2020 05/11
著者に聞く

『月はすごい』/佐伯和人インタビュー

月探査カメラの試作機をマウイ島(米国ハワイ州)ハレアカラ山頂 (標高3055m)で試験している著者

いま、月の開発競争が過熱している。2019年4月にイスラエルの民間探査機ベレシートが、9月にはインドの探査機チャンドラヤーン2号が月への軟着陸に挑戦した(ともに、最終段階で失敗)。ソ連、アメリカ、中国に次いで、4番目に月面に探査機を軟着陸させる国はどこか? 2020年4月に公示された内閣府の新しい宇宙基本計画案には、月極域での氷資源探査が盛り込まれている。月面で人類が活動する未来を見据えて、宇宙時代に役立つ知識をおしみなく披露した『月はすごい』を書いた佐伯さんにお話を聞きました。

――まず、本書の執筆の動機をお聞かせください。

佐伯:2014年に講談社ブルーバックスから『世界はなぜ月をめざすのか』を出版した時には、中国が有人月着陸をめざして続々と無人月探査機を打ち上げるなど、月開発ブームが水面下で始まっているのに、世間だけでなく宇宙探査にかかわる研究者の多くにもまだそれが認識されていない状況でした。ですから、世の中に月探査ブームについて気づいていただこうという目的で執筆しました。実はこの時に月科学の最新情報も、月探査の将来展望も、自分としては書ききったという思いがありましたので、もう当分、大人向けの月の本を書くことはないだろうと考えていました。

ところが、わずか5年で月開発ブームは私の予想をはるかに超える質と量で進みました。どのくらい予想外かというと、『世界はなぜ月をめざすのか』の「今後の月探査計画のリスト」に書いていなかった月着陸実証計画SLIMに、自らが理学観測カメラの開発リーダーとして参加しているというくらい予想外でした。

もはや、私が宣伝するまでもなく、月ブームはほっといても近日誰しも実感することになる。では、その時に、新しい指針を示す本が必要なのではないだろうか……と考えて書いたのが『月はすごい』です。帯にあるように、「月で一旗揚げたい人のガイドブック」という、これまで誰も読んだことのない切り口の本を世に送ることができたのではないかと思っております。

――佐伯さんは、いつから、どのような経緯で月探査に携わっているのですか。

佐伯:アポロ11号が人類初の月着陸を成功させたのは、1969年、私が2歳の時でした。幼稚園や小学校の時は月探査や惑星探査ラッシュの時代で、私も宇宙探査にあこがれたものでした。中学高校時代にSF映画や小説にもおおいに影響を受けて、大学に入った時には天文学か当時の新領域であったコンピューターサイエンスの分野を専攻しようと思っていました。

ところが、大学で様々な講義を受けているうちに、日本は世界一の隕石保有国であり、隕石を通じた惑星研究という手法があることを知り、隕石を研究している研究室に入りました。博士課程の大学院生の時に小惑星探査「はやぶさ」計画の企画が始まったのですが、隕石のふるさとである小惑星を探査する計画だということで、隕石研究者として参加しないかと宇宙科学研究所(現JAXA)の方に誘っていただき、それから宇宙探査に関わるようになりました。

しかし、そのうち、「はやぶさ」の目的の天体がイトカワと決まり、地球の天文台の観測でその天体が太陽系の初期の物質を冷凍保存した冷たい天体だとわかりました。太陽系の材料となった物質は何かを探る研究には最適な天体なのですが、私はマグマが大好きで、天体でマグマが発生することで、核やマントルや地殻といった構造分化が起こることに強い魅力を感じて隕石研究をしていたので、マグマが発生しなかった天体イトカワにときめかなくなり、当時始まっていた月探査計画「かぐや」に移りました。

念のため断っておきますが、イトカワは科学的に極めて重要で、興味深い研究テーマが詰まった天体です。しかし、研究対象にときめくかどうかというのは、客観的には説明できない問題ですね(笑)。とは言いながらも、「はやぶさ」の観測装置の精度をあげる手伝いなどはしました。「かぐや」以降は、さまざまな月探査計画の企画に関わっています。

