2018 10/22
著者に聞く

『中国経済講義』/梶谷懐インタビュー

浙江省烏鎮にて

「中国の経済統計は信頼できるか」「不動産バブルを止められるか」など8つのテーマから中国経済を分析した『中国経済講義』。日本経済新聞2018年10月4日付夕刊の書評でも話題を呼び、刊行1ヵ月ですでに3刷となっている。著者の梶谷懐さんに、本書の狙いから中国経済研究の現在まで、幅広く聞いた。

――中国経済をめぐっては、いずれ破綻するという「崩壊論」から、世界秩序を揺るがすとみる「脅威論」、最近ではキャッシュレス化などに着目した「スゴイ論」まで、多くの議論があります。そんななか、本書を著した思いを教えてください。

梶谷:中国経済に関する議論がブレやすいのは、データや統計の信頼性が低かったり、経済を動かしているシステムが見慣れている先進国のものと異なっていたり、「不確実性」が大きい経済だからだと思います。

アメリカ経済や日本経済について、例えば「実際の経済規模は公式統計の3分の1だ」などという根拠のない、極端なことを書けばさすがに専門家やジャーナリストからの批判が噴出するでしょう。しかし、中国経済だと、そもそも信頼できる情報源が身近なところになく、「中国はよく分からない」という心理があるため、「ひょっとすると本当かも」と思う読者層が存在し、一定の厚みを持つ「市場」を形成してしまう。

専門家の多くも基本的に面倒くさいことには関わりたくないし、一般読者向けの記事を書くのに慣れていないということもあって、たいていは見ないふり、知らないふりをする。結果として、根拠のない誇張された議論が野放しのまま広がる、という構図があるように思います。自分なりに、こういう状況を何とかしたいという思いがありました。

――タイトルの「講義」にこめた狙いは何でしょうか。

梶谷:「中国経済講義」とは確かに堅苦しいタイトルですが、アカデミックな議論の水準を踏まえることで、表面的な変化に流されない、腰の据わった中国経済の概説書を提供したい、という思いからあえてつけました。

「講義」ということで、現在のトピックについてもその背景について教科書的な制度の説明などをできるだけ加えるようにしています。そういった説明はやや退屈に感じるかもしれませんが、現在起きていることをきちんと理解するためには必要な知識ですので、なんとかついてきてもらえれば、と思います。

――共産党体制の中国で持続的なイノベーションは可能なのか、という問いに挑んだ第6章が注目を集めているようですね。

梶谷:昨年ぐらいから深圳を中心とした中国製造業のイノベーションへの関心が日本でも非常に高まっていて、数々のレポートや一般向けの記事が書かれています。

一方で、深圳のある意味で「何でもあり」というか、パクリも横行していれば、世界的なハイテク企業もある、世界中のクリエイティブな人材をひきつける先進的な試みも行われている、というごちゃごちゃした状況にシンプルな見取り図を与えるような議論はほとんどありませんでした。第6章はその点で読者のニーズにうまく応えられたように思います。

それから、この章はある企業向けのセミナーで講演した内容をテープ起こした講演録に手を入れたものがベースになっています。もともと専門家ではない方向けに行った講演なので、比較的読みやすかったことも注目を集めた原因かもしれません。

――『「壁と卵」の現代中国論』や『日本と中国、「脱近代」の誘惑』など、経済学にとどまらず、中国について、また日中関係について論じてこられました。そもそも「中国」および「中国経済」に関心を持たれた理由は何でしょうか。

梶谷:もともと、一つの専門分野についてコツコツ研究を進めていく、というのが苦手なタイプなので、中国という巨大で、その全体像がつかみにくく、より多面的なアプローチが必要とされる地域が研究対象として魅力的だった、ということはあるかもしれません。

特に、大学院時代から歴史系の研究会に入ったりして、歴史的な視点から現代中国を見るという姿勢を身につけたことが、中国への関心を持続させるうえでは大きかったように思います。

――いろいろな意味で中国経済が注目を集めていますが、専門的に研究しようとする学生は増えているのでしょうか。

梶谷:それが、まったく増えていないのです。たとえば私は2010年から神戸大学の大学院経済学研究科で教えていますが、その間中国経済を専門に学ぶために大学院に入ってきた日本人の学生は社会人学生を除けば一人もいません。

これは神戸大学だけの現象ではありません。たとえば、日本にはアジア政経学会や、中国経済経営学会といった中国経済の専門家が集まる学会がありますが、日本人の大学院生による研究成果の発表や論文投稿が全くない、という残念な状況がもう何年も続いています。

――なぜなのでしょうか。

梶谷:中国語も勉強しなければならない上に経済学や統計学もマスターし、さらに英語で論文を書かないといけない、というハードルの高さに尻込みしてしまうのかもしれません。

現在、大学の経済学部に教員として採用される際には、英文の査読付きジャーナルに論文を発表することが必要な条件になっています。そのためには狭い専門分野でのディシプリンを身につけ、出来るだけ論文を量産する必要があり、従来の地域研究のように現地に長期滞在し、その言葉を習得することが就職の面でリスクとみなされるようになってきたのです。

また、日本社会全体の対中感情の悪化が影響しているところもあるでしょう。私が学生の頃に比べ、中国に留学する学生の数がはるかに減っています。特に若い人には政治的な問題に巻き込まれる警戒感が強い。中国と深くかかわると面倒なことに巻き込まれそうだから敬遠する、という心理も働いているように思います。

――日本にとって中国経済はますます重要になっているのに、残念ですね。

梶谷:はい、このままでは私のような中国経済の専門家は絶滅してしまいかねませんので、若い意欲のある人たちに積極的にこの分野に参入してほしいと思います。

――最後に、現在取り組んでいるテーマやお仕事について教えてください。

梶谷:地域研究者として、狭い専門の枠にとらわれない幅広い仕事をこれからも手がけていきたいと思っています。たとえば注目を集めている中国のイノベーションにしても、それを生み出すような政治や法制度との関連に注目して分析を行う必要性を感じています。

また、中国社会における急速なITの普及、生活インフラのインターネット化は、膨大な個人情報の蓄積とそれを利用したアーキテクチャによる社会統治という新たな「管理社会」「監視社会」の到来という状況をもたらしつつあります。これはある意味、欧米など起きていることと並行している動きだと思いますが、それが中国の経済や社会にどのような影響を与えているのか、また、そこに欧米や日本とは異なる中国独自の動きというものが存在するのか、といったことに強い関心を持っています。

次の一般向けの著作は、そういった問題意識から現代中国社会を切り取るようなものにしたいと思っています。

梶谷 懐(かじたに・かい)

1970年、大阪府生まれ。94年、神戸大学経済学部卒、96~98年、中国人民大学に留学(財政金融学院)、2001年、神戸大学大学院経済学研究科より博士号取得(経済学)。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、2010年より神戸大学大学院経済学研究科准教授、14年より同教授。著書に『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院、2011年)、『現代中国の財政金融システム』(名古屋大学出版会、2011年、大平正芳記念賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(太田出版、2015年)、『日本と中国経済』(ちくま新書、2016年)など。