2020 01/08
私の好きな中公新書3冊

興味の種をまく本たち/三宅香帆

小池滋『もうひとつのイギリス史 野と町の物語』
大島一彦『ジェイン・オースティン 「世界一平凡な大作家」の肖像』
廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』

大学生時代にイギリスへ一か月留学することが決まったとき、私は英語の参考書よりも先に、イギリス史の本を買い集めた。わずか一か月の留学なのだ。英語能力の向上よりも、現地を楽しむ手段を増やしたほうがいいに決まっている!......そんな短絡的な思考回路によって、しかも現地を楽しむ手段を増やすにあたり、まずやったのがイギリス史の勉強、というのがいっそう短絡的すぎて、思い出すだに我ながら焦るところである。

しかしそこで読んだイギリス史の本のなかで、今でも覚えているのはただ一冊。『もうひとつのイギリス史』のみである。一冊しか覚えていないのか、と呆れられそうだが、この本は特別だった。本書は書名にあるようなイギリス史の本ではなく、「イギリス文学史の本」だった。紀元前から20世紀に至るまで、イギリス国土には「野(田舎)」と「町(都会)」の対比が存在しており、ロンドン市内と市外では、ひとびとの意識がまったく異なっていたのだ......という田舎と都会のひとびとの生き方の差異を、イギリス文学から読み解く。ふつうのイギリス史よりも、「野と町」という補助線をひいたイギリス文学史のほうがよっぽどスリリングだと感じた。そのときは自分でもあまりよくわかっていなかったけれど、私は歴史以上に文学に興味のある人間だった。結局そのイギリス留学を通してもっとも胸がときめいたのも、イギリス文学を題材に先生が扱ってくれた授業だったのである。そんなわけで「中公新書で印象に残っている本」というと、まずこの本を思い出す。

私がなにかを知ろうと思い立ったとき、まずは新書に頼ることが多い。新書のいいところは、分野として概観できる以上に、専門の先生の意見が色濃く出ているところである。たとえば「イギリス史」全体について、俯瞰して見たいのだったらネットで調べてもいいのだが、「イギリス史からスライドさせてイギリス文学史を理解する」なんて裏技、新書でしか体験することはできない。私は新書という専門の先生の講義をとおして、自分の好みを発見するのだ。

留学を終えた大学生活の後半は、結局、文学を読むことに明け暮れた。勉強と称して小説を読むことも多かった。そのなかで中公新書のなかの文学研究の名著にも出会った。たとえば私自身大好きな小説である『高慢と偏見』の作者であるオースティンを「生活者」の視点から読み解く『ジェイン・オースティン』。または、文学批評はただ小説を読むだけではない、さまざまな視点を自分のうちに持ってこそ批評が成立することを教えてくれた『批評理論入門』『もうひとつのイギリス史』で出会って自分自身のなかにまいた文学研究への興味の種は、いつのまにか育っていたようである。

大学生の終わり、卒論を書いたり大学院に上がるにあたって、私が自分の専門にしたのは日本文学研究だった。大学にはもういないけれど、いつか、中公新書のようなうつくしい媒体で自分の専門分野について書いてみたい、と思うときもある。そんな夢を抱けるのも、これまで新書でさまざまな専門分野の先生たちの語りに出会ってきたからだろう。

三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年生まれ。文筆家・批評家。京都天狼院書店元店長。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。
研究テーマは「万葉集における歌物語の萌芽」。
著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)、『妄想とツッコミで読む万葉集』 (だいわ文庫)がある。