2017 07/21
著者に聞く

『中国ナショナリズム』/小野寺史郎インタビュー

歴史認識や領土問題など、常に隣国とは緊張関係にあります。中国の愛国的な行動の背景は何なのか、どう理解すればよいのか。この不可解さを、中国近現代史から追究した『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』が刊行されました。著者の小野寺さんに、執筆のエピソードなどうかがいました。

――本書執筆の動機を教えてください。

小野寺:私が大学院生だった2000年代は、日中の政府間関係や相互イメージが悪化する一方、中国近現代史研究の分野では、学会や留学を通じた中国内外の学術交流が大きく拡大した時期でした。そうした場で知り合った中国の研究者や学生とは、当時敏感な問題となっていた歴史認識などをめぐっても率直な意見のやりとりができました。

現在も、領土をめぐる日中摩擦が大きく報道される一方で、非常に多くの中国からの旅行客や留学生が日本を訪れており、彼らの屈託のなさとの間にギャップを感じることがよくあります。こうした状況の下で、中国ナショナリズムと呼ばれるものをどのように捉えればよいのか、その検討の足がかりとなるものが書けないかと考えた次第です。

――本書のポイントはなんでしょうか。

小野寺:非常な経済発展を遂げつつ一党独裁体制を維持し続けていること、現行の国際秩序への挑戦ともとれる対外行動などから、現在の中国国外からの中国論には、中国の特異性を強調するものが多いように見えます。実は中国国内でも、アイデンティティやナショナリズムの視点から、中国の文化的・歴史的特殊性を主張する議論が強まっているようです。これらは現在の中国を脅威と見なすか、肯定するかで正反対ながら、不思議と似たところがあります。

一方、この20年ほどの中国近現代史研究では、中国ナショナリズムは、専ら先行する西洋や日本をモデルとして作られた、どちらかといえばオリジナリティに乏しい「輸入品」で、それゆえになかなか社会に浸透しなかったという指摘がなされており、本書も基本的にこの立場をとっています。これは、現在に至る中国ナショナリズムを過大評価することなく、分析可能な対象として捉えるために有効な視点だと考えています。

――本書で扱っている中で特に興味深い人物などいらっしゃいましたら、理由も添えて教えてください。

小野寺:特定の人物に対する思い入れはあまりありません。むしろ、孫文や蔣介石、毛沢東といった人物の特定のイメージが、シンボル化や記念行事、歴史記述を通じて形づくられていった過程や、その政治的な意味に興味を持っています。本書で言えば、孫文の葬儀(133-135ページ)や、毛沢東の図像(160-162ページ)などでしょうか。
中国では近年、歴史的な人物に対するイメージの変化が激しく、かつては孫文と対立したため批判の対象となっていた梁啓超(27ページ)や袁世凱(23ページ)が、思想家や政治家として高く評価されるなどしています。

――執筆中のエピソードなどございましたら。

小野寺:自転車通勤の最中に頭の中で論理を組み立てたり文章を考えたりするのが好きなのですが、危険なのでやめるようにします。転んでしまいましたので(笑)。

――今後のお仕事について教えてください。

小野寺:本書でも少しだけ触れましたが、近代以来の中国の知識人や民衆が「軍事」というものをどのように認識してきたのか、という問題に目下興味を持っています。
清末の軍国民主義、「酷愛和平」という自己認識、日中戦争・国共内戦中の徴兵忌避、「政権は銃口から生まれる」という毛沢東の軍事観などを、どのように整合性をもって理解すればよいのかを考えています。

――最後に読者へのメッセージをいただけますでしょうか。

小野寺:平凡ではありますが、歴史学という学問の重要性の一つは、はるか昔からあるように思われているものが、過去のある時点で作られたことを明らかにすること。それがあるのが当然であるかのように見なされるようになったのはなぜか、という問題を提起することにあると考えています。
歴史についての本書が、ナショナリズムという現在の難題に向き合うに際して、何らかの手助けとなることができれば幸いです。

小野寺史郎(おのでら・しろう)

1977年、岩手県生まれ。東北大学文学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センター助教などを経て、現在、埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授。専門は中国近現代史。
著書『国旗・国歌・国慶――ナショナリズムとシンボルの中国近代史』(東京大学出版会、2011年)、『中国ナショナリズム』(中公新書)ほか