2017 12/05
私の好きな中公新書3冊

「広く浅く」と「深く狭く」との間に/韓東賢

福岡安則『在日韓国・朝鮮人 若い世代のアイデンティティ』
武田徹『日本ノンフィクション史 ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで』
姜徳相『関東大震災』

かつてコミュニティペーパーの記者をしていた。新聞記者は「広く浅く」様々なことを取材しなければならない(そういえば上司には、新たなネタに取り組むときは関連する新書を数冊読めと言われていた)。その後、アカデミズムの世界に「越境」しようと思った理由の一つは、「深く狭く」に憧れたからだ。

『在日韓国・朝鮮人』は、そのきっかけとなった一冊だ。当事者ではない日本人研究者が社会学的なエスニック・マイノリティ研究の枠組みで多数の在日コリアンの聞き取りを行い、そのアイデンティティのあり様を類型化したもの。客観的、分析的な手つきが、当時としては新しかった。

ここでの類型化によると、私は「祖国指向」のようだった。その生き方のモデルは「祖国の朝鮮人」だとされていたが、「えっ、そんなわけないだろう」というのが率直な感想だった。そこに分類されている在日コリアンがここ日本で「祖国」を口にする文脈にもっと分け入る必要があるだろう、と思った。そして、本書を一つの仮想敵に、私の「深く狭く」への道は始まった。後に拙論での批判に対し、福岡先生から肯定的な評価をいただけた。感謝している。

『日本ノンフィクション史』は、カテゴリーの自明性からではなく再帰的に「ノンフィクション」を輪郭づけていく試み。ノンフィクションとフィクション、ジャーナリズムと文学、そしてアカデミズムとの境界をめぐる問いかけにもなっている。「越境」を経験した者として、個人的に気になり続けているテーマだ。

『関東大震災』は、小池百合子都知事が今年9月1日の朝鮮人虐殺犠牲者追悼式への追悼文送付を断った出来事を思うと、絶版が惜しまれる一冊。きちんとしたかたちで虐殺の事実を伝える本が、「新書」として存在することに意味がある。

書店の棚で、シンプルな同じフォーマットの背表紙がフラットに並ぶ新書は、タイトルや著者名がまっすぐ目に飛び込んでくる。若い頃、在日コリアンと思しき著者を見つけると、思わず手に取ったものだ。そしてこうして振り返ってみると、「広く浅く」と「深く狭く」のあわいに新書はあるのだな、と思う。

韓東賢(はん・とんひょん)

1968年東京生まれ。大学まで16年間、朝鮮学校に通う。卒業後、朝鮮新報記者を経て立教大学大学院、東京大学大学院で学び、現在は日本映画大学准教授。専攻は社会学。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌――その誕生と朝鮮学校の女性たち』(双風舎)、共著に『平成史【増補新版】』(河出書房新社)、『社会の芸術/芸術という社会――社会とアートの関係、その再創造に向けて』(フィルムアート社)、『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』(勁草書房)など。