2017 04/05
著者に聞く

『カラー版 ダ・ヴィンチ絵画の謎』/斎藤泰弘インタビュー

誰もが知っている『モナリザ』。しかし、その微笑は謎に包まれています。新著『カラー版 ダ・ヴィンチ絵画の謎』で、レオナルド・ダ・ヴィンチの残した手稿から彼の思考に迫り、この謎を解いた斎藤泰弘さんにお話を伺いました。

——はじめに斎藤先生がレオナルド・ダ・ヴィンチについて研究するようになったいきさつをお教えください。

斎藤:もともとイタリア美術に興味がありましたので、大学の卒論でなにをしようかなと考えていたときに、さっと頭に浮かんだのは、芸術と文学の二刀流の人をテーマにしてみよう(そうすれば両方楽しめる!)ということでした。

そこで、両刀使いの芸術家と言ったら、有名なのはミケランジェロとダ・ヴィンチの2人で、前者は韻文で後者は散文。ダ・ヴィンチの方は、あまり人がやっていないようなので(実はミケランジェロの方もそうなのですが……)、まずそっちの方をやってみようと思ったのがきっかけです。どうも志の低い動機で申し訳ありません。

——それではダ・ヴィンチのなかでもとくに手稿について研究するようになったのはなぜでしょうか。

斎藤:ダ・ヴィンチについては、偉い哲学者や文学者(ヤスパースや下村寅太郎さん、それにポール・ヴァレリーなど)が実に高邁なダ・ヴィンチ論を展開していて、これじゃあ一生かかっても彼らに追いつくどころか、その足元にも及ばない。

かくなる上は、彼らの眺める高雅な山の姿の側からではなく、(おそらくは美しくない面もかなりあるはずの)裏側ルートから――要するに彼の書き残した手稿からです――じかに登ってみようと思い立ったのです。

——手稿を研究するうえでの苦労はなんだったでしょうか。

斎藤:手稿は鏡文字というややこしい秘密めいた文字で書かれています。でも、その鏡文字を目で追って理解するだけでなく、実際に書き写して読みこなしていると、「石の上にも3年」で、本当に3年くらいで誰でもスラスラ読んだり書いたりできるようになります(日本人には書道の心得がありますので、西洋人よりも深く《文字》とその《姿》に慣れ親しむことができるようです)。ですからわたしは、ダ・ヴィンチの手稿を頭で理解するのでなく、(間違って)それを体で覚えて味わってしまったわけです。そうすると、彼が書いている時の気分の違いや、彼が書いている時にふと現われる無意識の欲動なども感じ取れるようになりました。

具体的に話をすると、西洋の名だたる研究者がみな誤読している箇所をたくさん見つけたのです。すると自分は彼らよりもずっと深く理解できているんだという密かな自信が付いて来て、それからは苦労よりも楽しみの方がはるかに多くなりました(そもそも研究は苦労するためにするものでなく、楽しむためにするものですが……)。

——ところで本書では『モナリザ』や『受胎告知』はじめ、さまざまなレオナルドの絵画について説明されていますが、とくに思い出のある絵画についてお聞かせください。

斎藤:本当に数多くの思い出がありますが、人に笑われるような恥ずかしい思い出をひとつだけしましょうか。

本書にも掲載した『岩窟の聖母』は、ロンドンのナショナル・ギャラリーと、パリのルーヴル美術館に2点所蔵されています。わたしはその両者をハシゴで見てやろうとしたことがあって、まずロンドンに行きました。ここの絵は全体に青っぽい色調ですが、その質の高さには感嘆しました。これは絶対に協力者(アンブロージョ・デ・プレディス)の描いた作品などじゃない。顔などの大事な部分には、間違いなく師匠の手が入っている、と感じました。

その足で今度はルーヴルに。実はこの美術館の『岩窟の聖母』については、画集でその細部がいかに美しいかをよく知っておりました。そこで恐る恐る……憧れのご本人に……面会。

ところが思わずあっ! と叫んでしまった(本当にです)。予想と違って画面全体が暗い! 美しいはずの細部がよく見えない! さまざまな色がくすんで、微妙な色調が飛んでしまっている! 焦って金属の手すりから身を乗り出して、もっとよく眺めようとしたら、「おい、おい、君、手すりから離れて!」と、守衛のオッサンが威張って注意する。もうダメだ……。

わたしはこのショックを受けてから、本気で「なぜ同じ主題の絵が2点あるのか?」「どっちが先でどっちが後に制作されたのか?」について研究しようと決心したのです(この問題については、紙幅の関係で、本書では触れることができませんでした。どうか悪しからず)。

