2019 11/07
著者に聞く

『日米地位協定』/山本章子インタビュー

普天間基地をバックに

令和改元後、初の中公新書となった『日米地位協定』は、現在の日米関係を考える上で大きな反響を呼んでいます。朝日、毎日、読売、日経新聞といった全国紙、北海道新聞、東京新聞、琉球新報、沖縄タイムズといった地方紙、また各雑誌に、書評や著者インタビューが掲載され、すでに4刷となっています。新進の研究者として注目を浴びている山本章子さんに、ご本について、また今まで歩んできた道についてあらためて伺いました。

――刊行後の反響はいかがでしょうか。

山本:沖縄の地元2紙よりも全国メディアでの動きの方が早く、刊行翌月に4本もの書評が出たことに驚きました。米軍基地のある神奈川県や、沖縄から米軍の訓練移転が行われている北海道のメディア、研究者、市民団体からの好意的な評価も多く、講演会の依頼も複数来ています。また、実務担当者である外務省や防衛省の官僚の関心も高く、何度か直接ご指摘をいただきました。

――そもそも日米地位協定について関心を持つようになったのは、いつからですか。きっかけが何かあったのでしょうか。

山本:博士論文で、1960年の安保改定を研究したときからです。博士課程に入ったときは、1950年代の米軍占領下の沖縄を、軍事戦略の観点から調べようと思っていて、そのテーマで日本学術振興会特別研究員にも採用されました。そしたら、指導教官が、「就職を考えてもっと王道のテーマをやった方がいい」「テーマが変わっても研究費を返せとは言われないから大丈夫」と(笑)。

 そんなわけで、安保改定交渉に関する米政府の記録文書を読んでいたら、米軍部が、日米地位協定の前身である日米行政協定を改定しないことを、安保改定の条件にしていました。日米行政協定は、敗戦後に日本を占領した米軍の既得権益を、日本の独立回復後も引き継いだという要素が濃いものです。だから、日本側は改定して占領時代の関係から脱却したいけど、米軍部は既得権益を守りたい。

 記録文書を読み進めていくと、日本側から米側に、「実質的には日米行政協定の内容を残して、全面改定した日米地位協定を作ろう」という提案がなされています。なんだそれは?と思ったのが、日米地位協定に関心をもったきっかけです。

――今回のご本で最も言いたかったことは何でしょうか。特に注目して欲しかった点はどこですか。

山本:安保改定の結果、日米地位協定ができたけれど、「合意議事録」という交渉担当者の備忘録のような扱いの文書で、実際には、日米行政協定と変わらず米軍の既得権益を引き継ぐという取り決めがされました。これは、いままでの研究では知られていなかったことです。

 ただ、博士論文を、『米国と日米安保条約改定―沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)として単行本化したとき、「合意議事録」の成立に関する記述はまったく注目されなかったことが、非常に残念でした。そこで、『日米地位協定』では、合意議事録の成立過程とその問題性を中心的に取り上げました。幸い、どの書評やインタビューでも、「合意議事録」に注目していただき、本懐を遂げました。

――沖縄に住んでいて感じる日米地位協定と、本土に住んでいて感じる日米地位協定と、認識に差があるとしたら、どういったことだと思いますか。

山本:沖縄に住んでいると、「本土の人は、米軍基地を沖縄の問題だと思っている」という批判をよく聞きます。でも、今回の本についての書評やアマゾンのレビュー、SNS上の感想を読んだり、直接いろんな方から感想をうかがう限りでは、沖縄と本土とで日米地位協定に関する問題意識の差はないように感じます。

 差があるとしたら、肌感覚の差ではないでしょうか。私は、普天間飛行場の周辺に住んでいて、早朝や深夜にMV22やF35などの米軍機が自宅の上を飛ぶのが日常です。沖縄県内の米軍の事件・事故も多い。「うるさい」「こわい」という体験が日常的にあるのとないのとでは、切実さが違ってくるのではないでしょうか。

――山本さんは北海道生まれで、東京で学生生活を送り、沖縄で今研究をされています。同じ日本でも最北部、首都、最南部で、日本についての考え方に、何か違いがあるでしょうか。

山本:北海道と沖縄では、他県を総称して「内地」と呼びます。自分たちの住む地域は「外地」だという意識が、どこかにあるともいえます。実際、国語の時間に習う季語は、住んでいる地域の季節とまったく一致しないし、全国ニュースで東京都知事選の話題を聞いてもピンときません。日本の周辺にあって、日本を外側から眺める感覚をいつも味わっているわけです。

 逆に、東京やその近郊に住んでいると、すべての物事が東京を中心に動いているような感覚を持ちます。実際、そうなんでしょう。ただ、日本の中心にいると、日本政府の見解や全国メディアの報道で、大体のことは理解しているような気になりやすい。すると、時には、それ以外の見解や現実が見えなくなることもあるのではないでしょうか。

――そもそもなぜ国際政治について関心を持つようになったのですか。

山本:高校3年になるとき、進路を決めなければいけないので、古本屋で中公新書や岩波新書の面白そうなものを何冊か買ってきて読みました。中嶋嶺雄『国際関係論――同時代史への羅針盤』(中公新書、1992年)が一番面白かったという理由で、国際関係の研究で有名だった一橋大学に行こうと決めました。

 本当は、移民・難民や少数民族の研究が盛んな社会学部に入りたかったのですが、母子家庭で、母が資格のとれる法学部以外の受験は認めないと言ったので、法学部を受けて、国際関係論コースに進みました。修士課程にあがるときも、本当は社会学研究科に進みたかったのですが、「あそこはリベラルすぎる」という周囲の反対もあり、法学研究科へ(笑)。三度目の正直で、博士課程から社会学研究科に入りましたが、すでに学部と修士課程で外交史の手法を身につけた後だったので、専門を変えませんでした。

