2019 04/12
著者に聞く

『承久の乱』/坂井孝一インタビュー

後鳥羽上皇が祀られた水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)。上皇が造営した離宮の跡地に建つ

承久の乱といえば、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒す目的で起こした兵乱というのが一般的なイメージではないだろうか。だが研究の進展により、そういった見方は過去のものになったという。ではなぜ乱は起こったのか。『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』を著した坂井孝一さんに話を聞いた。

――先生のご専門はどういったものでしょうか。

坂井:日本中世史、とくに平安後期・鎌倉前期の政治史・文化史です。文書や貴族の日記といった歴史学の史料だけでなく、軍記物語や和歌など文学作品に対しても歴史学的視角から考察を加え、この時代の政治や社会の実相を明らかにしたいと考えています。また、私自身が観世流の能や葛野流の大鼓を嗜んでいることから、室町期の芸能史(とくに能楽)の研究にも携わっています。観世流宗家観世清和師、能楽研究者の東京大学教授松岡心平氏とともに、観世能楽堂で開かれた能楽講座のパネリストを務めたこともありました。このように歴史学と文学・芸能史学を融合させるような研究に取り組んでいます。

――今回、執筆依頼を受けてどのように感じましたか。

坂井:源実朝暗殺までの歴史については『源実朝』(講談社選書メチエ)という著書で明らかにしました。ただ、承久の乱に至る過程については、さほど深くは考察していませんでした。そこに「歴史なら中公」と言われるほど伝統と格式のある中公新書から執筆依頼です。しかも、その後、呉座勇一氏が『応仁の乱』という空前の大ヒットを放ちました。かなりのプレッシャーを感じたのは確かです。しかし、政治史と文化史を融合させる自分のスタイルを活かせば、ご期待に沿えるのではないかと考え、前向きに取り組んだ次第です。成功したかどうかは別ですが。

――執筆にあたって苦労した点は。

坂井:都から遠く離れた鎌倉で、独特の個性によって和歌を詠んだ実朝と異なり、後鳥羽上皇・藤原定家・慈円ら新古今時代の歌人たちの作品を考察するのは、和歌研究の専門家ではない私には難しい作業でした。ただ、何より苦労したのは字数の制約です。院政成立の11世紀末から乱後の13世紀半ばまでという長い時間軸で「武者の世」の到来という激動を捉え、文化にも触れつつ叙述しようとすれば、扱うべき歴史事象は膨大になります。泣く泣くカットしたり、無理に表現を短くしたりした箇所もありました。それが少し心残りです。

――執筆中のエピソードがあれば。

            熊野古道の瀧尻王子宮にて

坂井:後鳥羽上皇が繰り返し訪れた熊野や水無瀬、最大の激戦地である宇治、そして隠岐島に足を運んだことですね。イメージを膨らませる上で役に立ちました。熊野の山路を汗水たらして歩き、のどかで風光明媚な水無瀬の景色を眺め、後鳥羽上皇に思いをはせました。大雨の後で宇治橋を訪れた際には、橋脚に水が激しくぶつかって飛沫を上げている光景に圧倒されました。隠岐島に渡るフェリーでは、海に出ると島影がうっすらと遠望できることに驚き、「ご着船の地」とされる「崎」では、人家もまばらな漁村の海岸に波が静かに打ち寄せるのを眺めつつ、感慨にひたりました。いずれも歴史の舞台を体感する貴重な機会でした。

――後鳥羽上皇の真の狙いは何だったのでしょうか。

坂井:承久の乱は後鳥羽上皇が起こした兵乱です。上皇の狙いは何だったのかという視点は極めて重要です。逆にいえば、鎌倉幕府に重点を置いて承久の乱を論ずるのはおかしな話です。また、後鳥羽上皇の狙いは倒幕だったとする見解が古くからあります。しかし、上皇が発した北条義時追討命令は、院宣が幕府の有力御家人8人を対象に、官宣旨も幕府の守護・地頭に宛てて出されています。しかも、院宣では褒美を加える、官宣旨では院庁への参上と上奏の許可という形で、幕府の守護・地頭に対する恩賞を明示しています。ここからも、上皇は幕府と御家人たちの存続を前提として義時の追討を命じたのであり、幕府という組織そのものを倒そうとしたわけではなかったことがわかります。当時、鎌倉の武家政権を「幕府」と呼んだかどうか、といった問題は事の本質ではありません。

――出版後の反響はいかがですか。

坂井:読者の反響、たとえばSNS上で目立ったのは、後鳥羽上皇と源実朝に対するイメージが変わった、二人ともキャラクターが鮮やかに描かれていて面白かった、という感想です。他にも合戦の描写に躍動感がある、院政の成立から説き起こした点が良かった、敗者たちの運命に哀感を覚えた、わかりやすく面白い文章なのであっという間に読めた、など好意的な批評が多く、著者として嬉しく感じました。また、親しい友人たちは、書店で平積みになっているのを見て喜んでくれました。おかげさまで執筆の依頼や取材の申し込みが増えています。

――今後の取り組みのご予定は。

           鎌倉の鶴岡八幡宮

坂井:今後、力を入れたいと考えているのは源氏三代断絶の歴史とその影響です。源実朝没後800年に当たる2019年のうちに、ぜひ論文や著書を書き上げたいと考えています。また、数は少ないですが、承久の乱や和田合戦など鎌倉初期の事件を素材にした能もあります。こうした芸能の作品に対しても歴史学的視角からメスを入れたいと思います。歴史学・文学・芸能史学を融合する研究はまだまだ発展の可能性がある、こう信じて取り組んでいくつもりです。

坂井孝一(さかい・こういち)

創価大学文学部教授。1958年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院に進み、博士(文学)を取得。専門は日本中世史。『曽我物語の史実と虚構』『源実朝』『源頼朝と鎌倉』『源氏将軍断絶』『鎌倉殿と執権北条氏』などの著書がある。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(2022年)の時代考証を担当した。愛猫家。