2018 10/12
著者に聞く

『現代経済学』/瀧澤弘和インタビュー

『現代経済学』は、副題に「ゲーム理論・行動経済学・制度論」とあるように、広範な領域をカバーした一冊だ。多様化した経済学を捉え、その先を模索した本書は、発売即重版となり、話題を呼んでいる。本書の狙いなどについて、著者の瀧澤弘和さんにお話をうかがった。

――本書執筆の動機を教えてください。

瀧澤:多くの大学生は、最初からミクロ・マクロの経済学を教わり、そこで難しく感じて脱落していく人もいっぱいいます。そして、経済学ってそういうものだと思って卒業していきます。でも、それではちょっともったいない。現代の経済学は、心理学など色々な分野ともつながるとっかかりがあります。そういった広がりや全体像を見せたいと考えていました。

近年、開発経済学や経済史などで、話題を呼ぶような本の邦訳が続々と出ていますね。大学で社会人向けに、それらの研究の意義を何回かのシリーズでレクチャーをする機会がありました。講義をするなかで、それぞれの研究が現在の経済学の枠組みではどのように位置付けられるのかがわかれば、見え方が相当に変わるということに気づきました。文脈が理解できれば、凄さや面白さもより実感できるわけで、本書がそうした理解の補助線になることも願っています。

また、この講座の準備や講義をする過程で、経済学の方法や目的の多様化について感じることも多々ありました。経済学の現状を描き出すことで、経済学そのものに対する私なりの疑問も書けるのではないかと考えました。そうした試みがうまくいっているのかどうかは、読者の判断を仰ぎたいですね。

――先生の研究者としてのキャリアは、どのようなものだったのでしょうか。

瀧澤:私が大学院に入った頃は、海外では限定合理性のゲーム理論の研究が盛んでしたね。しかし、大学院での友人や先生がたの反応は「それは経済学じゃない」というような感じでした。実験とかが扱われ出した時も、同じような雰囲気がありましたね。今から考えると、思想的にも方法的にも多様化しつつある経済学の現状を反映していたのだと思います。

その後、1997年に就職して10年ぐらいすると、状況はまったく変わっていきました。近代的な合理的・自律的な個人という経済学の前提が揺さぶられていた10年間だと思った。そうした動きは常に気にかけていましたし、その意味も考えてきました。

――その後、多くの翻訳書に携わっておられます。そうした訳書のエッセンスは、本書に色濃く反映されていますね。

瀧澤:翻訳ばかりやっていたという印象もあるかもしれませんが、一応研究論文も書いていましたよ(笑)。経済学者は基本的に論文を読んで論文を生産するので、あまり本を読まないのですが、いい本は経済学研究の新しい潮流の意義をわからせてくれるんです。ほとんどが青木昌彦先生の推薦によるものでした。

ジョン・マクミラン『市場を創る』では、ゲーム理論を起点としたさまざまな研究が経済学をいかに革新して、経済学者の見方を変えつつあるのかが示されていますし、ジョセフ・ヒース『ルールに従う』では行動経済学や実験経済学の研究成果を受けて、社会のなかでの人間行動を「規範性」を軸にして明らかにするという、経済学、社会学、生物学、哲学を架橋するような議論が展開されています。ダグラス・ノース『ダグラス・ノース 制度原論』は、経済学の最先端を追求すると、自然と認知科学や脳科学もフルに活用して理解を深めようとするものだというのがわかります。

こうしたなかで、私の関心は人間が制度をつくる本性のようなものを持っているというアイディアに辿りつきました。カーステン・ヘルマン=ピラート、イヴァン・ボルディレフ『現代経済学のヘーゲル的転回』は、ヘーゲル哲学の新しい解釈が、行動経済学・制度の経済学と伝統的経済学を包括的に理解する観点を提供していることを述べています。今回の執筆のなかで、多様な経済学の展開をなんとか一つの本にまとめられたのは、このような広い枠組みに接したことが大きかったのではないかと思っています。

ヘルマン=ピラート教授は青木さんの紹介で知り合った経済学者で、経済学に対する見方が非常に柔軟です。現在もエアフルト大学のマックス・ヴェーバー文化社会科学研究所でお世話になり、議論を継続しています。

――制度論を扱っている点も、本書の特徴だと思います。その理由をお教えいただけますか?

