2018 06/18
著者に聞く

『ヴィルヘルム2世』/竹中亨インタビュー

1914年、第一次世界大戦が勃発します。原因は複合的なものですが、ドイツの軍拡もその鍵になったと言えるでしょう。このたび、ふたつの世界大戦を生きた、最後のドイツ皇帝の評伝『ヴィルヘルム2世』を上梓した竹中亨さんに、執筆の経緯や、当時の国際情勢と現代の類似性などをうかがいました。

――ヴィルヘルム2世への関心は、いつごろから、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

竹中:大学での卒業論文がきっかけです。文学部で西洋史学を専攻したのですが、4年生になって、さて何を卒論のテーマにするかといろいろ探して結局、落ち着いた先が世紀転換期のドイツの建艦政策だったんです。ヴィルヘルム2世は海軍建設の立役者ですから、参考にというんで、彼の伝記などを少しばかり読みました。そのとき、これは世間的な「カイゼル」のイメージでは割り切れない人物、ということが分かって、かなり興味をそそられたんです。

ただ、彼自身は論文の焦点ではなかったので、深入りする余裕はありませんでした。大学院に進んでからは研究の関心がほかに向いたこともあって、その後は縁遠くなってしまいました。今回、本書で久し振りに彼との付き合いが復活したというわけです。

――1冊の評伝として、まとめようと思った理由を教えてください。

竹中:ヴィルヘルム2世が、いい悪いは別として、歴史上の有名人物だということは、だれも否定しないでしょう。ところが、これほどのキーパーソンでありながら、ちゃんとした評伝がないんです。これは、ちょっとまずいんじゃないか、と思っていました。数年前、第一次世界大戦100周年ということで、関連書籍が出回りましたね。そこでいくつか読んでみて、それで彼への関心に再び火がついたんです。第一次世界大戦の敗戦とともにヴィルヘルムが退位と亡命を強いられたのが1918年、つまり今年はちょうどその100年目になります。この節目に、この特異な人物を捉え直してみたいと思うようになりました。

それともう一つ、個人的な事情があります。ここ数年、人がそれぞれ、どんなふうにおのれの人生と折り合いを付けてきたんだろうか、と気になるようになりました。自分もそういう年頃になったんだ、ということですね。半ば趣味で、専門外の歴史書を読むことがよくあるんですが、最近は評伝を手に取ることが多いんです。そのうちに、自分でも一度、評伝に挑戦したいと思うようになりました。

――本書のポイントはなんでしょうか。

竹中:本書を書いているなかでよく思ったのは、時代と個人、ということです。ヴィルヘルムは、「国民皇帝」をめざして、新しい時代を作ろうとしたわけですが、結果的にはむしろ時代に流され、ついには時代にうち捨てられました。時代にはそれぞれ、特有のダイナミズムみたいなものがあります。「時代精神」というと言いすぎでしょうか。ともかく、個人の波長がそれとあえば、物事は一気呵成です。逆にズレが生まれれば、そこに悲劇が生まれます。そんな時代と個人の間のせめぎあいが本書で描けていれば、と思います。

――現在の国際情勢を見る上で、本書に描かれたドイツ帝国に学ぶことはありますか。

竹中:新興国というのは、時代が違ってもそう変わらない、ということですね。この時代のドイツを見ると、今日の中国との類似を思わざるをえません。キーワード風に言えば、経済大国化と貿易摩擦、軍備増強と旧来の覇権国への挑戦、大国意識とナショナリズムというところです。以前に、中国人は心の底では欧米に対する劣等感が強いのだと耳にしたことがあります。もしそうなら、今の中国の自己主張の強さは、ちょうど当時のドイツと同じく、その裏返しなのかもしれません。もっとも、よその国のことばかりは言えません。日本も「ジャパン・アズ・ナンバーワン」的な大国意識をひけらかした時代がありました。懐かしむにもあまりに遠い昔ですが。

もう一つ思うのは、ヴィルヘルムって、トランプ大統領に似てるなあということです。言動が思いつきで一貫性がないところ、周囲に断りなしに独断で物事を決めたがるところなど、そっくりです。外に向かって好き勝手にインタビューや書簡で発言する(トランプの場合はツイッターですが)のも、それから大衆からのウケをひどく気にするのも共通です。両者とも、他国の首脳と唐突にトップ会談を開催しました(ビョルケとシンガポール)。さらに言えば、登用した部下が、ついには自分に嫌気をさして辞めるという点でも似ています(ビスマルク以下、歴代宰相はみな、辞めるときにはヴィルヘルムに愛想をつかしていました)。

