2023 07/27
著者に聞く

『エルサレムの歴史と文化』/浅野和生インタビュー

「最高神祇官の姿のアウグストゥス」とともに

ユダヤ教やキリスト教、イスラム教にまつわる史跡が数多く残り、今も世界中から巡礼が訪れる「聖都」エルサレム。多様な文化が混じり合う街の魅力を、まるで美術館を巡るように丹念に解説した『エルサレムの歴史と文化 3つの宗教の聖地をめぐる』が好評を博しています。作者の浅野和生さんに、執筆の背景を伺いました。

――これまでのご研究、専門分野について教えてください。

浅野: 学生のとき以来、ビザンティンの美術史を専攻しています。これまでの人生の中で、イスタンブールのアギア・ソフィア大聖堂の歴史を掘り下げたり、トルコにあるビザンティン時代の遺跡を発掘したり、教会の壁画や工芸品を取り上げてそれが制作されたいきさつと制作年代を突き止めようとしたり、という研究をしてきました。

――そうした中で、今回エルサレムを主題に選んだ理由はなんだったのでしょうか。

浅野: 今回エルサレムを主題にしたのは、エルサレムもかつて一時期はビザンティン帝国の都市であり、またエルサレムを舞台にした聖書などの物語がビザンティンや西欧の美術の主題になることも多くて、ずっと研究してきた分野の一環だからです。

古い話になりますが、私の卒論のテーマは「聖墳墓を訪れる女性たち」の場面を表した5世紀の作品、修士論文のテーマは洗礼者ヨハネと四福音書記者像を表した6世紀の作品です。そういうこともあって、エルサレムは宗教的な聖地である以上に、私にとっては学問的な聖地でした。生半可な気持ちでエルサレムに行ったら学問の女神様に叱られると思い、畏れ多いという気持ちがありました。

しかし行ってみたら、奥が深いのと同時にエンターテインメント的な意味でもすばらしくおもしろいところで、聖書や西洋美術に親しんでいればいるほど、「ああ、これがあの物語の場所か」と思えるようにうまく作られているのです。それで、自分の知識や観察が及ぶ範囲でこの聖地を読み解きたいと思って、執筆することになりました。

――浅野先生は、これまでも『イスタンブールの大聖堂』『ヨーロッパの中世美術』といった作品を執筆されています。それらの舞台であったイスタンブールやラヴェンナといった都市とくらべた際のエルサレムの特色、あるいは共通点があれば教えてください。

(上から時計回りに)エルサレム、イスタンブール、ラヴェンナ

浅野: イスタンブールやラヴェンナはどちらもビザンティンの町という歴史がありますが、現在のイスタンブールはやっぱりトルコの町、ラヴェンナはイタリアの町です。

しかしエルサレムは色々な趣を持った町です。1キロ四方の範囲内に、アラブ人もユダヤ人もヨーロッパ人もアルメニア人も住んでいるわけです。ひとつの道を歩いていても、「ここまでアラブ人街だったけど、ここからユダヤ人街になる」というのがはっきりわかります。建築も店先の品物も陳列のしかたも違うからです。それくらい多民族の文化が詰め込まれているのが、エルサレムの特色だと思います。歴史がずっしり積み重なっていて、建物が古いだけでなく地面を掘れば必ず古代の遺構が出てくる、というところはイスタンブールやラヴェンナとの共通点です。

――エルサレム、ひいては聖地巡礼の旅を楽しむコツがあれば、ぜひ教えてください。

浅野:ともかく実際に歩いて、歴史の重みを実感してほしいと思います。そして、それぞれの場所にまつわる物語を知ってほしいです。

聖地巡礼は、たとえて言えば京都に行って本能寺や池田屋跡を訪れるようなものです。信長がここでこうなったとか、新選組がこうしたというような話と結びつき、テレビドラマの場面なども記憶にあるから、「おお、これがあの場所なのか」と思って、俄然興味深く感じるのです。私はエルサレムの聖地について、それそれの場所にまつわる物語や美術作品を解説しましが、それもあわせて楽しみながら、聖地を実際に訪れてほしいです。

もし現地でご案内する機会があれば、いくらでもご説明したいです。ところで、中央公論新社とどこかの旅行会社のコラボで、中公新書でテーマとなった場所をめぐるツアーを企画してはいかがですか? 国内でも国外でも、おもしろいツアーができると思うのですが。

――新規事業として提案してみます(笑)。さて今後、新たに挑戦したいテーマはありますか。

浅野:実現するかどうかわかりませんが、今後書きたいと思っている本はいくつかあります。

まず、またビザンティン帝国の町のひとつをテーマにして、歴史を掘り下げてみたいです。まだ内緒ですが、本気で具体的に計画しています。

それから、今回の『エルサレムの歴史と文化』では、電子版では一部カラーにできましたが、基本的に写真がモノクロームなので、美術作品も聖地の写真ももっと増やして、カラー写真で見られる本を出したいです。

また、私は大学の授業や市民講座などでは、主に古代やルネサンス、近代の作品を題材に「美術の見方」というような内容の話をしていました。正直なところ、ビザンティンの専門的なことよりそちらの方が求められるからです。これまでそのようにして教えてきたことも、機会があれば書き残しておきたいです。いずれも、出してくれる出版社があれば、ですが……。

――いずれの企画も実現が楽しみです。ちなみに、浅野先生はこれまで何カ国ほど旅していらっしゃいますか。その中で、とくに印象的な国や街があればぜひ教えてください。

浅野:(国名をひとつずつ数えて)これまで27か国に行ったことがありますね。私の好きな上位3都市をあげるなら、パリ、ロンドン、ウィーンです。ビザンティンと違うじゃないか、それに知る人ぞ知る穴場でもないし、と思われるかもしれませんが(笑)。お金があればその3都市のどこかにアパートを持ってセザンヌの小さめの「サント・ヴィクトワール山」を飾りたい、などと夢を見ますが、宝くじの1等が当たった程度では到底無理なので、多分実現はしないと思います。

――素敵な夢ですね。ありがとうございました。最後に、美術研究や地域研究に関心のある若者に、メッセージやアドバイスをお願いします。

浅野:私はそんな立場で何かを言えるような人間ではありませんが、若い人の体力と情熱と行動力と発想力と感受性を大切にして、新しい時代の研究を切り拓いてほしいと思います。

浅野和生(あさの・かずお)

1956(昭和31)年生まれ. 大阪大学大学院博士課程中退. ギリシア国立アテネ工科大学建築学部美術史学科留学(ギリシア政府給費留学生). 愛知教育大学教授を経て, 同大学名誉教授. 専門:西洋美術史(特にビザンティン美術). 著書に『イスタンブールの大聖堂』(中公新書, 2003)『サンタクロースの島』(東信堂, 2006)『ヨーロッパの中世美術』(中公新書, 2009)『図説 中世ヨーロッパの美術』(河出書房新社, 2018)『エルサレムの歴史と文化』(中公新書, 2023)などがある.