- 2018 02/26
- 著者に聞く

科学と人間をめぐるドラマは、いつも、いつまでも、わたしたちの関心事です。科学史上の学説の変遷をユニークな視点で追った『〈どんでん返し〉の科学史』を刊行した小山慶太さんにお話を伺いました。
――本書は「どんでんがえし」という意表を衝くタイトルが付いていますが、これはどういう意味でしょう。
小山:教科書などでは、科学は一直線に進んできたと説明されがちです。効率よく理解するためにはそのほうが便利だからです。
しかし、実際の科学の歩みはそうではありません。新しい考えが登場しても古い考え方がただちに捨て去られるわけではなく、伏流水のようにじっと潜んでいます。そして新たな装いをもって旧説が再び登場することもあるのです。
このような学説の交替の繰り返しを「どんでん返し」とみると、目からウロコが落ちるように違う視点で科学史の流れを見ることができるのではないかというのが本書です。
――たとえばどんな「どんでん返し」が登場しますか?
小山:いちばんわかりやすいのは錬金術でしょう。中世ヨーロッパでは鉄や鉛などの卑金属から、金銀を作りだそうという錬金術が盛んに行われていました。
当時の化学的処理ではもちろん成功することはなかったのですが、20世紀になると物理学が発展し、原子の構造がわかってきます。1925年には長岡半太郎が水銀から陽子を引きはがして金に変換したとする論文を発表します。これは化学的反応とは別のアプローチで錬金術を行おうとしたということができます。
結果として長岡は水銀から金をつくることはできなかったのですが、その後中性子が発見され、原子核の構造がさらにわかると、化学反応よりもはるかに大きなエネルギーを与えること、たとえば中性子を核にぶつけることで、元素を変換させたり、新しい元素をつくったりできることが実証されました。イギリスの科学者ラザフォードは、白金から金をつくることができると述べています。
これは錬金術が形を変えて現代に生まれ変わったものにほかなりません。ラザフォードが自著に『新しい錬金術』という題名をつけたように、当時の科学者たちもこれが一種の錬金術であるという意識をもっていたと思います。
――ところで、もともと物理学を研究されていた先生が科学史に関心を持つようになったきっかけは何ですか。
小山:30歳頃、早稲田大学の理工学部で学位を取って助手になっていましたが、当時もオーバードクターの問題があり、物理学の教授になるのはなかなかたいへんでした。そのようなときに文科系学部である社会科学部の専任教員になることができたのです。
こう言うと外的要因でたまたま就職したようにも思われるかもしれませんが、もともと歴史や文学が好きだったこともあり、理科と文科の学際的なことをやってユニークな分野を開拓したいという気持ちがありました。
研究者というものはそもそも独自性(オリジナリティ)と新奇性(プライオリティ)を求めるものです。人と同じことをやってもつまらないという気持ちを強くもっていましたから、その方向性は、たとえばはじめて書いた中公新書『漱石が見た物理学』に活かされていると思います。
――科学史をご専門とするようになって40年、この春で定年退職されますが、定年に当たってのお気持ちをお聞かせください。
小山:学問は楽しいものです。学問は「
アインシュタインは、「生まれ変わったら何になりたいか?」と尋ねられたとき、物理学者ではなく音楽家と答えたといいます。しかし、わたしは生まれ変わっても早稲田大学の教授になって学問を楽しみたい。大学の自由な学風――縛りのない、好きにやっていいという学風――も肌に合っていたと思います。
わたしにとって学問はドイツ語でいうところの「Beruf(天職)」であったといえるでしょう。いまや牧歌的な風土は大学にもなくなってきているかもしれませんが……。
――最後に若い人にとくに伝えたいことがありましたら。
小山:近年、評価と就職がシビアになり、大学にポストを求めることが難しくなっています。論文の捏造なども頻発しています。世知辛い世の中になってきたと言わざるを得ません。『寺田寅彦』で書いたような自由な研究者は絶滅危惧種になってしまいました。それでも、「これだ」と思える打ち込めることを見つけることです。やりがいのある仕事をすることは幸せなことです。