2017 07/24
都市の「政治学的想像力」

(第8回)カナダ・デイ!

カナダ・デイ当日のイベント。多くの人々が参加しています。

2017年7月1日は、カナダ連邦が誕生してから150周年の記念日なので、大通りでのパレードなど全国的にお祝いのイベントが開催されました。1867年7月1日に、イギリスの植民地であった現在のオンタリオ州・ケベック州・ノヴァスコシア州・ニューブランズウィック州に当たる地域が、イギリス議会を通過して成立した「英領北アメリカ法British North America Act」によって連邦(コンフェデレーション)となったのです。なおこの時点で、カナダはイギリスからほとんど完全な自治を確立していますが、外交権の獲得は1926年のバルフォア宣言を、そして正式に自治権が法制化されるには1931年のウェストミンスター条令を待たねばなりませんでした。

しばしば強調されるように、カナダは建国以来、その多民族主義を特徴としています。もともと「カナダ」と称していたアッパーカナダ(現在のオンタリオ州の一部)とロウワ―カナダ(現在のケベック州の一部)では、前者が主にイギリス系で後者が主にフランス系の住民という構成になっていました。イギリスの植民地なのにフランス系住民が多い地域もありました。しかし、それぞれのルーツを尊重しつつ、妥協を重ねて契約を結んできたのです。そのため、「英領北アメリカ法」も含めて連邦に至る一連の取り決めを、イギリス系とフランス系の「盟約(compact)」だと考える人もいます。フランス系住民はケベック以外のカナダでは少数派ですが、フランス語で教育を受ける機会が保障されるなど、特に東部で現在でも重要な地位を占めています。

私の住むバンクーバーが属するブリティッシュコロンビア州でも150周年のセレモニーが行われていました。しかし、実はブリティッシュコロンビア州は1867年7月1日の時点でカナダに加わっておらず、連邦に加盟したのは1871年です。西部が発展を遂げていくのは19世紀末になってからですが、そのほとんどが北緯49度(アメリカとの国境線)以北に存在し、寒さが厳しく必ずしも居住に適した気候とは言えない中で、拠点となる都市を中心に居住地域が広がっていきます。

インドの民族衣装を着てカナダ・デイのイベントに参加する人々も少なくありません

成長する都市には、イギリス系・フランス系の住民だけではなく、中国人や日本人などのアジア系住民も大量に移住してきました。ブリティッシュコロンビア州では、アジア系住民の排斥運動が発生した歴史もあります。しかしその後、第二次世界大戦直後はヨーロッパからの移民を受け入れ、さらに20世紀末からは中国系、そしてインド系、フィリピン系などの移民が大量に流入しています。バンクーバーのような都市では、そのような移民がマジョリティを形成しているように見える地域も少なくありません。

たとえば、私が住んでいる地域でのカナダ・デイのイベントに参加しているのはインド人ばかり、といった現象が起きています(第2回も参照)。もちろん、都市を少し離れてみると、ヨーロッパ系が圧倒的にマジョリティでまた驚く、ということもありますが。

多様性を誇るカナダですが、都市を中心に拡大してきたカナダ西部で、民族的な抑圧があったのは、アジア系住民への排斥運動だけではありません。広大な都市以外の地域に住む先住民(ファースト・ネーションと呼ばれています)が不利な条件で土地の明け渡しを求められる歴史もありました。カナダ・デイを前に、150周年はファースト・ネーションにとって祝福されるべきものなどではない、という抗議運動も起きています。

カナダでは、建国以来の英仏両民族間の融和に加えて、新たに流入する移民を受け入れ、そして先住民の権利保護を行うなど、様々な民族を相互に尊重しつつ、ひとつの国としての統合も図られねばなりません。カナダ・デイのイベントは、一般の人々にも改めてそれを感じさせるものであったようにも思います。

砂原庸介(すなはら・ようすけ)

1978年大阪府生まれ。2001年東京大学教養学部総合社会科学科卒業。日本学術振興会特別研究員、大阪市立大学准教授などを経て、神戸大学法学部准教授。博士(学術)。専門は政治学、行政学、地方自治。著書に『地方政府の民主主義』(有斐閣)、『大阪―大都市は国家を超えるか』(中公新書)、『民主主義の条件』(東洋経済新報社)、『分裂と統合の日本政治』(千倉書房)。共著に『政治学の第一歩』(有斐閣ストゥディア)などがある。