――いま一番ホットな宇宙探査の動向と、刊行からいままでの間で進展した月の状況をお聞かせください。

佐伯:本書の発売直前に打ちあがったインドのチャンドラヤーン2号が挑戦した世界で4番目の月面軟着陸は、残念ながら失敗に終わりました。日本が4番目になるかも知れませんね。

一方、月探査・開発計画は出版後もどんどん具体化してきています。日本は、アメリカの有人月探査計画アルテミスや、月周回国際宇宙ステーションの建設に協力し、さらに、月氷資源探査をインドと共同で行うための準備も着々と進行しています。ちょうど、この4月末に、この月氷資源探査計画の探査車に搭載する装置の一つとして、私の提案した近赤外画像分光カメラが採択されたとの通知がJAXAから届いたところです。大きなプロジェクトが新たに始まる喜びと責任の重さとをひしひしと感じているところです。ただ、新型コロナウイルスが世界規模で広がったために、宇宙探査・開発は世界のあちこちで一時的に急減速しています。アルテミス計画に必要な宇宙船の開発も一時ストップしているようです。ウイルスと戦いながらの宇宙開発というのも取り組むべき課題の一つとなりました。

――刊行後、反響はいかがでしょうか。

佐伯:近年、月探査・開発がブームになっているのもあいまって、テレビやラジオ、新聞など、多数、出演依頼があったり、取り上げていただいたりしています。今回特に嬉しかったのは、読者層が月科学に興味のある方だけでなく、ビジネスマンの方々にも広がっている様子があったことです。ビジネス本のランキングに入ったり、ビジネス情報の番組に取り上げられたりしましたからね。

私は、月が人類のフロンティアとして開発されはじめると、そこで活躍する人は、宇宙飛行士や科学者・技術者だけでなく、ありとあらゆる業種の参入がはじまり、さらには、これまで存在しなかった業種もカンブリアの爆発のごとく出現すると考えています。その手助けをしようという思いを込めた書いた本でもあるので、ビジネスマンの方々に手に取っていただけているのでしたら、大変嬉しいですね。

――本書の8章で地球外の知的生命の可能性について示唆されています。佐伯さんは、もし地球外に知的生命(≒宇宙人)がいるとしたら、どんな姿で、どんなコミュニケーションをしていると思いますか。

佐伯:種としての生存期間を考えると、宇宙人が普通の生物である期間に遭遇するよりは、進化の果てに自らの知性を人工知能化した存在と遭遇する確率の方が高いような気がします。

その人工知能の入れ物は、コンピューターとかロボットとかではなく、やはり生命体のようなミクロな構造が自己増殖できる構造を選ぶのではないでしょうか。人工知能知性体によってつくられた有機的な人工生命になるのではないかと思います。その形は、どんな形でもいいはずだけど、オリジナルの生命体の文化を尊重して、オリジナル生命体の似姿にしてあるのではないでしょうか。

結局一周回って、人工知能をつくりだした知的生命体そっくりな人工生命体ではないかと思います。さらに、何かの拍子で人工生命体であることを忘れていたりして……などと妄想は膨らみますね。

ただし、コミュニケーションは、情報伝達速度の速い電波とか光通信が使える電子回路的なものを埋め込んでいるかも知れませんね。姿や形は人間と似ている可能性が高い気もしますが、人工化して形のしばりがなくなった知的存在だとすると、万物に知性がやどっているような、妖精もしくは妖怪のようなものがあふれた世界になっているかも知れませんね。

――執筆にまつわるエピソードがあれば。

佐伯:『月はすごい』の出版は2019年の9月でしたが、もともとは2019年の3月あたりが目標だったのです。ちょうど、ドラえもんの映画「のび太の月面探査記」が春休みに公開されるという情報があったので、それに間に合わせたかったんですね。ところが、SLIMの準備が忙しくなると同時に、月極域探査や、アルテミス計画など、将来月探査の検討に関連する仕事がどんどん増えてきて、執筆がずるずると遅れてしまいました。