知人が教えてくれたのですが、アメリカの論壇でも、トランプとヴィルヘルムの類似を指摘する向きがあるそうです。ところで、そのヴィルヘルムの治世は結局、第一次世界大戦へと行き着きました。いくら両者が似ているといっても、その点での類似だけは勘弁願いたいものです。とりわけ、ヴィルヘルムと違って、トランプ大統領は実質的な権力をもつだけにいっそうです。

――そんなヴィルヘルム2世の魅力、あるいは欠点を、エピソードも交えて教えてください。

竹中:魅力か欠点かはともかく、とにかく矛盾の塊みたいな人間です。自信満々にふるまうかと思えば、かわいそうなくらい自信欠如の面があります。絵に描いたようなマッチョかと思うと、「女性的」な性格も顕著でした。よくプロイセン軍国主義の体現者のように見られますが、内心ではドイツを蔑み、本心はイギリス人になりたかった人物です。そのイギリスに対しても、母親への反発のせいで強い憎悪を抱くこともありましたから、愛憎半々です。「世界政策」をとなえて海外進出を策するかと思えば、ナポレオンばりの大陸制覇を夢みます。皇帝として直接、国の統治を行うのだと豪語しながら、実は政務にはきわめて不熱心でした。幼少期から歴史好きで、古代ギリシアや中世の神聖ローマ帝国に強い関心をもちましたが、半面、最新の科学技術やメディアの大ファンでした。ナチスばりの反ユダヤ的な言辞を連発するかと思うと、他方ではユダヤ人の名士連とは個人的交友がありました。

もちろん、矛盾のない人間などいません。ただ、人はたいてい、矛盾をできるかぎり整理して、筋を一本通そうと考えます。ヴィルヘルムは違いました。これらの相矛盾する面のすべてであろうとしたんです。このあたりが人間としての彼のものすごく特異なところだと思います。

ただ、人間味もありますよ。辞意をもらした臣下を引き留めようとして哀願したり、舌禍事件で四面楚歌に陥ったときには、一人でこみ上げる嗚咽にむせんだり、と素直に感情を出します。「カイゼル」髭が髣髴させるような威厳とは裏腹に、存外子どもじみた面もありました。たとえば気の置けない側近と一緒のときなど、人の脇をくすぐったり、尻を叩いたりと、茶目っ気を発揮していました。休暇旅行中の朝の体操(本書82頁)では、側近の吊りズボンのベルトを鋏で切って、彼らが慌てるさまをからかったりしたこともあります。

――本書では言及されていない、ヴィルヘルム2世のこぼれ話を教えてください。

竹中:ヴィルヘルムのような主君をいただくと、仕える側も大変です。旅行好きでベルリンをしょっちゅう留守にするから、なかなかつかまりません。やっとのことで謁見できても、何しろむら気ですから、こちらの案件にはなかなか耳を傾けようとはしません。

それで、臣下の側にも「ヴィルヘルム操縦術」みたいなノウハウがありました。たとえば、こちらの提案を皇帝に承認してもらいたいとき、どうすればよいか、です。ヴィルヘルムは何しろ、他人から教えられるのが大嫌いな質でしたから、ストレートに提案を上奏すると、すげなく却下されかねません。そこで、その提案がヴィルヘルムの思いつきによるかのように説明するんです。すると、あっさりオーケーが出ます。

話の皮切りに科学技術の新発明の話を持ちだすというのも、ノウハウの一つでした。最新の機械や技術は、ヴィルヘルムの大好きな話題です。彼は待ってましたとばかり、得々としてそのスペックを数字入りで説明しはじめる。彼が上機嫌になったころを見計らって、そっと本題の政治案件を持ちだします。それで、難なく裁可が下りるわけです。

つねに威厳ある振舞いを、と意を用いたヴィルヘルムですが、臣下にはすっかり内幕を見透かされていたわけですね。

――では、ヴィルヘルム2世以外の登場人物で、面白い人もいればぜひ。

竹中:ヴィルヘルムの強烈な個性の隣では、どんな人物も色褪せてしまうので、なかなかこれといったキャラクターは見当たりません。普通なら、母親のヴィッキーや宰相のビューローなど、結構な変物のはずですが。

