- 2024 09/26
- まえがき公開

黒人たちはアメリカ社会の底辺にいるとされてきた。だが20世紀後半、徐々に社会的地位を高め、中産階級の仲間入りをする者も現れる。文化や芸能、スポーツなどの分野での活躍は目覚ましく、政財界に進出した例も少なくない。本書は、アメリカ独立以前から南北戦争、公民権運動を経て現代まで、差別に直面しながらも境遇改善の努力を積み重ねた彼らの歩みを辿る。2010年代に勃興したBLM運動を概観する新章を収録。 『アメリカ黒人の歴史 増補版 奴隷貿易からオバマ大統領、BLM運動まで』の 「増補にあたって」を公開します。
本書の旧版が出版されたのは、バラク・オバマ大統領が再選され、第2期が始まったばかりの2013年3月のことだった。初当選した2008年の選挙では、黒人の投票率は64パーセントを記録し、それは1965年投票権法成立以後で最高だった。2期目を目指しての選挙では、投票率はさらに上がり、66パーセントに達した(白人は64パーセント)。
黒人のなかには幸福感が広がり、期待が高まっていた。私は、旧版のプロローグで、2008年11月4日、シカゴの白人、黒人、ヒスパニックの住民や学生が歓喜してオバマ勝利の宣言集会に集い、それぞれの居住区では、踊ったり、歌ったり、叫んだり、銃を空に向けて発射したりしてその喜びを表現した様子を描いた。
しかし、黒人のオバマに対する期待は、ほどなくすっかりしぼみ、幻滅に変わった。度重なる警官による無防備の黒人殺害に対する抗議運動から始まった「ブラック・ライヴズ・マター(「黒人の命や生活」が問われているんだ)」運動(以下BLM運動と略記する)の爆発的拡大は、彼の2期目が始まってまもないころのことだったが、オバマは「自分は黒人のためだけの大統領ではない」から黒人たちのためだけの手は打てないとして冷静な対応を呼びかけ、巧みな話術を使って期待を抱かせながら、その実この運動と距離を置くばかりだった。彼が警察組織の改革について言及するようになったのは、黒人たちの街頭での抗議行動が急激に高まってからのことだった。2016年の大統領選挙では、オバマの後継を標榜したヒラリー・クリントン候補に対する黒人たちの熱気はすでになく、黒人有権者の投票率は、59パーセントまで下がり、彼女はドナルド・トランプにまさかの敗北を喫した。
オバマの大統領当選後、しばらくの間、「アメリカ社会では、もはや人種は差別の主要な要因ではなくなった」とする「ポスト人種社会の到来」が期待を込めて語られたが、BLM運動の高揚によって、その掛け声はすっかり影を潜め、人種差別的警察国家体制(産獄複合体)の実態が国民の前にあらわとなり、全国各地の大都市中心部のインナーシティーの厳しい現状と、その下での彼らの誇り高い抗議行動が、白人を含む多くの国民に共感をもって受け止められた。そして、この運動は、黒人を取り巻く環境が、公民権運動が高揚した1960年代とは、大きく変容していたことを示した。
BLM運動は、警官の理不尽な黒人に対する暴力への怒りを表現していただけでなく、貧困な黒人女性や性的少数者を前面に立てながら、特にインナーシティーの黒人コミュニティーの再建を目指して生活改善、福祉、医療、教育、公共交通機関の復活・拡充、あらゆる差別の撤廃など、社会改革全般につながる多様な運動に取り組んでいる。
私は旧版で、アメリカ黒人をアメリカ社会の危機を最も敏感に知らせる「アメリカのカナリア」と呼んだが、BLM運動は今、アメリカ社会の根源的病巣を告発し、社会全体の改革を展望して活動しており、したがって、体制派からは危険な存在とみなされている。トランプは、BLM運動を「テロリスト」と呼び、FBIは、早くから彼らを「黒人アイデンティティー過激派」とみなして監視を続けている。
本書は、旧版の本論を基本的にそのまま維持し、その末尾にBLM運動についての論考を補章として付け加えている。しかし、その脈絡を理解していただくために、旧版で触れたことについても一部繰り返している。読者のみなさんには、再確認のために特に第五章、第六章もあわせて読んでいただけるとありがたい。
この運動に関する史資料は、インターネットで容易に手に入れることができるし、優れた研究書も出版されている。しかし、現在進行中の一連の運動を手短な「歴史」として描き出し、これをアメリカ黒人史の全体像の脈絡中に編み込むことは容易な作業ではなかった。
とはいえ、『アメリカ黒人の歴史』を著した者の責任として、ともかくも現在までに最低限確認できるBLM運動の歴史をまとめ、旧版に増補して、『アメリカ黒人の歴史――奴隷貿易からオバマ大統領、BLM運動まで』としてここに世に問うことができたことを喜びたい。
(まえがき、著者略歴は『アメリカ黒人の歴史 増補版』初版刊行時のものです)