そんな中でドラえもんの映画には行きましたよ。月面の描き方が「かぐや」の月探査画像を参考にしてくれているように見えて嬉しかったですし、「異説クラブメンバーズバッジ」という道具はSFや不条理小説が好きな私からすると、なかなか考察しがいのある恐ろしい可能性を秘めた道具で面白かったですね。ともかく、ドラえもんの映画や、映画に来ていたちびっ子達が楽しんでいる様子に元気をもらって、一気に筆を進めました。

――今後のご研究テーマについて教えてください。

佐伯:現在は、2021年度打ち上げの月着陸実証機SLIMに搭載される、岩石の種類や化学組成を赤外線で調べる特殊なカメラの開発や、その先の月極域氷探査計画に使われる微量氷検出のためのカメラの開発など、準備に大忙しな状態です。機器の開発だけでなく、得られたデータから少しでも情報を絞り出すために、実験室で月の環境を再現して模擬観測をする実験を続けています。実験の様子の一部はNHK-BSのコズミックフロント☆NEXT「ムーン・ラッシュ“月開拓時代”の幕開け」という番組でちらりと紹介されているので、興味のある方は再放送かNHKオンデマンドでご覧いただけると嬉しいです。

カメルーン共和国の火山湖(ニオス湖)にて、湖底から火山ガスを 抜くパイプからサンプルを採取する著者

それから、私は地球の火山の研究もしています。カメルーンの火山湖調査が一段落したので、今は、ドローンから火山に観測装置を打ち込むJAXAのプロジェクトに参加させてもらっています。月惑星探査を企画したり探査データを正しく解釈するためには、地球の自然現象のしくみの複雑さや、野外で観測装置を動かす大変さを地球の火山フィールドなどに実際に行って体験しておくことが重要だと考えています。

また、カメルーンでの調査は火山防災プロジェクトの一環だったのですが、火山防災というテーマには引き続き取り組みたいと考えています。私が人類の活動領域を宇宙へ広げたい一つの大きな理由は、人類の種としての存続という人類規模の防災という意味でもあるのです。なにしろ地球の生命は自然現象によって何度も絶滅しかけていますからね。地球の防災の研究をしながら、火山の理学的な研究を、月、火星など宇宙の火山へ広げていきたいと考えています。

軍隊に守られてカメルーン共和国の火山調査に向かう著者

――最後に、読者に一言お願いします。

佐伯:これから数十年のうちに人類が月で行うさまざまな活動は、今後、数百年の人類の生活や世界のありかたに大きな影響を与えることになるでしょう。つまり、我々の世代は、将来の人類に絶大な影響を与えるさまざまな選択をすることになります。

すでに本書を読んでくださった方は、現在報道されている宇宙開発に関する数多くのニュースが月へのフロンティア拡大とどのように関係しているのか、読み解けるようになったのではないかと思います。まだ本書を読んでいらっしゃらない方も、今のこの時代を、特別な時代としてさらに楽しむために、ぜひ読んでいただければと思います。そして、みんなで人類の選択にさまざまな形で参加するとともに、興味や活動の範囲が地球におさまりきらない方は、ぜひ月で一旗揚げましょう!

――ありがとうございました。

佐伯和人(さいき・かずと)

1967年(昭和42)愛媛県生まれ.博士(理学).東京大学大学院理学系研究科鉱物学教室で博士取得.専門は惑星地質学,鉱物学,火山学.ブレイズ・パスカル大学(フランス),秋田大学を経て,現在,大阪大学理学研究科宇宙地球科学専攻准教授.JAXA月探査「かぐや」プロジェクトの地形地質カメラグループ共同研究員.月探査SELENE-2 計画着陸地点検討会の主査を務め,月着陸実証計画SLIMや月極域水資源探査計画に観測装置を提案するなど,複数の将来月探査プロジェクトの立案に参加している.
著書に『世界はなぜ月をめざすのか』(講談社ブルーバックス,2014年),『月はぼくらの宇宙港』(新日本出版社,2016年)などがある.