2017 09/15
編集部だより

trippin' vol.1

格別することもない波のうえでなら、そのあいだにまとまったことが考えられるのではないかと、いつもながい船旅の前にはそんな期待をかけるのであったが、事は志とくいちがって、結局ぐうたら、ぐうたらしてなにもしないで月日が波のおもてを、ゆくえもしらずにながれ過ぎてしまうのを、見送っているだけのことである。そして、よくもそんなに眠りつづけられたものだとおもうほど眠る。それはもう、僕の若い時からの習慣で、死ぬという味いはわからないが、ねむりの快楽は、あくまでもさめている時との対決のうえで確知することができるのだし、夢のなかで眠っている自分を眺めながら、はじめて、ほんとうの人生の方が夢の材料にしかすぎず、それだけ夢が立ちまさって、美しくもあり、変化自在であることを人は認識するもののようである。

金子光晴『西ひがし』「波のうえ」より

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2017年、夏。シンガポールに行った。飛行機で7時間ほど。映画でも観ていればすぐにチャンギ国際空港だ。
冒頭に引いたのは金子光晴がマルセイユ港からシンガポールへ向かう船の中を回想する文章である。このあとには、インド系中国系さまざまな人たちが織りなすシンガポールの風俗や、暑い気候のなか病気にかかった苦しみなどが記されている。大正のはじめごろのシンガポールも、多様な人々が活気あふれる街をつくり、こんなに強い日差しだったのか、と思う。

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今回の休暇も、行き先は気まぐれ。なので目的もない。
だが、国内外問わず、見知らぬ土地のまち歩きと本屋めぐりがすきなのだ。
シンガポールでも、特段行き先を決めずに時間のゆるす限り自分の足で歩いた。

いちばん驚いたのは洗濯物の干し方。窓から、物干し竿を突き出すようにして干す(窓のすぐ下の壁面に物干し竿を指して固定するための筒がある家庭もあった)。
大きくて四角い集合住宅の四角い窓また窓から、物干し竿がヌッと突き出しているサマは圧倒的で、奇妙な心地にさせられた。
どうやって干すのだろう、安全なのだろうか、なぜシンガポールの人々はこの干し方にいきついたのだろうか、という疑問が後回しになるほどに、壮観な干しぶりなのだった。

シンガポールを思い出すとき、おみやげ物にプリントされていそうなマーライオンやマリーナベイ・サンズでなく、洗濯物がまず浮かぶ。今まで知らなかった素顔のようなものだと思うと嬉しい。

さて、今回の旅では本屋さんを4軒めぐった。

チョンバルのBooks Actually、オーチャードの高島屋にある紀伊國屋書店、ブラス・バサー・コンプレックス内のPopularとBasheer Graphic Booksである。

Books Actuallyは、住宅街に立地し、雑貨もかなり在庫している、おしゃれな個人経営の本屋さんという風情。
ショッピングするための街の、百貨店内に売り場を持つ紀伊國屋書店は総合書店の王者たる風格。什器や照明も日本で見慣れた紀伊國屋書店を思わせる。さすがに日本の書籍も豊富で、翻訳、マンガなどのコーナーも充実していた。
大学や市庁舎などの近くに位置するショッピングモール内のPopularは大型の書店で、とにかくどんなジャンルの本でも揃っている。たとえるならジュンク堂書店、というところか。中国語書籍の面積もかなりあった。
同モール内のBasheer Graphic Booksはアート、デザイン系書籍の専門店。建築や写真、ファッションなどなどの専門書ばかり。雑誌と大判の本が多く、見た目もとてもにぎやかだ。

本の陳列の仕方に感心し、お客さんを観察するたのしみや面白い本との出会いもある。
日頃から本屋さんは私にとっては特別な場所なのだが、海外の本屋さんに行ったときに必ずしているのは
「日本の旅行ガイドを読む」
「マンガの品揃えチェック」
「絵本などの児童書コーナーでその国について知る」
のみっつだ。

外国の人たちが日本の何に関心を抱いているか、自体にも大きな関心がある。しかし、トピックの選ばれ方だけでなく、書かれ方にも異文化を感じることがあるのだ。
たとえば、シンガポールの日本ガイドを開くと、温泉の紹介がある。温泉なら日本の国内ガイドでもお目にかかることができる。しかし、国内ガイドで温泉の項であれば「草津」「指宿」などが見出しになりそうだが、開いたガイドは、日本各地の温泉が掲載されているにもかかわらず、それぞれの温泉旅館の名前が大きく打ち出されている。
リゾートがすなわちホテルというか、宿泊に求められるのだろうか、などと思索してみる。シンガポールの人たちにとって重要な情報は旅館名なのか、と考え込む。
普段は気にも留めないことが"違和感"として浮き出てくるのだ。これはやみつき。
さんざん立ち読みした挙句、シンガポールの日本好きデザイナー二人組による東京ガイド『Trippin' Tokyo』を購入した。二人組の滞在記としても楽しめる内容で、日本人ならまず取り上げないようなものまで"新奇なもの"とうつるのか、ていねいに紹介されているのが滑稽でいとおしい(むろん、外国人も日本で流通している母国ガイドを読んで同じような感想を抱くのだろう)。

マンガコーナーは知っている作品があってたのしいからというだけでいつもいつも覗いているのだが、シンガポールのPopularはライトノベルと少女マンガのコーナーもかなり充実していた。もちろん、自分の今まで行った他国の書店と比して、というだけなので、書店ごとの特性や訪問した時期も大きく関係しているのだろうが、ちょっとした発見だった。

児童書コーナーではだいたい民話を探す。その国の歴史や文化が濃縮されているように感じるからだ。マーライオンの由来とかそういった絵本があると思っていたのだが、今回の旅では思うようにみつけらず、すこし残念だった。
しかし、目当ての民話はみつからなかったものの、子ども用のアルファベット練習帳がおもしろかった。「A」のページにりんごの絵と「apple」などの単語の見本がある、よくあるドリルなのだが「D」は「dorian」!
「D」ならば「dog」や「duck」をイメージしがちな日本人の私には大きなカルチャーショックだった。これからは世界各地のアルファベット練習帳を開くことを新たな習慣として本屋さんをたずねたい。(亮)