- 2025 07/10
- 著者に聞く

「科学としての政治学」がいかなる軌跡をたどったのかを論じた『日本政治学史』。丸山眞男、升味準之輔、京極純一、レヴァイアサン・グループ、佐藤誠三郎、佐々木毅らの業績に光を当てるとともに、ジェンダー研究や実験政治学などの潮流も扱う本書について、著者の酒井大輔さんに話をうかがった。
――日本の政治学の軌跡は、とても大きなテーマだと思います。向き合うに際して、どのようなことを意識しましたか。
酒井:学史を語る一つのパターンは、功成り名を遂げた大家がご自身の経験を絡めて執筆する、というものです。未開の領野を切り開き、後世に大きなインパクトを与えた先達が回顧的に書く学史ともいえます。このレベルの学者になると、その方の歩んだライフヒストリーが、学問の歴史そのものと呼べるものです。おのずと研究上の問題関心が学史の語り方に関わってきますし、ともすると学史の目撃者として自分自身も登場する。その叙述や評価自体が、学史の一つの証言として意味をもってきます。いわば当事者による歴史記述です。
ですが私は大家ではないですし、もっと素朴に、一つの歴史事象として政治学の展開過程を描きたかった。学問という営みは、学者の発意だけでなく、さまざまな社会過程が複合的に絡む現象です。実証的に記述するには、資料、データにこだわることが必要でした。私の本の参考文献リストはとても長いです。学者の主要な著作はもちろん、新聞記事や日記、団体の文書、会議録なども可能な限りあたりました。現在の政治学者の意識を知るために、日本政治学会の会員のアンケート調査も実施しています(終章)。結果の概要はウェブで公開していますので、どなたでもご覧になれます。
『日本政治学史』というと、あたかも碩学が集大成として出すようなタイトルに見えます。ですが、社会科学史の一領域として、平凡なテーマの一つに定着するにはどうすればいいか、そんなことを考えて書いていました。
――本書で、特に力点を置いたトピックや対象があれば、教えていただけますか。
酒井:いくつもありますが、学会の成立史がその一つです。それまで日本政治学会が1948年に創設された経緯は、学会の事務局を担った堀豊彦(1899~1986)の回顧談が知られていたくらいでした(「日本政治学会の成立とその周辺」)。本書では、学会設立の呼びかけ文書や、初期の会員名簿など、あまり知られていない資料を活用しつつ、当時の時代状況を検討しています。
実は戦後直後に、各分野の学会が同時多発的に生まれました。占領下という異常な状況と深く関わっていましたし、鈴木安蔵(1904~83)らの「政治学研究会」など全国的な政治学会をつくる動きは他にもありました。こうした時代背景を抜きに、日本政治学会の第一歩目となる業績、岡義武(1902~1990)の編著『現代日本の政治過程』を考えることはできません。1903年に生まれたアメリカ政治学会や、戦前からある他の日本の学会とも対照的です。学会史というテーマは、組織的な知的営為として興味深い対象であるだけでなく、隣接分野との比較検討をひらく糸口になると考えています。
これまで、類書では十分論じられてこなかった佐藤誠三郎(1932~1999)の自民党研究や、三宅一郎(1931~)の日本版SPSS(社会科学のための統計パッケージ)とデータ・アーカイブ構想、そして岩本美砂子のジェンダー研究を扱えたことも感慨深いです。これらの研究や運動が、学問的に重要な働きをもったことは、事情に通じた研究者のあいだでインフォーマルには語られていました。こうした事柄をオープンな場で共有していくことは、ゆくゆくは少なくない意義があると考えています。
――また、気にはなっているが、取り上げられなかった存在などはありますか。
酒井:あまりに多いんですよね(笑)。政治学の教科書、あるいは政治学会の大会プログラムを目にした時、テーマも方法もきわめてバリエーションに富むことに他分野の方から驚かれることがあります。歴史もあれば、思想、数理もありますし、有権者の行動から政党、行政、外国政治、国際紛争まで含みます。「よくこれで一つの学問分野として維持していますね」というわけです。
こうした学問の歴史を細大漏らさず書ききるのは毛頭できない相談で、むしろ絞り込みの仕方に個性が出ます。本書では戦後日本の「科学としての政治学」の錯綜した軌跡に焦点をあて、これを軸に構成したわけですが、構想段階では予定していたものの本文で取り上げられなかった政治学者もいます。山川雄巳(1932~2002)がその一人です。
山川は1960年代後半から70年代にかけて、アメリカの政治システム論を精力的に取り入れ、政治学の基本概念の発展に貢献し、後に公共政策学の立役者となる人物です。政治学の「科学化」の旗振り役の一人であり、彼が正確には何を達成し、後世にどのようなインパクトを及ぼしたかは検討に値します。これは別にどこかで論じたいと思います。
――刊行後の反響としては、どのようなものがありましたか。
酒井:本書では多くの研究者に言及しましたが、ご存命の幾人かからは、「非常に挑戦的な書物」「野心的な本」といったコメントをお手紙で頂戴しました。本の冒頭で述べた、政治学史が語られることの少ない時代を長く知っている方ほど、そうしたご感想を持たれるのかもしれません。
他方、若手や中堅世代の方からは、「●●について書かれていない」、または「不十分である」というご指摘もあります。とりわけ市民政治学の系譜に関してです。1950年代後半から70年代にかけて、大衆運動や市民運動の広がりを背景に、松下圭一(1929~2015)、高畠通敏(1933~2004)、篠原一(1925~2015)らの提唱した、市民を中心とした政治認識と実践を重んじる潮流です。本書では、行動科学からの分岐として触れた程度でしたから(第3章第2節)。高畠に関しては、むしろ行動科学的な選挙研究者としての顔に光を当てる意図もありました。
