2021 10/07
著者に聞く

『小説読解入門』/廣野由美子インタビュー

物語作品を、作家の用いる〈小説技法〉と、歴史、宗教、科学など〈教養〉を深めるトピックから解説した『小説読解入門』。著者の廣野さんに、タイトルに込めた意味や今後のご研究について伺いました。

――まず、前著『批評理論入門』(2005)の構想や執筆の経緯をお聞かせください。

廣野:私が最初に英文学研究者として大学教師になったのは、1994年、山口大学教育学部に着任したときで、その後、2000年に京都大学総合人間学部に転任しました。そのころは、文学研究で批評理論を導入することの必要性が声高に叫ばれている時期でした。私はもともと小説技法に関心が深かったので、批評理論はどちらかというと苦手だったのです。しかし、私も大学で文学を専門に教える身として、批評理論を学ばなければならないと思い、格闘しました。いろいろと文献を読んで勉強しましたが、なかなか歯が立ちません。とりわけ理論の翻訳書はわかりにくいので、原典を読まなければならず、時間もかかりました。

理論は具体的に応用してみなければ本当に理解したことにならいないとも、私は感じました。しかし、理論書は具体例が乏しい場合も多く、しかも、批評理論ごとに例示されている文学作品がばらばらなので、こういう疑問が生じてきました。理論Aを作品①の例で学び、理論Bを作品②の例で学ぶ……というようなやり方をしていると、ある作品を解読するうえで自分にとって最も有効な手段が、果たして理論AなのかBなのかCなのか判断できないのではないか。あるいは、理論Aに精通した人が、どんな作品にも理論Aを応用しようとするというような偏りも生じてくるのではないかと。

そこで私は、ひとつの作品に絞ってさまざまな理論を学んだうえで、自分がそれぞれの作品を読むさいに最も有効な理論を選んで応用できるようにならなければならないと考えました。そのために、わかりやすい例として――当時は日本ではあまり読まれていない小説でしたが――『フランケンシュタイン』を題材に選びました。ですから、まずは自分の勉強のためにコンパクトにまとめてみるというのが、この本を書いた第一の目的でした。

また、作品を読み込むうえでは、批評理論よりもまずは原典のテキストが重要であるというのが、私の信念でしたから、第1部を「小説技法篇」、第2部を「批評理論篇」という二部立てにしました。私自身は、『新・小説神髄』というタイトル――いまからすると、若さゆえの気負った題名に思えますが――にしたいと考えていましたが、読者を迷わせるという編集部の判断によって、最終的には『批評理論入門』というタイトルになりました。

――今回、姉妹篇として『小説読解入門』を刊行されました。読む対象に『ミドルマーチ』を選んだ理由を教えてください。

廣野:前著『批評理論入門』で、読む対象として『フランケンシュタイン』を選んだのは、批評理論の説明をするうえでわかりやすい、比較的シンプルなストーリーであるということと、切り込んでいきやすい問題をたくさん含んだ内容であることから、題材として適していると考えたためです。しかし、『フランケンシュタイン』は、イギリス小説らしさ――とりわけ人間の社会的関係を風刺やユーモアを効かせて描き出すという特性――を備えた作品の代表例とは言えません。そこで、『小説読解入門』では、イギリス的特性を豊かに備えた作品で、かつイギリス小説史のなかで最高峰とも言える『ミドルマーチ』を、題材として取り上げました。

また、小説は語りの形式から、一人称小説と三人称小説とに分類されますが、『フランケンシュタイン』は一人称小説なので、前著の「小説技法篇」では一人称小説を具体例にした解説しかできませんでした。そこで、今回は三人称小説『ミドルマーチ』を選ぶことによって、「小説技法篇」で三人称小説を具体例とした解説を補いたいと考えたというのも、理由のひとつです。もちろん、自分自身が『ミドルマーチ』を翻訳したので、この作品が頭に入っていて好都合だという、実際的な理由もありました。

――サブタイトル「『ミドルマーチ』教養講義」に込めた意味を教えてください。

廣野:『小説読解入門』は、基本的には『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』と同じコンセプトで、ひとつの作品を材料にして、読み方の多様性を広げ、分析を深める手掛かりになるような本にしたいと思って書きました。そもそも「解剖」(anatomy)というのは、「精密な分析」という意味なので「『ミドルマーチ』解剖講義」という副題でもよかったのです。しかし、「解剖」は、科学者フランケンシュタインのイメージと密接に結びつく言葉ですので、『ミドルマーチ』講義は別名に変えることにしました。今回は、作品の奥深くに横たわっている鉱脈を掘り起こすために、第二部で、批評理論に替わって、教養の11の部門を取り上げて、解説することにしました。それで、副題を「教養講義」と名づけることにより、本書の内容が伝わりやすいのではないかと考えたわけです。

――はじめて『ミドルマーチ』を読んだときの思い出はありますか。

廣野:『ミドルマーチ』を初めて読んだのは、私が大学を卒業して間もないころのことでした。実は、私は大学ではドイツ文学を専攻しました。ドイツ小説は、かなり観念性が強いし、詩とのつながりも深いように感じていました。それで、『ミドルマーチ』を読んだとき、自分が専攻した文学とのあまりの違いに驚きました。イギリス小説とは、ここまで人間を具体的に描くものなのかと、とても新鮮に感じたのです。その後、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』を読んで、自分が本当に学びたかったのは、イギリス小説であったという思いがさらに強まり、英文学に転向しました。大学院の修士論文では『ミドルマーチ』を取り上げました。そういうわけで、『ミドルマーチ』は『高慢と偏見』とともに――ちょっと大げさですが――私にとって人生の転機ともなった、特別思い出深い作品です。

