2017 10/04
知の現場から

佐藤百合の仕事場

 30年にわたりインドネシア研究者として活躍する佐藤百合さん。インドネシア大学で外国人として初めて博士号を取得するなど、現地での調査研究も精力的に行い、2011年に中公新書『経済大国インドネシア』を上梓、2015年10月からは日本貿易振興機構(ジェトロ)と、日本貿易振興機構・アジア経済研究所の理事を務めている。その仕事場である日本貿易振興機構・アジア経済研究所(千葉市)の理事室でお話しをうかがった。

アジア経済研究所の外観。一般に開放されている専門の図書室なども併設されている。研究者が120名ほど所属しており、社会科学系の研究機関では最大規模。

 まず、アジア経済研究所について、教えていただけますか。

「経済産業省の所轄下にある、開発途上国の研究に特化した研究機関です。財団法人として発足したのが1958年なので、戦後の比較的早い段階で設立されたことになります。当時の学者や政財界の間で、戦後の日本がこれからアジアとどう関わっていくか、ベースとなる知識・理解がないといけないという危機意識があり、設立に至るわけです」

「研究には、大きくふたつの柱があり、ひとつは地域研究。研究対象とした特定の国や地域について丸ごと理解すること。私の場合はインドネシアですね。もうひとつは開発研究。国や地域ではなく、たとえば貧困や財政のあり方など、開発途上国の実態と課題をテーマに決めて調査研究を行います」

「もともと西欧の経験から蓄積された学問体系がありますが、開発途上国の現場からロジックを見いだし、異なる体系が打ち出せるか、地域・開発研究における知のフロンティアをどう前進させていけるかが研究所としての使命でもあります。歴史、社会、政治、経済、産業、さまざまな開発途上国のことを地域的、領域的にも広く研究しているのが研究所の特徴です」

理事室でインタビューに応じてくださる佐藤さん。お召しのスーツはジャワ特産のバティック(更紗)。インドネシア商工会議所に勤務していた時にイベントに合わせてみんなで仕立てた“制服”だそうです。

 なぜ、インドネシア研究の道に進まれたのでしょうか。

「実はとてもサラリーマン的な理由なんです。学生時代はインドにのめりこんでいました。でも、1981年に新卒でアジア経済研究所に入って、研究対象として与えられたのはインドネシア。“今日からあなたはインドネシアの担当です。10年くらいかけ、理解を深めてください。まず、明日からインドネシアの新聞を読んで、今年は1981年のインドネシアを分析した論文を書いてください”という具合です。私は“インドネシアって、インドネシア語なんですか!?”という状態で(笑)、ゼロというより、マイナスからのスタートでした」

理事室に飾られている楯。インドネシアの国章ガルーダやジャワ伝統芝居ワヤンの面をかたどったものが並んでいる。

 10年間腰を据えて研究ができるというのは、とてもいい環境ですね。

「研究テーマを追いかけるのは1年や2年ではとても出来ません。ひとつの調査研究プロジェクトは、2年から長いものでは5年くらいかけて取り組みます。論文は毎年発表しないといけませんから、年に最低2本、そのほか短い原稿をなるべくたくさん書くことが求められます。また、現地で研究を行うために、自分で所属先を見つけなければなりません。スハルト体制下では調査ビザがとても取りにくかったため、学生ビザで調査しようと思い、インドネシア大学の修士課程を受験しました」

「インドネシア大学には、1990年代半ばにも博士課程で留学しています。子どもも連れて行っておりましたので、母親の視点からインドネシアを見ることも出来ました。1996年4月にスハルト大統領夫人の謎の急死、そこから体制の末期症状が深まり、アジア通貨危機をきっかけに民主化運動が広がりました。そうした激動の時代に現場に居合わせたことは、不謹慎かもしれませんが、研究者冥利に尽きます。大学の先生、友人、そしてご近所の方や市場の商人たちなどさまざまな情報ソースから、何が起きているのか分析する。これが地域研究の醍醐味だと思いました。経済が変わって、政治が変わって、社会の意識が変わって……異常な体験をしたからこそ、研究を始めて15年ほど経過していましたが、インドネシアを自分の言葉で語れるようになったかな、ようやくスタートラインに立てたかなと思いました」

オートバイの部品製造業者に対しておこなったインタビュー調査の資料を見せてくださる佐藤さん。「調査項目を決めるまでにも、ずいぶん試行錯誤したんですよ」

 現在のご研究についても、教えてください。

「わたしはもうずいぶん長くインドネシアの研究をしておりますので、日本からでは見えにくい部分を掘り下げていくことに意味があると思っています。今起きている産業発展のダイナミズムを理解するには、200年のスパンで考えなければなりません。オランダの強制栽培制度(1830年~)からですね。土地管理、栽培制度管理から考えていきます。あるいは、現在の企業の栄枯盛衰はスハルト体制(1966年~)が起点ですから、50年のスパンです。今起きていることは過去200年、50年を見ていかないとわかりません。切り口もいろいろあります。経済を理解するには政治を理解しなければなりませんし、企業と経済全体をつなぐ産業レベルでも考えますし。さらに企業家は投資や資金調達をどうしているかなどの行動や戦略にも着目します」

「産業研究のテーマとして、この15年はオートバイ産業を追いかけています。自動車よりも部品点数が少なく、インドネシアの企業が参入しやすいんです。ただし、取引関係は公式統計に出てきませんので、製造者に直接、部品の納入先や取引関係をインタビューしています。これらをデータベース化して、指標を加工していくと、製造業者がどんな風に技術的能力を高めているのかわかるんですよ」

「オートバイも製造者側だけでなく消費者情報も分析していますし……研究したいテーマは山のようにあるんです。時間が足りなくて!(笑)」

「研究者というアイデンティティに定年はない」と強く語る佐藤さん。「研究はとてもつらい。呻吟してるのがほとんどで、ほんのちょっと“出来たかな”と思う瞬間がある。呻吟の方も楽しめないと研究者なんて続けられないです」と笑った。

佐藤百合(さとう・ゆり)

1958(昭和33)年、東京都生まれ。上智大学外国語学部卒業、インドネシア大学大学院博士課程修了(経済学博士)。81年、アジア経済研究所入所、インドネシアを担当。在ジャカルタ海外研究員、インドネシア商工会議所(KADIN)特別アドバイザー、日本貿易振興機構・アジア経済研究所地域センター長を経て、現在、日本貿易振興機構・アジア経済研究所理事。