瀧澤:ゲーム理論が登場し、それにより市場以外のさまざまな制度を分析できるようになってきました。それは、とても大きな変化だと思います。ただ、制度そのものについて突き詰めて考えていくと、数学的なゲーム理論を用いた制度解釈そのものについて考える必要が出てくると思います。

ゲーム理論で扱える範囲が、経済学における制度論だと考えることもできるでしょう。でも、私は、数学で割り切れるところだけではなく、ごちゃごちゃとした複雑な面も含めて経済学の中に取り入れたいと考える立場です。これは上述した青木先生の制度論が向かっていた方向でもあると思いますし、ヘルマン=ピラート教授も同じだと思います。なかなか難しいですが、制度を考えることで、ゲーム理論へのフィードバックや解釈のし直しなどをしていくことも重要だと思っています。

この方向では、現在、フランチェスコ・グァラの『Understanding Institutions』という本を翻訳しているところです。制度への関心を媒介にして、ゲーム理論と哲学が結びつく大変刺激的な議論が展開されていて、非常にためになります。

――本書では、人文・哲学系の論者の思想にも触れられていますね。

瀧澤:人間行動は自然科学的な研究の対象にもなりえますね。現代の経済学でいうと、一部の行動経済学や神経経済学がこうした自然主義――ここでは人間行動を自然科学的に研究するアプローチだと理解してください――的なアプローチを経済学に導入してきました。自然主義的な人間行動の研究は役に立っていますが、警戒もしないといけないと思います。最近、ユヴァル・ノア・ハラリの話題作『ホモ・デウス』(河出書房新社)が出ましたが、私の解釈では、この本は、自然主義的な人間観を突き進めて社会をつくっていったときに、それがどんなに危険なものになりうるかを論じていると思っています。

一方、現代経済学は自然主義的な人間観だけでなく、新たに制度的な人間観をも生み出しつつあると考えています。そして、制度的な人間観のなかに、自然主義的な人間観を批判する鍵があると考えています。

制度的な人間観については、マルクス・ガブリエルの『I Am Not a Brain』(未訳)という本が、ヒントになりました。そこでは、自己に対する概念化を行うような心的な動物としての人間本性が論じられています。これは私の言葉だと、人間とは制度を作る動物ということになります。ガブリエルの議論の核心は、私たちが自分をどのようなものと考えるのか(人間観、自己に対する概念化)が、どのような社会制度を創ることになるのかを規定しているというもので、上述したヘーゲルの考え方にも非常に近いものです。

ドイツでは、マルクス・ガブリエルと話す機会も得られました。いろんな人と対話しながら、思考を巡らせるタイプの人で、随分と盛り上がりました。

――今後の研究のご関心についてお聞かせください。

瀧澤:制度論については、まだ突きつめていない部分もありますから、それを深めたいですね。経済学にとって意味のある制度論とは何かを考えて書いていければと思います。

もう一つは、自然主義に対する批判的検討です。すでに触れたように、『ホモ・デウス』などで書かれていることも、自然主義への批判という側面は大きいわけで、そうした潮流も踏まえ、研究を進めたいですね。

――どうもありがとうございました。

瀧澤弘和(たきざわ・ひろかず)

中央大学経済学部教授.1960年,東京生まれ.1997年東京大学大学院経済学研究科単位取得修了.東洋大学助教授,経済産業研究所フェロー,多摩大学准教授,中央大学准教授を経て,2010年4月より現職.専門は実験ゲーム理論,経済政策論,社会科学の哲学.
共著に『学校選択制のデザイン』(2010年,NTT出版),『経済学に脳と心は必要か?』(2013年,河出書房新社),『経済政策論』(2016年,慶應義塾大学出版会)ほか.
訳書に青木昌彦『比較制度分析に向けて』(共訳,2003年,NTT出版),ジョン・マクミラン『市場を創る』(共訳,2007年 ,NTT出版),ジョセフ・ヒース『ルールに従う』(2013年,NTT出版),ダグラス・ノース『ダグラス・ノース 制度原論』(共訳,2016年,東洋経済新報社),カーステン・ヘルマン=ピラート,イヴァン・ボルディレフ『現代経済学のヘーゲル的転回』(共訳,2017年,NTT出版)などがある.