2018 10/24
著者に聞く

『外国人が見た日本』/内田宗治インタビュー

1914年に刊行された『公認東亜案内』(An Official Guide to Eastern Asia

いまや、東京の銀座や京都の清水寺といった有名スポットだけでなく「こんなところにも」と思うような場所でも外国人観光客を見かけることが多くなりました。
そもそも外国人観光客は日本に何を求めてきたのでしょうか。また、日本側は何を見せたいと思ってきたのでしょうか。『外国人が見た日本――「誤解」と「再発見」の観光150年史』を刊行した内田宗治さんにお話を伺いました。

――本書執筆のきっかけについてお教えください。

内田:きっかけは何段階かあるのですが、最初は2011年東日本大震災時のイギリスBBCの報道です。

「地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう」

多大な被害を受けたにもかかわらず、他の多くの国で見られるような略奪もなく、秩序が保たれていることを絶賛する報道でした。どこかで同じことを読んだことがあるなと思ったら、1923年の関東大震災のときでのことでした。

「多くの日本人が、整然たる秩序の下に、鋭意後始末に従事している。これは世界いずれの国でも見る事のできない大国民の態度である。これをもって思うに、日本は、必ずや近き将来において、さらに偉大な国家となりゆくだろう」(米国大使ウッズ)

1906年のサンフランシスコ地震などでは略奪が横行しました。遺体に指輪があると指ごとカットして盗むなど残虐行為も報道されています。日本でそうしたことが起きないことに欧米人は驚嘆し敬服の念を抱きました。関東大震災では、朝鮮人虐殺という問題は残りますが、欧米人の目からは「多くの日本人」が立派な態度に見えたようです。

90年前も現在も、外国人から見て日本人の変わらない点があるとしたら、それを歴史的に見ていくと面白いと思いました。日本人が変化した点も当然あるはずなので、その両面から迫ってみたいと思ったわけです。
というわけで、外国人が日本の何を見たいかというより、日本人をどう見てきたかということが最初に興味をもった点です。

――「誤解」と「再発見」の観光150年史とサブタイトルにありますね。

内田:明治時代前半、アーネスト・サトウが、京都の数ある寺社の中でも伏見稲荷大社をとくに詳述しているのを読んだときは衝撃的でした。

明治時代も現在と同じように赤い鳥居が無数と言っていいほど並んでいた。その100年以上後、それまでどちらかというと観光客があまり訪れなかった伏見稲荷大社に、この数年外国人観光客がどっと押し寄せるようになっていますよね。どこまでも続く赤い鳥居が、外国人の琴線に、日本人以上に触れるらしい。そのことが知られて日本人観光客も激増しました。外国人が魅力を「再発見」してくれた代表的な例です。日本人が外国人に伏見稲荷大社を訪れることを奨励したのではないわけです。

幕末・明治から現在に至るまで、日本人が外国人に見せたいものと、外国人が日本で見たいものはギャップがあり続けた。伏見稲荷大社の例は美意識や文化論的なことかもしれませんが、このギャップは時代背景やナショナリズムが反映するものもある。時代ごとに実例を探し出して分析していくのは楽しい作業でした。

――原爆ドームの「発見」の過程が特に印象的ですが、実際に現地を取材されてのご感想等がありましたらお教えください。

内田:原爆ドーム近くの平和記念資料館は、日本中すべての見学施設の中で、外国人が最も真剣に見入っているところだと思います。ある人は悲しそうな顔、またある人は眉間に皺をよせたり怒ったような表情をしたりしながら、丹念に展示物を見て解説文を読んでいる。こんなところはほかにありません。そうした外国人の姿を目に焼き付けることも意義深いことだと思います。

原爆投下の一年後、そこを訪れた米国人記者が広島の子どもから「アメリカ人たちはいい。とても親切だ」と言われたり、日本の政府当局などが作った英文の公式旅行案内では長い間、平和記念資料館の内容を記述せず欧米人の気持ちを忖度する形になっていたり、世界史的に重要なスポットであると共に、「日本人論」を考えるうえでも特別な場所になっていると思います。