そんななかで思いつくのは、たとえばヒュルゼン・ヘーゼラー伯爵ですね。貴族出身の陸軍軍人で、典型的なプロイセン・エリートと言っていいでしょう。陸軍大将にまで栄進しただけでなく、軍事内局長を務めていました。内局というのは、皇帝に近侍して政務や軍務を補佐する部署でして、ですから軍事内局長といえば、軍務担当の「官房長官」みたいなものです。つまり、ヴィルヘルムの側近中の側近です。写真で見ると、このヒュルゼン伯爵、口ひげを生やした、いかめしいプロイセン軍人そのものという風情の人物です。

ところでヒュルゼンは、1908年に心臓発作で急死するのですが、発作をおこして倒れたときの彼の装束が異様でした。バレリーナの格好をして、チュチュという短いスカート姿だったんです。

その日、彼はヴィルヘルムに従って南ドイツの貴族の館に滞在していました。夕食後、サロンでみながくつろぐなか、余興にと現れたのが、この仮装をしたヒュルゼンでした。レールという歴史家が詳しく述べているんですが、それによると、彼は片足でスピンしながらサロンに入り、軍楽隊の伴奏に合わせて踊り回りました。太っちょのヒュルゼン伯爵が、踊りながらみなに投げキスするのに、一座は大いに沸いたそうです。ただ、56歳の彼には、この運動は少々きつかったんでしょう。サロンを出るや、発作を起こして倒れ、そのまま亡くなったという次第です。

当時ヴィルヘルムの周囲では、こうした仮装遊びが習慣になっていたので、これをヒュルゼンの倒錯的性癖と決めつけるのは早計かもしれません。それにしてもプロイセン貴族の陸軍大将がバレリーナ姿で頓死するというのは、そうある話ではありません。

――執筆中のエピソードなど、ございましたら。

竹中:本書は、歴史に関心ある教養人を読者に想定して書きました。わが国では、歴史書と称するものは、ほとんど堅い専門的研究ですね。楽しみに読むものというと、歴史小説しかない。しかし、学問的な裏打ちのある歴史を知的な読物として味わう、ということがもっとあっていいはずです。実際、よく書けた歴史書は、そこらの小説などよりずっと面白いものです。というわけで、とくに専門的な知識がなくても読者にお分かりいただけるようにと、構成や文体には結構気を使いました。

書いている最中、さてどうすれば意とするところが効果的に読者に伝わるだろうかと、いろいろ考えを凝らすわけですが、それは楽しい作業です。ついつい、食事の時間などほっぽり出して、ということもありました。そんなとき、「執筆の友」だったの大豆なんです。私、どういうわけか蒸した大豆が大好物でして、蒸したてで湯気の立つものなど、その香りに陶然となるくらいです。というわけで、机の上にはよく大豆を盛った椀を置いて、つまみながら作業をしていました。

――最後に、読者へのメッセージをお願いします。

先ほど、個人と時代という点にふれました。両者の関係は決して、時代が個人を形づくるという一方通行ではありません。個人が逆に時代を形作るという面もあります。ヴィルヘルムにしても、何しろ大国ドイツの君主なんですから、時代の帰趨に与える影響力は多大でした。

ただ、個人が時代を作るといっても、それは必ずしもストレートな関係ではありません。ヴィルヘルムの場合、彼が国民国家としてのドイツの一体化に貢献したことはたしかです。ですが、それは何よりも、自らを皇帝として演出したいという自己顕示欲の結果でした。同じような意味で、彼の失言癖と政務不熱心が、結果的にドイツの議会主義化を後押ししたとも言えそうです。

こんな風に、個人と時代(あるいは、人生と言っていいのかもしれません)の関係は屈曲に満ちています。これは、と狙ったものからは意中の結果が出ず、逆に思いもかけないような展開が突発する、というわけです。このような、個人と時代の絡みあった関係こそが、歴史のダイナミズムの一つの源なんだと思います。本書を通じて、それをいくばくでも味わっていただければ、著者として望外の幸せです。

竹中亨(たけなか・とおる)

1955年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士前期課程修了。東海大学文学部助教授、大阪大学大学院文学研究科教授などを経て、現在は大学改革支援・学位授与機構教授。博士(文学)。大阪大学名誉教授。専門はドイツ近現代史、日独文化移転史。
著書『明治のワーグナー・ブーム――近代日本の音楽移転』(中央公論新社、2016年)、『帰依する世紀末――ドイツ近代の原理主義者群像』(ミネルヴァ書房、2004年)、『近代ドイツにおける復古と改革――第二帝政期の農民運動と反近代主義』(晃洋書房、1996年)、『ジーメンスと明治日本』(東海大学出版会、1991年)ほか