とはいえ、先ほども申し上げた通り、本書に出てこないトピックは多いです。中でも突出して市民政治学にこのような指摘の多いことは、関心の高さを伺わせますし、学史的な背景がある可能性があります。
一つの問題は、学史で取り上げる対象の選択基準についてでしょう。本書では引用データを用いることにしました(序章)。学術文献における一つひとつの引用を収集し、被引用数の多いものを学史上の重要文献として特定する、という計量書誌学を応用した方法です。誰が代表的学者なのか、明確な共通了解がないところでは、確固とした方法によらなければ到底絞り込めないからです。
その一方、新聞や論壇誌、テレビを活躍の場の中心とした学者は引用データに反映されにくいですし、市民政治学にも性質上そういうところがあります。本書の穴を埋めるような形で、より多くの学史記述が生まれる踏み台になればよいと思います。
――最近、政治学史に関する書籍が続けて出ていますが、どのように見ていますか。
酒井:「政治学史ブーム」が来ているとおっしゃる方もいます。確かに昨年(2024年)と今年の本に限っても、河野康子編『戦後政治学の展開 機会と挑戦の50年——村松岐夫オーラルヒストリー』(東洋経済新報社)、熊谷英人編『戦後日本と政治学史——古典をめぐる十の対話』(白水社)、岩下明裕・竹中英俊『日本政治学出版の舞台裏——編集者竹中英俊の闘い』(花伝社)、都築勉『政治学の運命——高畠通敏・佐々木毅・三谷太一郎の政治学』(吉田書店)、都築勉『丸山眞男への道案内 補訂普及版』(吉田書店)などの他、狭義の政治学には収まりませんが待鳥聡史・宇野重規編『〈やわらかい近代〉の日本——リベラル・モダニストたちの肖像』(弘文堂)もあります。
また、『岡義達著作集』(吉田書店)、『丸山眞男集別集 第5巻』(岩波書店)、『永井陽之助国際政治論集Ⅰ・Ⅱ』(中央公論新社)などの著作集も相次ぎました。新聞・雑誌では蒲島郁夫氏(1947~)、北岡伸一氏(1948~)の回顧談が連載されましたし、2023年ですが山口二郎『民主主義のオデッセイ——私の同時代政治史』(岩波書店)も公刊されました。個別論文にも注目すべき論考が出ています。
本書『日本政治学史』もこの流れを構成する一粒でしょう。これらはたまたま刊行時期が重なっただけなのか、そうでないのかはまだわかりません。
いずれにせよ、今の私たちは、政治学の来し方を再考する機会に恵まれた時期に生きています。この盛り上がりから何を得るかが大事ですから、ぜひ見比べて、政治学の広がり、学史の重層性を読み取ってほしいと思います。
――学史というものの面白さについて、どうお考えですか。
酒井:学問の歴史は、ある意味では失敗の歴史です。後続の研究によって乗り越えられ、やがて陳腐化するのが研究の仕組みであり、宿命です。このことは私たちの知識がいかに頼りないかを教えてくれます。しばしば学史や思想史では、過去のテキストに現在的な意義(アクチュアリティ)を見出す読み方がありますが、私はそうした立場を採りません。むしろ往年の学術書は、取扱注意の赤札を貼るべきものです。歴史は歴史として扱わなくてはなりません。
そのように学問を歴史として対象化した末に、本当の意味で私たちが学ぶべきものが見えてくるようにも思います。どのような厳しい状況下で、学者たちが困難な課題に立ち向かったか、その創意工夫、真の独創といったものです。現在からは陳腐に思えるかもしれない一つひとつの研究行動が、今の学問を形づくってきたことも見えてきます。
私たちは忘れやすい生き物です。ほんの20~30年前の学問状況さえ、現在とまるで異なっていたことを見落としがちです。折々にこれまでの航跡を見つめるのも悪くありません。本書でも登場した京極純一(1924~2016)が晩年に語ったように、そもそも「人間はちょうどボートを漕ぐように、背中から未来に向かっていく」のですから。
――本書を踏まえ、今後どのようなことに取り組みますか。
酒井:研究は共同的な営みです。私が個人的に資料を収集するのみならず、後世の歴史家が利用できるように、学史資料を保存・管理していくための仕組みが必要だと考えています。公文書館や企業アーカイブズに相当する、例えば「政治学アーカイブズ」のような機関です。
書籍であれば国立国会図書館に納本されますが、研究途上で生じたさまざま草稿や記録、書簡、日記などの私文書や、研究会での報告資料、会議録、会員名簿などの組織文書は、使用中である現用文書を除けば、系統的に保存するスキームが整っていません。その一部は現在、大学の史料館に運良く保管されることもありますが、大学には余力のない場合も多く、行き場のない資料もあります。散逸するのは惜しい、と考えるのは私だけではないはずです。
近年は政治学者のオーラルヒストリーも増えてきましたが、こうした聞取り作業も引き続き必要です。学問の成り立ちにかかわる証言になるだけでなく、実践にかかわった政治学者の場合は、政治史研究の資料となることもあります。先ほどの資料の体系的な収集保存とあわせて、どのような試みが可能なのか、考えていきたいと思います。
学問は社会のなかで行われる事業です。自分たちの分野がどこから来て、どのような沿革を辿ってきたのかをしっかり説明できることは、社会的な責任を果たす方途の一つになるのではないでしょうか。アーカイブズの整備はその基盤になるはずです。