2025 02/18
著者に聞く

『アッシリア全史』/⼩林登志⼦インタビュー

ティル・トゥーバの戦い浮彫(全幅546cm。⼤英博物館蔵。CC BY-SA 2.0 by Carole Raddato from FRANKFURT, Germany)

高校世界史の教科書には必ず登場し、『旧約聖書』にも描かれる古代の超大国アッシリア。そのはじまりから滅亡までを描いた『アッシリア全史 都市国家から世界帝国までの1400年』著者の小林登志子さんに、その魅力と特徴を聞きました。

――そもそも「アッシリア」とは何でしょうか。

小林:古代のメソポタミア北部の地名であり、国名でもあります。「アッシリア」はギリシア語読みで、当時は「アッシュル」と言いました。
現在のイラク北部が中心になり、一部シリアも入ります。「シリア」という国名は、そもそも「アッシリア」に由来するのです。

――アッシリアの遺跡を現在の私たちが訪ねることはできますか?

小林:アッシュルは現在のイラク北部・ニネヴェ市の近くにありました。本文で紹介しましたが、テロリスト集団「イスラム国」がニネヴェに侵攻し、遺跡の盗掘をしています。現地の情勢は正確にはわかりませんが、観光で安全に行ける段階ではないでしょう。
シリアもアサド政権が倒れたばかりですし、アッシリアの遺跡を訪ねるのはむずかしいでしょう。

――アッシリアが周辺の他の国々と違う点、魅力は何でしょうか。

小林:注目すべきはアッシリア人の識字力でして、本書を執筆していて、低くはないと思いました。
古代のことですから、識字率の具体的な数字はわかりませんが、文化的に先行するメソポタミア南部のバビロニアへの屈折した思いが、図書館をつくらせ、粘土板を集め、王の長い碑文を刻ませたのではないでしょうか。アッシリア人がいたから、バビロニアやシュメルで作られたシュメル語の作品も現代に伝えられたと思います。

――本書執筆で苦労したところ、あるいは工夫したところはどんなところですか。

小林:「アッシュル・ナツィルパル」「アッシュル・ウバリド」「アッシュル・バニパル」など、似たような名前のアッシリア王たちがたくさんいます。それらの王がしたことは、もっぱら軍事遠征と建築活動です。同じようなことをしています。
それで、地震の話とか、大宴会をしたとか、あまり扱われないような話を挟んで、メリハリをつけました。
また、古代史というと男性の話ばかりになりがちなので、多くはありませんが、女性についても紹介しました。
交易のためにアナトリアまで行った女性たちは大変だっただろうと、想像しながら書きました。

――ところで本書の「序章」では、日本におけるアッシリア学のはじまりについて記されています。小林さんは、パイオニアであった杉勇先生の孫弟子にあたるそうですが、思い出があったらお教えください。

小林:献本させていただいた方からの反響のなかに杉先生のお話がけっこうあり、驚きました。
筑波大学の先生からも、杉先生の学問を個人としては継承しているつもりであるとのお考えを伺い、取りあげて良かったとつくづく思いました。
個人的な思い出としては、杉先生のご自宅まで本を拝借に伺ったことがあります。
『アン・アヌム神名目録』といって、「(シュメル語の)アンは(アッカド語の)アヌ(である)」と楔形文字で冒頭に書かれています。実物を見たいと思いました。杉先生がお持ちと伺い、指導教授の板倉勝正先生にご紹介いただきました。「この学生はこんな本をなんで読みたいのだろう」と先生はおっしゃっていたそうです。当時大学院生だった私には冒頭の1行しか、わかりませんでした。
また、日本オリエント学会の大会が大阪大学で開催されたことがあります。このとき、緒方洪庵の適塾を見学しました。天井の低い、広い座敷で塾生たちは勉学に励んだそうです。
杉先生は「爺さん(杉亨二。統計学者で国勢調査の実現に尽力)が学んだところです」と、嬉しそうに見学されていました。

――本書では、アッシリアが東方のエラムと戦って勝利したティル・トゥーバの戦いとその浮彫彫刻(本ページのトップ画像)について非常に詳しくお書きです。この浮彫について、小林さんの思いをお教えください。

小林:面白かったの一言です。飽きずに眺めておりました。それで読者の皆さんにもぜひ見ていただきたいと思いました。新書サイズでなかったら、冒頭に折り込みで入れていただこうかと思ったほどです。
いつも一部のみを見ておりましたが、全体を見ると王がいないとか、兵士が敵王の首をとったとか、新たに気付くことがありました。じっと見ていると、兵士の目が動いたような錯覚を起こしました。

――今後取り組みたいことがあったらお教えください。

小林:『アッシリア全史』を執筆して、つくづく良かったと思っております。シュメル文明が継承され、発展していったことを紹介できたと思います。
次に取り組みたいのは「アッカド」です。最古のセム語族であるアッカド人が、メソポタミア文明を誕生させたシュメル人の隣人であったことが、メソポタミア文明が後世に伝わっていった大きな理由だと思います。
アッカド人は努力したと思います。アッカドについては楔形文字がらみの伝承がいくつかあり、アッカド人の識字力も低くないと思っております。
最初の「帝国」をつくったのはアッカドともいわれ、興味があります。

小林登志子(こばやし・としこ)

1949年,千葉県生まれ.中央大学文学部史学科卒業,同大学大学院修士課程修了.古代オリエント博物館非常勤研究員,立正大学文学部講師,中近東文化センター評議員等を歴任.日本オリエント学会奨励賞受賞.専攻・シュメル学.
主著『シュメル―人類最古の文明』(2005),『シュメル神話の世界』(共著,2008),『文明の誕生』(2015),『古代オリエントの神々』(2019),『古代メソポタミア全史』(2020),『古代オリエント全史』(2022,以上,中公新書),『古代メソポタミアの神々』(共著,集英社,2000),『楔形文字がむすぶ古代オリエント都市の旅』(日本放送出版協会,2009)など.最新刊に『シュメル人』(講談社学術文庫,2025.新潮選書『5000年前の日常―シュメル人たちの物語』2007を改題).