2020 05/13
私の好きな中公新書3冊

「言葉」をめぐる言葉/阿部賢一

徳川宗賢編『日本の方言地図』
金森修『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』
薩摩秀登『物語 チェコの歴史 森と高原と古城の国』

中公新書の表紙は、いうまでもなく緑色が基調となっている。だがその色は若い生命力を感じさせる青々とした緑というよりも、むしろ、円熟の濃い緑である。その書物で繰り広げられる世界もまた熟練の書き手たちによる知の泉でもあることが多い。

さて、様々な好奇心を駆り立てる新書は、新たな知見や知識を与えてくれるだけではなく、新しい世界を浮かび上がらせてくれることもある。ここでは、個人的に刺激を受けた3冊を選りすぐって紹介したい。

まずは、『日本の方言地図』。東京外国語大学の学部生だった頃、言語学者の千野栄一先生からチェコ語を教わる機会に恵まれた。先生は、授業の合間に最近読んだ本、お勧めの本をよく紹介してくださったが、その頃に読んだのがこの一冊。国立国語研究所の『日本言語地図』から選び出された言語地図を基にした本書を読んで(いや、「見て」)、何よりも、言葉が地図という図像的な表現を通して記述されていることに感銘を受けた。自分の使っている言葉は多層的な言語の一部に過ぎないこと、そして言葉というものがつねに変化し続けていることに改めて気づかされたのだった。この本のおかげで言語(方言)地図への関心が高まり、のちにプラハ留学中に入手したチェコ語の『言語地図』は愛読書の一冊となっている。

次は、『動物に魂はあるのか』。文字通り、動物に霊魂はあるのかという古来連綿と続いている議論を精緻に辿った論考ではあるが、これもまた言葉をめぐる書物とも言える。動物、つまり言葉を発しないものについて、言葉を通して捉えようと試みているからである。優れた新書は、読者を更なる書物へと誘うものだが、新書とは思えない情報量を含む本書もまた、アリストテレスからカズオ・イシグロにいたる数々の名著の再読を促すものとなっている。もちろん、近年の「アニマル・スタディーズ」への導入の書となっていることは言うまでもない。

最後に紹介したいのは、『物語 チェコの歴史』。チェコの文化を知る上で、まず推薦するのはこの本である。ラテン語、ドイツ語、チェコ語という複数の言語を使う人々が暮らしていた土地の全体像をバランスよく描くことはきわめて難しい。そこで、筆者は、従来の通史ではなく、それぞれの時代から人物を選び出し、人物を通して時代の特徴を浮かび上がらせる叙述を試みた。多様な物語を提示することで複雑な歴史を有する土地の多層性を読者に感じさせる一冊となっている。中世から近代にいたる著名人だけではなく、第10章「「同居」した人々、いなくなった人々」では、今日、チェコの地からいなくなった人々の言葉にも目配りをしており、「今はいない人々」の言葉にどのように耳を傾けることができるのかという普遍的な問いかけが読者に投げかけられている。

阿部賢一(あべ・けんいち)

1972年、東京生まれ。東京大学准教授。著書に『複数形のプラハ』(人文書院)、『カレル・タイゲ ポエジーの探求者』(水声社)など、訳書にフラバル『わたしは英国王に給仕した』、ベロヴァー『湖』(いずれも河出書房新社)、ハヴェル『力なき者たちの力』(人文書院)、フクス『火葬人』(松籟社)、オウジェドニーク『エウロペアナ 20世紀史概説』(第1回日本翻訳大賞)、セイヤー『プラハ、20世紀の首都 あるシュルレアリスム的な歴史』(いずれも共訳、白水社)ほか多数。