2022 03/29
私の好きな中公新書3冊

始原を知る方途/堀本裕樹

白川静『漢字百話』
山折哲雄『こころの作法 生への構え、死への構え』
高橋睦郎『百人一句 俳句とは何か』

 子どもの頃、故郷の紀州熊野の山河で遊んでいたときは、ここが古来の聖地であることなど、一つも考えなかった。ただ熊野川の美しい流れに戯れ、鳥獣虫魚の声に耳を澄まし、深山の気の清澄に酔いしれるだけであった。

 上京してから自分には熊野の血が流れ、日本の始原的な地の影響を受けて育ってきた心身であることを自覚した。だからなのか、何かの古層に触れると血潮が湧き立つのだ。

『漢字百話』(白川静著)は、そんな私の血を熱くさせた。たとえば「風」の字。〈風はこの鳥形の神が、方神の使者として往来風行するその羽ばたきである〉と白川氏は述べ、古代の青銅器に刻まれた金文を示す。まさに始原の字は飛翔しそうな躍動的な形だ。たとえば「道」の字。〈道とは恐るべき字で、異族の首を携えてゆくことを意味する。金文の道の字は導の形にかかれ、首を手にもつ象である〉と氏は示唆する。これには戦慄した。現在使用されている漢字の根源の形には、何かしら呪術的神事的意味が込められていたのだ。その始原の意味を知ることで、今用いる漢字の見え方が一変する。一字一字恐ろしくさえ見えてくるのである。

『こころの作法 生への構え、死への構え』(山折哲雄著)には、「生への構え、死への構え」という副題が付いているが、生死の始原を問いながら、生きていく上での大切な心持ちを示してくれる。

 山折氏は子守唄や童謡の重要性を説きつつ、「夕焼小焼」の歌詞に言及する。〈烏(からす)と一緒に帰ろうという気分になるのは、烏のような小さなものたちとともに生きているという実感があったからこそであろう。生きものたちとの共生感覚である。(中略)そして大切なのは、その共生感覚には、やがて人間は涅槃を迎えるという共死の無常観までが脈打っていたということだ。共生共死の人生観である〉と、身近な童謡を読み解いてゆく。驚きの解釈であり、童謡を口ずさむ機会の減った現代社会への警鐘でもある。

 その他、宗教の本来や岡潔の洞察、司馬遼太郎との対話、長谷川伸の作品に貫かれた任侠道、山本周五郎の作品に滲む人情の機微などに触れ、独自の解釈を加えながら、今の日本人の内面に欠落した心の大事な有り様を説く。その叙説は経済的発展によって捨ててきた心性を取り戻す契機になるだろう。

『百人一句 俳句とは何か』(高橋睦郎著)は、俳句の始原を探る。倭建命(やまとたけるのみこと)の「新治(にいばり)筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の旋頭歌(せどうか)の片歌から始まり、永田耕衣(ながたこうい)の「枯草の大孤独居士(だいこどくこじ)此処に居る」の現代俳句で締め括られる。『小倉百人一首』を念頭に置きながら、前連歌時代、連歌時代、俳諧時代、俳句時代に割り振り、作者を物故者に限った人選で、最短詩型の歴史をひもといていく。俳句の始原を問い直すことで、日本人の美意識の変遷まで見渡せるのである。

 見どころの一つは芭蕉を挙げながら、その弟子達の句に触れ、各々の出自や性格まで分析しているところだろう。この方法は、正岡子規や高浜虚子の弟子達にも応用されている。師弟の関係性を示すことで、単なるアンソロジーではない、高橋氏の細やかな情さえ感じられる通時代的俳句史に仕上がっている。

 このように中公新書は、始原を知る方途の宝庫であり、我が血の源泉の古色を取り戻させてくれる思索の金庫でもある。

堀本裕樹(ほりもと・ゆうき)

1974年、和歌山県生まれ。國學院大學卒。「河」編集長を経て、俳句雑誌「蒼海」を創刊、主宰。俳人協会幹事。二松学舎大学非常勤講師。2016年度、2019年度、2022年度「NHK俳句」選者。第二回北斗賞、第一句集『熊野曼陀羅』で第三十六回俳人協会新人賞、『富士百句で俳句入門』で第十一回詩歌句随筆評論大賞を受賞。著書に『俳句の図書室』、『桜木杏、俳句はじめてみました』、又吉直樹との共著『芸人と俳人』、穂村弘との共著『短歌と俳句の五十番勝負』、『NHK俳句 ひぐらし先生、俳句おしえてください。』、千野帽子・長嶋有・米光一成との共著『東京マッハ­―俳句を選んで、推して、語り合う』、『散歩が楽しくなる 俳句手帳』など多数。