――ところで、近年、外国人観光客が非常に増えています。ホテルの値段が高くなった、観光地やバスが混んでいる等、観光業に携わらない人たちにとってはよいことばかりではないという印象もあります。この外国人観光客増加と、どう向き合っていけば良いでしょうか。

内田:わたしたち個人でできることは、どうしても限られてしまいますよね。観光業界の人の中には、子どもの肉体的発育になぞらえて、これらは観光立国として育つための「成長痛」のようなものという人も多い。しばらくすれば解決するという考え方です。
それも少し楽観的すぎると思います。的確な政策やマーケティングの重要性を本書では述べましたが、わたしたちが向き合えることでは、問題点をごちゃ混ぜにしないことではないでしょうか。

宿泊料金の高騰や交通機関の混雑などは、過度期的な面もあるし、観光客に非があるわけではない。政府や自治体、地元団体などによる解決が必要なものです。

一方、一部で外国人観光客のマナーやモラルに起因することが問題となっています。これも本書でいくつかの例を挙げましたが、マナー(行儀作法や習慣)を知らないから起きる問題と、モラル(道徳、倫理)の欠如からくる問題は異なるわけです。それを区別して対応することが肝要だと思います。

――外国人向け日本の旅行ガイドブックの編集も以前なさっていたそうですが、そのときの経験も本書に活かされましたか?

内田:国内の書店にたくさん並んでいる日本人向けの旅行ガイドブック、北海道から沖縄まで全40冊といったシリーズの編集責任者をしていたとき、台湾や韓国の出版社などから、それらを翻訳して台湾語版、韓国語版として自国の書店で売りたいというオファーをいただきました。

彼らといろいろ話をしているなかで、同じアジアの近隣国でも、日本への旅行で楽しみたいことがずいぶん異なることも実感しました。たとえば台湾の人は鉄道旅行が大好きですが韓国の人はそうでもないなどです。
日本への外国人旅行者は訪日外客として一括して語られがちですが、国ごと、年齢ごと、宗教ごとに大きく異なります。この150年間の外国人観光客の歴史を追っていくとき、この点にも注目しなければならないことを痛感していました。

――内田さんだったら、どんな場所やイベントを外国人に見てもらいたいですか。意外な場所がありましたらお教えください。

皇居東御苑に残る天守台

内田:アーネスト・サトウがその光景の美しさに感動したという箱根旧街道の石畳道を夜、松明の灯りをたよりに歩くということを行事として行えるといいですよね。山火事対策をしなければならないかもしれませんが、それを行ってもやるだけの価値と人気を得るのではないでしょうか。なにせ伏見稲荷大社の例のように、アーネスト・サトウが強く興味を抱いたものは、現代の外国人もそれに惹かれるという実例がありますから。

もう一箇所は、皇居東御苑の天守(閣)の復元。隣にあった大奥も復元されるとなお素晴らしい。これができれば外国人にとって都内最大の人気スポットになるだろうし、いろいろな形で日本の歴史を紹介できます。

――最後に、今後のご関心・執筆テーマについてお教えください。

内田:地震災害対策、軍事的産業遺産、地形散歩などに関心が高いのですが、たとえば外国人が見た中国・韓国・日本というテーマで、中国、韓国を欧米人がどう見てきたかを調べるのに興味があります。そうすれば、比較することによって日本という国の特徴がより見えてくるはずです。

内田宗治(うちだ・むねはる)

1957年東京生まれ.早稲田大学文学部心理学専攻(社会心理学)卒業.実業之日本社で経済誌記者,旅行ガイドブックシリーズの編集長(台湾語,韓国語版へもデータ提供)等を務めた後フリーに.主著『カラー版 東京鉄道遺産100選』(中公新書),『地形を感じる!駅名の秘密 東京周辺』(実業之日本社),『ゼンリン住宅地図と最新ネット地図の秘密』(実業之日本社),『関東大震災と鉄道』(新潮社)ほか