――沖縄について関心を持つようになったのはいつからですか。何かきっかけがあったのでしょうか。

山本:修士課程を修了した後、出版社に就職しましたが、研究は個人的に続けていました。日米関係史の研究をするためには、日米両政府の公文書を読む必要があります。東京に住んでいたので、外務省外交史料館へのアクセスは容易でしたが、渡米して米政府の公文書を収集する時間的・金銭的余裕がありませんでした。

 ところが沖縄には、大田昌秀知事のときに建てられた沖縄県公文書館という、全米の沖縄関係文書の複製を収集・公開している素晴らしいアーカイブがあります。それで、沖縄に年2回は通って、沖縄県公文書館の所蔵文書を片っ端から読みました。そこから、沖縄への関心を深めていきました。

――大学卒業後、編集者として勤務されています。学者の場合、卒業後ストレートに研究者になるのが大部分です。一度社会に出てから研究者になったメリット、デメリットにはどういったことがあるでしょうか。

山本:私は外交史が専門なので、一度社会に出て実務を経験することで、政策決定者や外交担当者の思考プロセスに多少なりとも近づけた気がします。政治家や官僚は、理念や思想よりもむしろ、政治上の利害や経済動向、ライバルとの関係、野党や圧力団体など複数の要因に左右されながら、決定を下します。そのため、論理的一貫性から考えると非合理的に見える政策決定が、実は政治的には合理的な妥協の産物であるということが、実務を通じて肌感覚で分かるようになりました。

 デメリットは、なんといっても年齢が上がることです。博士課程の院生やポスドクを対象とした助成金は、年齢制限を設けていることが多く、対象外で何度も悔しい思いをしました。

――国際政治の分野で活躍している女性研究者は、他の分野同様、男性に比べるときわめて少数です。男女による違いはありますか。何かご苦労はありましたか。

山本:国際政治学会だけに関していえば、男女比率の差は感じません。多くの女性研究者が責任ある役職についていますし、研究大会では女性ばかりの部会・分科会もよく見かけます。報告や討論の際に、女性が特別扱いされるということもありません。

 ただし、大学のカルチャーや研究者の厳しい就職状況が、女性研究者の人生の選択肢を狭めていることは、問題だと感じます。たとえば、院生が結婚や出産をすることを、「ストイックじゃない」と見なして、反対もしくは妨害する話はよく聞きますし、私も体験しました。また、助手や非常勤講師、任期付き教員が産休・育休をとることは、実際問題として厳しいですよね。
 
 最近では、テニュア・トラック採用(数年の任期中の業績を評価して専任に採用する制度)も増えているので、専任を目指して限られた年数の中で業績をあげるためには、出産を控えざるをえない。数々の関門をくぐりぬけて専任ポストを獲得した頃には、出産が難しい年齢になっているのが現実です。

――中国の台頭やトランプの登場などで、アメリカの力に翳りが強くなっています。このなかで、日米関係はどのようにあるべきだと思いますか。

山本:日米関係を重視することと、これに依存することは違うはずです。
日本は、近隣にロシアと中国という二つの大国があり、これらの国々との間に領土問題も抱えています。朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の核・ミサイル開発問題もあります。安全保障上の緊張が存在する以上、米国との同盟関係は重要です。

 しかし、安全保障というのは本来、抑止などの軍事一辺倒ではなく、対話と抑止とのバランスなどから成り立つものです。歴史的に見て、抑止は失敗した事例の方が多いし、軍拡競争につながりやすい。だから、アメリカという世界一の軍事大国でさえ、北朝鮮に対して抑止だけではなく首脳間の対話でも働きかけています。日本政府は近年、抑止一辺倒の言動が目立ちますが、外交による地域の緊張低下を目指すことをおろそかにしてはいけないと思います。

 抑止一辺倒だと、地域の安全保障環境だけではなく、同盟関係にも負の影響が出ます。その際たる例が、日米地位協定の運用です。安全保障でアメリカに依存しているから、日本に不利な運用であっても改定を要求することが難しいと、日本政府が認識してきたことが、問題の根源にあります。

――最後にこれからの研究テーマについて聞かせて下さい。

山本:次は1970年代末、米ソのデタント(緊張緩和)が崩壊し、新冷戦に向かう時期の日米関係を研究したいと考えています。もともとは修士論文のテーマでした。

 アメリカの力が相対的に落ちていく中で、カーター政権はなりふりかまわず同盟国を利用し、中国との関係を強化してソ連に対抗しようとします。それによって、米ソ間だけではなくアジア地域の緊張も高まる中で、日本はどのような選択肢を考え、実行し、失敗したのか。同盟や日本の安全保障を考える上で、非常に示唆的なテーマだと思います。

山本章子(やまもと・あきこ)

琉球大学専任講師.1979(昭和54)年北海道生まれ.一橋大学法学部卒業、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了.編集者を経て,2015年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了.博士(社会学).沖縄国際大学非常勤講師を経て,18年より現職. 専攻・国際政治史.著書に『米国と日米安保条約改定――沖縄・基地・同盟』(吉田書店,2017年.日本防衛学会猪木正道賞奨励賞),『米国アウトサイダー大統領――世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書,2017年).共著に『沖縄と海兵隊――駐留の歴史的展開』(旬報社,2016年),『日常化された境界――戦後の沖縄の歴史を旅する』(北海道大学出版会,2017年)など