2018 08/31
著者に聞く

『幸福とは何か』/長谷川宏インタビュー

 ヘーゲル研究で知られる、在野の哲学者・長谷川宏さん。2015年には、三内丸山遺跡から四谷怪談まで、日本の美術・思想・文学について、1000ページを超える大著『日本精神史』(講談社 パピルス賞)を刊行した。
 そんな長谷川さんの今回のテーマは『幸福とは何か』。古代ギリシアのソクラテスにはじまり、イギリス経験論、カント、20世紀のアラン、ラッセルまで、西洋哲学史に幸福の形を探求する。テーマ設定ほか、執筆にまつわる裏話をうかがった。

――今回のテーマは「幸福」ですね

長谷川:最初、幸福をテーマに本を、という依頼を受けたとき、幸福と西洋哲学の相性の悪さを感じました。哲学はなにしろ抽象的で観念的な思索の営みですから、日常の地平にある「幸福」とはどうもなじまないな、と。幸福は、それぞれの人間が獲得すればいい、幸福なんて教えられるものでもないという考えが哲学者たちのあいだでは強いと思います。

とはいえ、もっと哲学的に、たとえば「なぜ生きているのか」という問いとからめて幸福を主題化すれば、幸福が哲学から遠いテーマであるはずはないな、とも思いました。

幸福に関係しそうな書物を読み進めていくと、率直に言えば「幸福」はつかみづらいものではあったけれど、そのつかみづらさをそのままことばにすることが西洋哲学をとらえなおすことにつながると思いました。

私は1940年生まれです。戦後の食糧難の時代を知っていますから、そもそもおなか一杯食べられるとか、三度の食事をきちんと取ることが大切だった。しかし、衣食住が整ったらそれでよしということにはなりません。

一方で、道徳的であることや禁欲的であるということに価値を置く考えも有力ですが、それはわたしの幸福観からすると面白くない。道徳や禁欲へと傾くことのない、ごくふつうの生活者の「幸福」を考えたい。そういう思いから書いています。

――どの思想家を取り上げようということは、どんなタイミングで決めたのですか?

長谷川:関係しそうな書物を読んで、構想を練りました。だから書く前には、哲学以外の本もあれこれ読みました。

たとえば『アンナ・カレーニナ』などを取り上げて論じてみるのも面白いなと思って読んだりもしたのですが、うまく流れの中に組み込めなかったのでやめました。でも、アンナとヴロンスキーの恋愛が幸せだとは到底思えないですよね(笑)。

ひとつ、宗教的幸福観をどう扱うかという大きな問題がありました。たとえば、ヒルティの『幸福論』ですね。これはアラン、ラッセルの『幸福論』と並んで三大幸福論と言われていますが、本書では取り上げていません。中世のスコラ哲学も同様です。

宗教的幸福観については、「信仰と幸福の結びつきは、信仰にとっても幸福にとっても本来のすがたとはいえない。信仰はこの世を超越した神やあの世への志向を強くもつのにたいして、幸福はこの世を居場所とし、この世で実を結ぶものだからだ。」(108ページ)として、あえて取り上げて論じることはしませんでした。

――幸福をテーマにしたことで、いままでと違った発見はありましたか?

長谷川:大きく3つあります。

まず、ずっと疑問に思っていたソクラテスの死について、今回向き合ったことで、少し納得できました。「幸福な死」とはどんなものか、長年不思議に思っていました。死を幸福と捉える場合に、共同体的な観点をどう設定するかが重要で、この本ではそのことをややくわしく論じました。

また、第一章では、ストア派とエピクロス派を取り上げました。一般にはそれぞれ禁欲主義、快楽主義と理解されていますが、それは単純な見方にすぎません。「禁欲」「快楽」という言葉で割り切ると見落としてしまう、ゆたかな思想的可能性を感じました。ストア派とエピクロス派は、自己の幸福を追求しながら、社会とかかわっていく生き方があると教えてくれます。

3つめに、今まで本格的に取り組んでこなかった、経験論について向き合う機会を得ました。アダム・スミスなどは、改めて読み返すと非常に面白かった。

――それでは、あらためて幸福とはなんでしょうか。

長谷川:わたしは、おだやかでつつましくて、充実しているという生きかたが幸福だと思います。そして、自分個人の幸福は捨ててはいけないものだと強く感じています。

現代はあまり幸せな時代でないと思います。一所懸命であることが、あたかもすぐれた生き方のように持て囃されて、ちょっと生きづらいんじゃないかなと思います。この本はそうした風潮への異議申し立てでもあります。

たまには無理して仕事をがんばるとか、やりたいことに必死になって打ち込むとか、そういうことも必要だと思うし、いいことだとも思うけれど、それが幸福な生きかただとは思えない。

とはいえ、個人が幸福であるためには「平和」は必須の条件であり、平和を守るために最大限の努力を傾けねばならないときもあるでしょう。となれば、「幸福」を守るために幸福の外へ出ていくことも必要なのかもしれません。しかし、そんな場合でも、自他の「幸福」を大切にする心をもちつづけるべきだと思います。

長谷川宏(はせがわ・ひろし)

1940年島根県生まれ。68年東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者。自宅で学習塾を開くかたわら、原書でヘーゲルを読む会を主宰。一連のヘーゲルの翻訳に対し、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。著書に『日本精神史』(講談社、2015)、『新しいヘーゲル』(講談社現代新書、1997)、『高校生のための哲学入門』(ちくま新書、2007)、『生活を哲学する』(岩波書店、2008)、ほか。訳書に『精神現象学』(ヘーゲル著、作品社、1998)、『歴史哲学講義』(ヘーゲル著、岩波文庫、1994)、『芸術の体系』(アラン著、光文社古典新訳文庫、2008)、『美術の物語』(ゴンブリッジ著、共訳、ファイドン、2007)ほか。