・協力が不可欠です。ビジネス面での具体的な案件形成も始まりつつあります。

五点目は国際協力。極地における温暖化の急速な進行は地球環境全体へも大きく影響します。実態把握と温暖化メカニズムの解明のため、世界中の叡智を集約する学術面での国際協力が重要です。カナダは、北緯69度に位置するヌナブト準州ケンブリッジ・ベイに世界最先端の観測機器等を備えた「カナダ北極圏研究所(Canadian High Arctic Research Station)」を設立。日本を含む世界30ヵ国から研究者が参集し、研究協力が進んでいます。

――本書はトルドー前政権の政策はもちろん、歴代政権についても顕著な動きについて検証していますね。加米間の緊張が高まるいま、過去の政権から学ぶ教訓はありますか?

山野内:本書「序章」では、カナダの歴史についても極簡単に書きました。17世紀中葉は、北米は全体として英国の植民地でしたが、13州が独立してアメリカ合衆国が成立します。それ以降、米国はカナダにとって脅威でした。1812年の米英戦争は実質的には「米加戦争」でした。南北戦争の時代にはリンカーン政権のスウォード国務長官が「カナダ併合」を強硬に主張しました。それが契機となり、大英帝国の植民地から自治領としてのカナダが建国された訳です。従って、カナダ建国の瞬間から、米国対策は常に喫緊の課題でした。

その意味では、歴代政権は米国との関係に全精力を傾けてきた訳です。ただし、それぞれの時代で、政治・経済も国際情勢も異なります。トランプ大統領は歴代との比較でもユニークです。故に、直接的に適用できる教訓はないでしょう。歴史は繰り返す訳ではありませんから。それでも、レスター・ピアソン首相、ピエール・トルドー首相、ブライアン・マルルーニ首相、ジャン・クレティエン首相の対米政策からは、現状を生き抜く上での教訓は得られると思います。

――本書はコラム欄で、食、音楽、スポーツ、ファッションなど幅広いカナダの魅力や知られざる日本との関係について紹介していますが、書籍では簡単に触れた『赤毛のアン』について、ここで少しお尋ねします。日本人のカナダに対するイメージは、同書が形作った部分も大きいと思われますが、昨年がモンゴメリ生誕150年だったためか、新書で評論が出たり、NHKでアニメ『アン・シャーリー』が放送されたりと再び脚光を浴びています。

山野内:私が会うカナダの要人も一般の方々も、日本で『赤毛のアン』が世代を超えて根強い人気があると知っています。母国カナダよりも、日本での方がアンは人気があると感じている有識者もいます。『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子はカナダ人宣教師が創設した東洋英和女学院の卒業生であることを説明すると、日本とカナダの深い縁に皆さん感銘を受けている様子です。

アンの舞台になっているプリンス・エドワード島を公式訪問した際には、州総督、州首相、州議会議長も、アンが日本で愛されていることをご存知で、夏期には非常に多くの日本人観光客が来訪する旨誇らしく語ってくれました。

――今後の日本とカナダの関係について、本書刊行後の状況をふまえてあらためてメッセージをいただけると幸いです。

山野内:本書を脱稿した2024年10月時点ではトルドー政権でした。支持率は低迷ながら意欲的に政策課題に取り組んでいましたし、米大統領選も混戦模様でした。今日の国際情勢の流れを決定するのは主に3つの要素です。まず、地政学的現実。ウクライナ、中東、北朝鮮、南シナ海、さらには北極海等々で厳しさを増しています。次に、脱炭素化。加速化する地球温暖化が脱炭素社会への移行を不可避的なものにしています。そして、AIや量子といった最先端技術。これを制する国・企業が競争を制します。

厳しい国際情勢を生き抜き平和と繁栄を維持するためには、この3大要素を踏まえることが不可欠ですが、カナダは、G7やTPPのメンバーで信頼できるパートナーであり、脱炭素に不可欠な重要鉱物を筆頭に資源が豊富で、最先端技術の研究開発で世界水準を誇っています。

先日行われたG7カナナスキス・サミットにおけるカーニー首相の采配ぶりは極めて印象的でした。石破総理との日加首脳会談も非常に濃密でした。

もちろん日米関係が日本の外交・安全保障・経済にとっての基軸ですが、それを補完するものとしての日本とカナダの協力関係は今後ますます重要になっていくと思います。

山野内勘二(やまのうち・かんじ)

1958(昭和33)年生まれ,長崎県出身.1984年,東京外国語大学卒業,外務省入省. 在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官,九州・沖縄サミット準備事務局次長,在大韓民国日本国大使館参事官,北米第一課長,総理大臣秘書官,アジア大洋州局参事官,在アメリカ合衆国日本国大使館公使,経済局長,在ニューヨーク日本国総領事・大使などを歴任して,2022年5月より駐カナダ日本国特命全権大使.