2019 08/23
著者に聞く

『ナポレオン四代』/野村啓介インタビュー

 ナポレオンと聞けば、才能のある軍人、英雄、皇帝、などのイメージがすぐに浮かぶのではないでしょうか。その甥・3世は、マルクスやユーゴーの影響で、たいへん評判の悪い人物であるという先入観があるかもしれません。では、それぞれの息子の2世、4世は? 偉大な父を持つと、苦労するのは世の常のようです。伝説に彩られた一族の実像に迫った『ナポレオン四代』の著者、野村さんにお話をうかがいました。

――そもそも、なぜナポレオンに関心をもったのですか?

野村:たしか、高校時代の世界史でフランス革命・ナポレオンについて学んだのがきっかけだったように思います。担当の先生がことのほかフランス革命の授業にご熱心で、ついついひきこまれ、その流れで登場したナポレオンにも強い印象をもった、と記憶しています。

 とくにナポレオンやフランス史を専門にやりたいと考えていたわけではありませんが、大学では自然とその方向にひっぱられていき、卒業論文では1871年のパリ・コミュン史をテーマにしたんです。今にして思えば、若いころの自分は、強大な国家権力に果敢にたちむかうパリ市民の姿に、なにかしら共感していたのかもしれませんね。そういえば、そのとき読んだ基本文献に、中公新書の柴田三千雄『パリ・コミューン』があります。

――パリ・コミュンといえば、ご著書にそのときパリ・ヴァンドーム広場のナポレオン像がひき倒されたとありました。

野村:そうなんです。そのころの皇帝ナポレオン3世は、コミュン参加者からみればまさに悪者でしたから、当然ナポレオン1世も憎悪の対象になったわけですね。しかし、元来のわたしのあまのじゃくな性格が災いしたのでしょう、パリ・コミュン史を勉強しながら、逆にナポレオン3世に興味が湧いてきたというわけです。それで、大学院からフランス第二帝政や皇帝ナポレオン3世について研究しはじめました。

 ボルドー留学を機に、地域史の枠組みから帝政を考察しつつ、ワイン産業の問題を掘りさげて勉強するようにもなりました。この延長線上で、第二帝政を外交の側面からとらえかえすという関心も芽生え、外交官の異文化接触や極東へのワイン輸出政策なども研究するようにもなりましたが、それはまだずっと先の話です。

――本書執筆の動機をおしえてください。

野村:実は、最初は編集部にナポレオン3世で書けないかと打診したのです。自分がナポレオン3世の勉強をやっていたから、それが私としてはごく自然な提案だったのですが、即座に難色を示されました。はっきり聞いたわけではないですが、鹿島茂氏の『怪帝ナポレオン3世』ほどの販売を期待できないから、というのが理由なのでは、と推察しています。それを言われては身も蓋もないな、と感じましたが、鹿島さんほど筆が立つわけでもないし、読者をひきこむ構成を考える自信もありませんでした。

 そこで発想を少しかえて、ナポレオン1世から複数の「ナポレオン」の名をもつボナパルト一族ならばどうかとお伝えしたところ、それならということで話が前に進みはじめました。

――本書の主人公である4人の魅力や欠点などについて、エピソードを交えつつ教えてください。

野村:これは一般論ですが、山あり谷ありの人生を背負った人の生きざまというのは、なにかしら惹かれるところがないでしょうか。本人たちが自覚するとしないとにかかわらず、時として歴史の神様がそのように差配していたのかとさえ感じることもあります。それは、そのような境遇におかれてしまった人間のはなつ魅力とでもいえましょうか。私のばあい、それがナポレオン一族の面々だったというわけです。

 ナポレオン1世はフランス革命という激動の中でその人生を大きく狂わせたといえますし、そのことが2世から4世までのナポレオンたちにも大きな影響をあたえたことはいうまでもありません。2世以降は、「ナポレオン」の名がどのような歴史的意味をもっているのか、自覚せざるをえない境遇であったろうと思います。人生の谷にあるときでも、普通の人なら腐ってしまうこともあろうかと思いますが、各自なりの前向きな姿勢というのは、本書を書きながら爪の垢を煎じて飲ませてもらいたいと思ったくらいです。

 フランス本国の歴史家は、ナポレオン3世が自分の「星」、つまりナポレオンとしての運命をまるで信仰のように信じこんでいたという側面に言及することが多いのですが、このような愚直なまでに自分の運命みたいなものを信じるという側面、これは多かれ少なかれ2世以降のナポレオンにも共通することだと思います。

――執筆中に特に苦労したことはなんですか。

野村:執筆中の苦労ですか。それは、ただひとこと、「あとがき」の最後に書いたとおりです!(笑)

 実は、別の書籍を同時並行で進めていたということもありましてね。執筆開始の時期はかなり違うのですが、当方の遅筆がゆえに刊行がほぼ同時期になってしまったため、まさに「阿鼻叫喚」の地獄を味わう羽目になりました。せめてもの慰めは、広く手にとっていただけたことくらいでしょうかね・・・・・・。