――翻訳するうえで心がけていることを教えてください。特に『ミドルマーチ』の翻訳で苦労したところはどこでしょうか。

廣野:まず、作品を慎重に選ぶことです。自分にとって、本当に意義深いと思える作品、とことん読み込みたい、どうしても自分の言葉で日本語にしたいと思える作品を厳選して、翻訳に取り組みたいと考えています。そして、翻訳するさいには、原文に忠実に訳すことはもちろん重要なのですが、自分が意味を理解したうえで、それをできるだけ読者にわかりやすいように伝え、かつ、一冊のまとまった日本語の作品として成立しうるような文章を書くように、努めています。

ジョージ・エリオットの文章は複雑で難解ですので、それを解きほぐして意味を理解するのに、とても苦労することがしばしばありました。時には、ひとつの文章が言わんとしていることを理解するのに、背景的なリサーチがずいぶん必要になってくることもあり、そこで一日訳業がストップしてしまうということもありました。だから、何日かければ何ページ進むだろうというような、単純な計算ができません。原書のテキストで、全巻840ページもありましたから、いつまでも終わらないような焦りに襲われることも、たびたびありました。

――『小説読解入門』の刊行後の反響はいかがでしょうか。

廣野:熱心な読者からの声は届いていますが、反響はこれからぼちぼちといったところでしょうか。前著『批評理論入門』のときも、刊行の二、三年後に再版が出たあとぐらいから、徐々に重版の勢いがついてきて、十年ぐらいたってから、反響が大きくなりました。ある情報筋によれば、教科書として使用されることが多くなったことが、その一因だとも聞いています。今回の『小説読解入門』も、内容の性質上、それと似た推移を辿ることになるのかもしれません。ただ、本にはそれぞれの「運命」がありますので、予想はつきませんが……。

――今後のご研究テーマについて教えてください。

廣野:私の専門は19世紀のイギリス小説ですので、ジェイン・オースティン、ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオットなどの作品について、研究中です。一方、サブテーマとして、私は児童文学(少年少女文学)にも、たいへん興味を持っています。現在取り組んでいるのは、たとえば『赤毛のアン』といったような英米小説を中心に見られる「○○○○○○シンドローム」というテーマです(未発表ですので、○印に入る文字は、ここでは伏せさせていただきます)。1981年に、コレット・ダウリングが、「シンデレラ・コンプレックス」という概念を提唱しました。「シンデレラ」「白雪姫」などの童話を原型とするいわゆるお姫様物語は、それから40年たったいまもなお、さまざまな形で再生産されています。しかし、実は、19世紀のある小説を起源に、新たな女性のストーリーの類型となる現象が生まれていたのではないかというのが、私の立てている仮説です。この議論をまとめることが、目下の研究テーマのひとつです。

――廣野さんは、普段どのように小説を読んでいますか。

廣野:実は、小説はあまり読まないほうです。読むと、必ず気になる箇所が出てきて、論文か何かの形にしなければ落ち着かなくなってきます。そうすると、小説を読むということが、仕事と切り離せなくなってくるので、一冊読むと、気軽に次へと進めなくなってしまいます。ですから、余暇で読むのは、小説とは無関係な領域の本(最近は、たとえば心理学や禅についての本など)とか、エッセイが多いです。それでも、読んでいると、結局、小説と結びついてくることがあります。今回の『小説読解入門』で、「教養」の素材となる学問・文化の諸分野は、みな根元でつながって文学に関わってくる、というようなことを書いていますが、それは、自分自身の読書体験から実感していることでもあります。

――小説を読む上で、大切なことはなんでしょうか。

廣野:小説では、何といっても「言葉」が大切なので、言葉に対して鋭い感性を磨くことが大切です。ただし、翻訳の場合は、原作者の言葉ではないということを、念頭に置いておく必要があります。文章として難しく感じられるときには、翻訳者の理解不足や表現力不足が原因である場合もありますし、文章に癖が感じられるときにも、作者の癖なのか翻訳者の癖なのか、原作を確認してみなければ見極められない場合があります。

それから、小説では、「いかに人間の真実が描かれているか」という点がポイントです。他人の批評や一般の評判に左右されることなく、読者自身が、この点で作品の文学的な質を見極める目を養うことが重要であると思います。

――ありがとうございました。

廣野由美子(ひろの・ゆみこ)

1958年生まれ。1982年、京都大学文学部(独文学専攻)卒業。1991年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程(英文学専攻)単位取得退学。学術博士。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。英文学、イギリス小説を専攻。1996年、第4回福原賞受賞。
著書に 『批評理論入門――「フランケンシュタイン」解剖講義』(中公新書)、『深読みジェイン・オースティン――恋愛心理を解剖する』(NHK出版)、 『謎解き「嵐が丘」』(松籟社)、『ミステリーの人間学――英国古典探偵小説を読む』(岩波新書)、『一人称小説とは何か――異界の「私」の物語』(ミネルヴァ書房)、『視線は人を殺すか――小説論11講』(ミネルヴァ書房)、『十九世紀イギリス小説の技法』(英宝社)ほか
訳書にジョージ・エリオット『ミドルマーチ』1~4(光文社古典新訳文庫)、ティム・ドリン『ジョージ・エリオット』(彩流社)ほか