2022 02/25
私の好きな中公新書3冊

言葉の森へ踏み出す一歩/神野紗希

長谷川櫂『俳句的生活』
小川軽舟『俳句と暮らす』
廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』

 「ママ、みてみて、まんまるだよ!」
 五歳の息子が寝室の窓にはりつき、目をらんらんと輝かせている。コロナによる休園で息子とみっちり一日を過ごした母としては、もうくたくたなんだが......とため息をつきつつ、俳人としての私は少しわくわくしはじめる。だって、今日の満月はこんなに美しいのだから。

  眠れない子と月へ吹くしゃぼん玉  紗希

 ベランダに出ると、昼間遊んだままのしゃぼん玉の道具が。せっかくなので息子と二人、夜空へしゃぼん玉を吹いてみる。無理やり寝かしつけていたら見ることのなかった、月のまんまる、しゃぼん玉のまんまる。常識の外に輝く美を見つけるのが、俳人の自由な視点だ。私もひととき、母であることを忘れ、息子と一緒に月に見とれる。

 長谷川櫂『俳句的生活』と小川軽舟『俳句と暮らす』はいずれも、俳人としての己の生き方を通して、俳句とは何かを語った本だ。ともに昭和三十年前後に生まれ、現代の俳句界を牽引する二人だが、俳人としてのスタンスは対照的に見える。

 長谷川櫂は、俳句に専念するため会社を辞める決断をした自らの人生に、「世を捨てる」俳人としての生き方を見出す。一方、軽舟は、単身赴任中のサラリーマンの立場から、俳句と暮らす日常を描いた。社会と距離を置き言葉の海に遊ぶ櫂は、風流に誘われ旅を重ねた芭蕉と重なるし、しがらみも多い日常にこそ豊かさを見出す軽舟は、病床六尺で己の身ほとりを愛し続けた子規と似通う。

 あとがきで、櫂は「俳句を今日はじめた人は十七音の詩をはじめたと思っているかもしれないが、実は知らないうちに芭蕉や子規と同じく俳句という生き方を選択したのである」と書き、軽舟は「見まわせば同じように平凡な日常を重ねる人々がいる。俳句はこの何でもない日常を詩にすることができる文芸である」と書く。マクロなら「人生の生き方」、ミクロなら「日常の暮らし方」。二人の主張は正反対のようで、どう生きるかが俳句と結びつく点においては、よく似ているのだ。

 言葉に関してもう一冊挙げるなら、廣野由美子著『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』。小説「フランケンシュタイン」をサンプルに、文学を成立させる技法や批評理論を解説した一冊で、私も大学の講義で活用している。小説の読み方を援用することで俳句が豊かに語り出すとき、正岡子規が『俳諧大要』の冒頭で語った「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり」の一節を思い出す。俳句は文学であり、文学は美術だから、美術や文学を評するのと同じように、俳句を評するべきだ......。「美の標準」とは難しいことではない。何に感動し、何を美しいと思うのか。それは、私の生き方、暮らし方と直結する。

 新書がひらく、俳句への、文学への扉がある。言葉の森へ踏み出す一歩は、私の「美の標準」を作り、生き方を耕し、日常を輝かせてくれる。

神野紗希(こうの・さき)

1983年、愛媛県松山市生まれ。俳人。高校時代、俳句甲子園をきっかけに俳句を始める。2018年、『日めくり子規・漱石』(愛媛新聞社)にて第34回愛媛出版文化賞大賞。2019年、第11回桂信子賞。句集に『星の地図』(マルコボ.com)『光まみれの蜂』(角川書店)『すみれそよぐ』(朔出版)、著書に『女の俳句』(ふらんす堂)『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(日本経済新聞出版社)『俳句部、はじめました』(岩波ジュニアスタートブックス)他。現代俳句協会副幹事長。聖心女子大学・立教大学講師。
Twitter:@kono_saki