——本書ではこれまでの「天才」ダ・ヴィンチとは異なるレオナルド像が描かれていますが、斎藤先生にとって、レオナルドとはいったいどんな人物だったのでしょうか。

斎藤:レオナルドがどんな人物だったのか……実はわたしにもよく分らないところがあります。

というのは、人間が他の人間を理解するというのは、自分も相手も同じ人間であるから、同じような経験をして同じような感情を抱くはずだという前提から、相手に感情移入(エンパシー)して、相手の気持ちを《忖度(そんたく)》して同感することです。でも、レオナルドには、われわれ《正常》な(「通常の」という意味ですが……)人間とまったく違った《異常》なところがあります。生まれてすぐに母親と引き離されたり、異端の鏡文字でばかり書いたり、異性にまったく関心を示さず、同性の子ばかり可愛がったり(あっ、これは《正常》人の中にもいるかも……)、しかし残念ながら、わたしにはそのような経験も好みもないからです。

しかし、彼だってやはり同じ人間。このような場合、どのようにしたら理解できるのでしょうか? そのためには、彼という謎の人物を取り巻く外側の社会環境から攻めていくしかありません。

当時の芸術家は身分の低い職人階級でした(彼も絵画職人です)。工房の親方は、自分の職業上の秘密を記した《雑記帳(ジバルドーネ)》を持っていました(彼の手稿も同じ類いのものです)。同時代の支配階級である貴族や聖職者や知識人たちは皆、彼の慇懃で高貴な物腰を口をきわめて称賛しています(ところが、彼の手稿を読むと、社会的名声への渇望が強く表われていて、高慢な物言いも結構あります。何となく二重人格的ですね)。

さらに、語るに落ちる話ですが、当時のフィレンツェでは同性愛というより《少年愛(ペデラスティー)》が流行していました(ミケラジェロにもその気(け)がありました)、等々。

このようにして城の外堀を埋めながら、少しずつ彼という人物の謎に迫っていくしかないのです。

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。それは、たとえわれわれが相手の首根っこを押さえたと思っても、それ以上首を絞めてはならないということです。この人はわれわれには未知の体験を秘めて生きている人ですから、もしそこでやめないなら相手を死なせてしまうことになります。われわれ文系の研究というのは人体解剖ではなくて、生体観察だからです。

——今後のご関心、研究テーマについてお教えください。

斎藤:ダ・ヴィンチについては、もっと話したいことがたくさん残っています。

これまで彼については、「トンデモ本」を含めて、本当にさまざまな「謎解き本」が、本屋さんの店先を賑わわせています。確かにそれらは新たな情報や知識を与えてくれますが、謎を解くよりも、謎を膨らませてより複雑な謎にするだけで終わっているように見えます。つまり、読者を《物知り》にしてはくれますが、本当に《理解》するようにはしてくれないのです。

本当の《理解》というのは、単純で、明快で、力があって、読めば素直にストンと腑に落ちるものです(複雑なものは《物知り》という消化不良の原因にしかなりません)。

おっと、質問から逸れてしまいました。今後はもう少しまともなダ・ヴィンチ像を紹介して、質の悪いゾッキ本を駆逐するように努めたいと願っています。

斎藤泰弘(さいとう・やすひろ)

1946年、福島県生まれ。1978年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。京都産業大学助教授、京都大学大学院文学研究科教授等を歴任。京都大学名誉教授。専攻・イタリア文学、イタリア演劇。『鳥の飛翔に関する手稿』(谷一郎、小野健一共著)で第3回マルコ・ポーロ賞を受賞。著書『レオナルド・ダ・ヴィンチの謎――天才の素顔』(岩波書店,1987)、訳書『レオナルド』(エンツォ・オルランディ編、評論社、1980)、『ウフィツィ美術館素描版画室蔵レオナルド・ダ・ヴィンチおよびレオナルド派素描集』(C.ペドレッティ著、岩波書店、1986)など。レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の翻訳として『鳥の飛翔に関する手稿』(岩波書店、1979)、『トリヴルツィオ手稿』(岩波書店、1984)、『解剖手稿 ウィンザー城王室図書館蔵』『風景、植物および水の習作』『馬および他の動物』(岩波書店、1982、1985、1990)、『パリ手稿C、F、G、E』(岩波書店、1989、1990、1991、1993)、『絵画の書』(岩波書店、2014)ほかがある。