 それはともかく、できるだけ一次史料にあたってナポレオンの生の声を文面に生かしたいという基本姿勢で執筆をすすめていたのですが、これがもうひとつの「苦労」といえましょうか。そうした史料は、実に多く残され、しかも非常におもしろい史料が多いものですから、取捨選択に難儀したということが大きかったですね。

 それと、これは苦労というわけではないのですが、阿鼻叫喚のなかでじっくり考えることができなかった部分もあって、元来が長期熟成型の私としては、時間がたつにつれて反省点もではじめています。あとになって読みかえしてみると、誤解をあたえる文章になったのではないかと感ずる箇所もなきにしもあらずなのです。これには忸怩たる思いでいっぱいになりますが、お気づきの点やご意見などありましたら、ぜひともお寄せくだされば幸いに存じます。

――本書のみどころをおしえてください。

野村:「はじめに」に書いたところですが、ナポレオン一族を描くにあたり、逆境からの復活劇、異邦人としての人格形成、そしてその名のもつ歴史的多義性、という3つの視角を軸に、一族のたどった栄華と奈落を行き来する数奇な運命に注目しました。すなわちそれは、ナポレオン4代をひとつの連続する一族の物語として提示しようとするもので、なかなか稀有な試みであろうかと思います。4代の総体史を提示することによって、フランスひいてはヨーロッパの歴史を通観し、一族の視角から近代という時代を読み解こうと意図したわけですが、その成否の判断は読者にゆだねるしかありません。

 とはいえ、そうした「教科書っぽい」内容だけでは硬すぎるというか、軒並みなナポレオン一族の描写に終わってしまうと感じていたことも事実です。そこで、家族のつながりとか、私的な部分にも多くの光をあてたいと考えました。それは、国の命運をになうような人びとでありながらも、私たちと何ら変わらない部分もある人たちなんだよ、という側面にも言及したかったからです。また、人間味の部分とでもいいましょうか、たとえば家族の絆が強かったかと思えば、反目しあったり、あるいはそれなりの苦労を味わって悪戦苦闘していたり。そういった、われわれと変わるところがないような部分も織りこみたかった、という筆者の思いも行間に感じとってもらえたらな、とも思います。

――そういえば、4代とも国外で亡くなっていましたよね。

野村:そこが、われわれと大きく異なる部分でしょうね。ナポレオンたちには、運命に翻弄された側面だとか、悲劇性などがくわわって、人生の面白みを増しているのですね。先ほど言及した異邦人という側面にかかわるわけですが、フランスの外からやって来て、あるいはまたフランスの外へと去っていくという、実に慌ただしい動きをみせます。それでもフランスやヨーロッパの歴史に大きな足跡をたしかに残していったナポレオンたち。それだけに、3、4世の墓がいまだ外国の地にあるという事実にも、なかば感傷的な筆致で触れたしだいです。

――読者へのメッセージをお願いいたします。

野村:中公新書には多くの良書がひしめいていて、そのなかに自分の著作がまぎれこんでいるというのは、なんとも不思議というか、気後れするような気さえしてきます。逆に、そのようなところに仲間入りさせていただけたことは光栄というしかなく、先ほど言及した「阿鼻叫喚の地獄」とともに末代まで語り継ぐべき快挙であるとさえ思います。

 大学院時代から本格化したナポレオン一族の研究ですが、しがない一研究者の現時点での到達点にすぎないとはいえ、それをこのような形で披露できることに喜びを感じています。これを機に、ナポレオン1世だけでなく、他のナポレオンも、さらには現在にまでつづくナポレオン一族の系譜も知っていただけたら、これにまさる喜びはありません。

 また本書には何枚かナポレオンたちゆかりの地の写真を掲載していますが、この大多数は実際に足を運んで撮影したものばかりです。これは、いわば「場の記憶」としてのナポレオンを感じとってほしいと考えたからにほかなりませんが、観光のきっかけにしてほしいという密かなたくらみがなきにしもあらずでした。くしくも、今年(2019年)はナポレオン1世生誕250周年、ナポレオン4世没後140周年ということで、なにか運命的なものを感じるところでもあります。できるだけ多くの読者に手にとっていただけることを祈っているところです。

野村啓介(のむら・けいすけ)

1965年福岡県生まれ.90年九州大学文学部史学科卒業.ボルドー第3大学史学科第3期課程専門研究課程.96年DEA(専門研究課程修了証書)取得.97年九州大学大学院文学研究科史学専攻 博士後期課程単位取得退学.98年鹿児島大学法文学部助教授.2000年に博士(文学).東北大学大学院国際文化研究科准教授などを経て,19年より東北大学大学院国際文化研究科教授.著書に『フランス第二帝制の構造』(九州大学出版会,2002年),『ヨーロッパワイン文化史――銘醸地フランスの歴史を中心に――』(東北大学出版会,2019年)ほか.