- 2018 11/22
- 著者に聞く

幕末の動乱を描いたものは小説、映画、ドラマ問わず人気が高く、数も多い。しかしそこで描かれるのは武家たちの姿ばかりで、朝廷の公家たちは後景に退いていることが多い。はたして幕末の公家たちは歴史の影に埋没した存在だったのか。『公家たちの幕末維新』を書いた刑部芳則さんに話を聞いた。
――まず本書ご執筆の経緯を教えてください
刑部:前編集長と企画について打ち合わせしたとき、実は、私が提案したのは明治時代の公家華族に関するものでした。ところが、私の話を聞いた前編集長からは、明治よりも幕末をテーマにしてはどうですかと口説かれました。想定外の話だったため、明治か幕末かをめぐって1時間くらい話し合いました。その結果、幕末で執筆することとなったのです。
この面談の直前、『京都に残った公家たち』(吉川弘文館)を刊行したこともあり、明治を迎えるまでの公家の動向に関心がないわけではありませんでした。せっかく幕末の史料を熟読する機会を与えてくれたのです。ここで用意してくれた船に乗らなければ、幕末に関する力は一生つかないだろう感じました。
日本史の研究では、よく「断続性」という点が問題にされます。つまり幕末と明治とでは、何が消え、何が引き継がれたのか、などという点です。幕末の公家と、明治の公家華族とでは、何が共通し、何が違うのか。これは華族を研究する上で重要なことです。それには幕末の公家たちの動向を知らなくてはなりません。
このような思いから本書を執筆することを決めました。
――本書には、数多くの人物が登場します
刑部:堂上公家は当主だけで数えると137人います。岩倉具視や三条実美のような有名人だけでなく、できる限り多くの公家たちを取り上げたいと思いました。最初に悩んだのは、誰を「隠れ主人公」にするかです。主人公を立てた場合、ペリー来航から王政復古までの約15年間を通史として描くにあたり、下手をするとその人物の評伝になってしまいます。しかし、誰か中心になる人物がいないと、話をまとめるのが難しいと感じました。
幕末の膨大な史料群と向き合ってみると、はっきりとした意見や行動がわかる公家と、集団行動では出てくるものの個性が見えない公家とがいます。そこで「隠れ主人公」にしたのが正親町三条(嵯峨)実愛です。正親町三条については約20年研究を続けてきました。朝廷内で薩摩藩や長州藩を相手に上手く立ち回った人物として注目できます。
全体の流れでは関白、議奏、武家伝奏を重要な脇役として置き、正親町三条の盟友中山忠能、宗家の三条実美、政治的な相手である岩倉具視、大原重徳なども脇役とし、それ以外の公家たちは特徴のある事件や出来事で登場させました。
――刊行後にはどのような反響がありましたでしょうか
刑部:幕末の公家について知ることのできる書籍がまったくない状況でした。それだけに関心を持っている人たちにとっては待望の刊行だったようです。複数の場から講演依頼をいただきました。幕府や諸藩の動きだけでなく、朝廷内の公家についても知りたい人は少なくなかったのです。私の生の声を通して、あらためて公家たちの言動や役割を伝えられることを嬉しく感じます。
『公家たちの幕末維新』が刊行されたのが7月末、その翌月からNHK大河ドラマ『西郷どん』で私が担当した軍装・洋装考証の放送回が始まりました。ドラマのクレジットで私の名前を見たことがきっかけで新刊を知った方、または『西郷どん』をより楽しもうと購入された方もいると思います。まさに絶妙なタイミングで刊行できたと感じています。
――大河ドラマ『西郷どん』の軍装・洋装考証では具体的にどのようなことをされるのでしょうか
刑部:軍装・洋装考証は、ドラマに登場する軍服や洋服、公家の装束、頭髪などに関し、史実にもとづいて指導するのです。太政官の閣議では洋装だが、自宅のシーンでは和装にするなど、それぞれの場面で誰がなにを着るのかも検討します。
陸軍将校が被る軍帽の階級線は何本であるとか、袖やズボンの側線は何色かなど、細部にまでこだわっています。
『西郷どん』では幕末から明治へと時代が変化したことを視聴者にわかりやすく伝えるため、明治になると大久保利通や木戸孝允などは、結髪・羽織袴・二刀差しから散髪・洋服・脱刀に変わっています。しかし、そういった変化は、史実では明治4年(1871)7月14日に廃藩置県が断行されたあとです。
明治6年(1872)10月の西郷隆盛を朝鮮に大使として派遣するか否かをめぐる論争の場面では、太政大臣三条実美と右大臣岩倉具視は狩衣を着ていますが、これは両者を公家だと視聴者に示すためです。史実では、明治5年11月に洋式の大礼服が制定されると、公的な場で狩衣などの装束を着ることはなくなります。
ドキュメンタリーの再現映像ではなくドラマであることと、視聴者にわかりやすく伝えることから、史実どおりではないところもあります。
――本書を読むと、幕末期の公家たちのイメージが一変しますが、今後どういう描かれ方がされることを期待していますか
刑部:従来の公家イメージは、「無責任」「優柔不断」「無能力」といった悪い評価がほとんどです。時代劇ドラマでも人気がなく、無名の俳優が演じる端役の扱いでした。その原因は江戸時代以降の公家に関する研究が遅れており、公家たちの本当の姿が見えなかったからです。
明治政府で右大臣となる岩倉具視だけが「策士」のように取り上げられますが、太政大臣三条実美も決して気弱ではありません。大原重徳は頑固で強直な性格ですし、正親町三条実愛は政治的なバランス感覚に長けています。
今後は、それぞれの個性を理解した上で、公家たちの言動を描いてもらいたいです。
――刑部さんの今後のご研究について教えてください
刑部:大学生の頃から抱えている研究課題は沢山ありますが、とりわけ「制服」と「華族」は研究の二大看板として掲げてきました。
制服については、近現代の学校制服について調べています。太平洋戦争よりも前の高等女学校ではセーラー服、中学校では詰襟の学ランが主流でした。戦後に新制の高等学校になると、ブレザーが多くなります。学校制服の変化や生徒たちの意識について研究していきます。
華族については、明治から昭和まで公家出身者たちがどのような生き方をしたのかを描きたいです。貴族院議員に限らず、外交官、陸海軍の軍人、宮内省の官員、文化人など、それぞれの分野で活躍した公家華族たちの足跡をたどってみたいと思います。
私の研究姿勢は、子供の頃から変わらない歴史を楽しむことです。これからも「歴史楽」の研究姿勢を変えることなく、新しい歴史事実を発見していきたいと思っています。