2018 03/06
著者に聞く

『酒は人の上に人を造らず』/吉田類インタビュー

酒場の風情と人間模様を描いた紀行エッセイ『酒は人の上に人を造らず』を刊行した吉田類さん。書名の由来、故郷への思い、記憶に残る酒場、自然とのふれあいなど、さまざまなお話をうかがいました。

――本書は、類さんの出身でもある高知の、土佐流の宴席風景からスタートしていますね。高知にはやはり格別な思いがありますか。

吉田:あります。高知は古くは『土佐国風土記』逸文に酒の産地として紹介された地。高知県立文学館で「酒と文学展~『土佐日記』から吉田類まで~」という企画展(2017年11月から翌18年1月まで)が開催されましたが、県民は大変に酒好きが多く、おそらく日本全国どこよりも酒を中心にして結束を強めてきた地域だと思っています。そして、酒宴の席では誰もが平等です。

というのも、高知で酒を飲む時はたいてい車座。車座ということは、座敷の真ん中にお酒の神様がいて、神様を囲んで飲むということです。神様を除き、そこに居合わせた人は、みな平等というのが高知の酒席の特徴だと思います。身分の上下がないから、年若い人が年配者にぱっと盃を差し出してもいい。酒を受けたらすぐ空けて、今度は返杯でお酒を注ぎ返して、受けた人はまたすぐ盃を干して……。そうやって延々と返杯を続け、みんなで潰れていく。(笑)

ご存じの通り、高知県は自由民権運動の中心的な役割を果たした地。その理論的指導者だった中江兆民も植木枝盛も高知出身です。それが酒宴の席にも表れていると思っています。本書のタイトルは『酒は人の上に人を造らず』ですが、これは福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず」に着想して僕が作りました。

僕は日本全国の大衆酒場を彷徨っていますが、東京下町に多く見られる「コの字カウンター」が大好きです。客がカウンターに「コの字」型に座ると、「コの字」の中にいる店主が酒やつまみを出してくれる。この「コの字カウンター」の魅力とは、なんといっても上座がないこと。酒の席では誰もが平等だという「思想」こそ、酒場詩人として最も大事にしたいことなんです。「酒は人の上に人を造らず」とは、僕に言わせればのん兵衛の矜持、のん兵衛のあるべき姿と思っています。

――数多くの居酒屋を漂い歩かれる類さんですが、思い出に残るお店を教えてください。

吉田:本書にも書きましたが、かつて“菅(すげ)の渡し”と呼ばれた多摩川河川敷の渡船場跡にある茶店「たぬきや」さんは、素晴らしいですよ。

菅の渡しは昭和10(1935)年に庶民の身近な交通手段として開業しました。やがて私鉄の開通を受けて昭和48(1973)年に廃止となり、「たぬきや」は渡船場跡にぽつんと残されてしまったお店です。

僕は時折、俳句仲間と句会を催したり、川風にあたりながら昼酒を楽しんだりしています。茶店が開店するかどうかは天気次第。晴れだと「営業中」と染め抜かれた赤い幟が立ちますが、背丈の高い草花に被われているので、その存在を知らなければ、店を見つけるのはなかなか困難だと思います。

ただでさえ浮世離れした茶店なのですが、ある時、茶店の前の広大な中州がびっしりと菜の花に埋もれていた春の夕べ、沈まんとする太陽と、同時に昇る満月を目の当たりしました。蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」さながらの光景。これは忘れられないですね。今では中州がすべて取り払われてしまったので、再びこの光景を拝むことは叶わないのですが、印象深いお店です。

――類さんにとって、理想の酒場とは。

東京・京橋の居酒屋にて

吉田:まず、料理がうまいこと。店主が客と適度な距離感を取ってくれる店が好きですね。会話は、尋ねれば答えてくれるくらいの感じでしょうか。僕はこうした空気を「酒場の間合い」と呼んでいます。この間合いを上手に守ってくれる店主がいる店は居心地がいいと思います。サラリと入れて、サラリと出られる。後をひかない飲み屋がいい酒場だと思っています。「酒場は人なり」と、僕はときどき言うのですが、これは主には店主のこと。

――一番幸せだったお酒とは。

吉田:冬に北海道上川郡東川町の旭岳のてっぺんで飲んだ酒ですね。旭岳は2000メートル超えの山。山の上に浅い風呂桶くらいの穴を掘って、その穴の中にテントを張るんです。風が強いので、飛ばされないようにするためです。この“風呂桶”に身を沈めながら、テントの外に顔だけ出し、降るような星空を見上げながら飲んだウイスキーは絶品でした。雪を丸めてロックアイスに見立てて、それを溶かしながらウイスキーを飲む。極寒の中、なんとも爽快なお酒でした。

――テレビでは、いつも「ご常連と乾杯」している類さんですが、一人のお酒も好きなんですね。

吉田:酒に限らず、大自然の中に一人身を置くのは好きですね。渓流釣りも一人で河原にいるのが好きですし、一人で山を登るのも好きです。孤独だと野性を呼び覚まされるような感覚があって、感性も研ぎ澄まされる。都心では簡単に見失っていることがらに気付かされることもある。緊張感がみなぎる一方で、癒されもします。一人だとなぜか鹿やリスなどの動物も寄ってくるんです。それもまた楽しいです。

――エッセイには小動物も登場しますが、頻繁にお化けも現れます。酒樽はしゃべります。時空も歪みますね。

吉田:以前、山で遭難しかけた経験があり、その時リアルに幻覚を見たことから癖になっているのかもしれませんが、酒に酔った時もときどき幻覚を見ます。酒は“あっちの世界”への通路になっている。本書にもそうした僕の世界観があちこちに表れていると思います。

話を戻すと、僕は子供時代にこれ以上の孤独はないだろうという孤独を経験して、そんな時には決まって裏山に登りお月さんを見ていました。そんな心持ちで月を眺めていると、まだ母親のお腹の中にいる胎児だったころの自分の姿が浮かんできたりしたものです。

10代で味わった孤独感がいまだに自分の創作活動のベースにあります。そんな孤独との向き合い方も随所に出てくると思います。酒を主題にした本ではありますが、今、孤独に耐えている若い人たちにも読んでもらいたいですね。彼らの心の栄養になってくれたら、著者冥利に尽きるというものです。

                       (『中央公論』2018年4月号より転載)

吉田類(よしだ・るい)

高知県出身。イラストレーター、エッセイスト、俳人。酒場や旅をテーマに執筆を続ける。BS-TBS「吉田類の酒場放浪記」に出演中。2015年にTBS系ドラマ「下町ロケット」に、17年に映画『吉田類の「今宵、ほろ酔い酒場で」』に出演するなど活動の場を広げている。著書に『酒場歳時記』(NHK出版)、『酒場詩人の流儀』『酒場詩人の美学』(いずれも中央公論新社)など。