- 2017 03/24
- 著者に聞く

劣悪な住環境、生活保護受給者の増加、社会的孤立の広がり、身寄りのない最期など、あいりん地区(釜ヶ崎)が直面する課題の数々。それは今後の日本の地域社会にとっても他人事ではないものばかりです。長年このエリアと関わり、『貧困と地域』を上梓した白波瀬達也さんに、執筆の背景などをうかがいました。
――そもそも、あいりん地区に関わったきっかけを教えてもらえますか?
白波瀬:私が大学生だった1999年から2003年頃というのは、貧困が急激に可視化されていった時代だったと思っています。幼少期から奈良のベッドタウンに住んでいたので、大都市の貧困というものがすぐにリアルには感じられなかったんですね。それが大学に入る前くらいから、大阪の方に足を運ぶ機会が増えると、顕著にホームレスの人たちが増えているとわかりました。
研究としてホームレス問題に取り組もうとした際には、特に宗教との関わりに着目しました。宗教と貧困の関わり、それは引いては宗教が社会の問題にどう向き合っていくのか、という点にもつながると感じるようになりました。関わったスパンとしては2003年から始めていますので、もう十余年くらいになります。
――ご執筆の動機は何だったのでしょう。
白波瀬:6年くらい研究と並行して、あいりん地区でソーシャルワーカーとしても働いていました。長いこと関わっているので愛着もあるし、自由な雰囲気も好きです。魅了されているからこそ関わってこられたのだとも思います。ただ、さまざまな取り組みは行われつつも、この町に貧困が集中し続けるという状況は変わらないままなのかなと、もやもやした気持ちは持っていました。
そんな中で2012年に西成特区構想が出てきます。急速に町が変化していく中で、あいりん地区の歴史や経験が忘却されていってしまうのではないかという心配も芽生えました。この町のトライ&エラーの蓄積は意義のあるものですし、他の地域でも役立てられる面もあるはずです。それをきちんとまとめておきたいと考えました。
――本書の副題は「あいりん地区から見る高齢化と孤立死」です。実際に十余年関わってきて、多死社会の実態をどう感じましたか?
白波瀬:本書で触れたように、あいりん地区は単身で身寄りのない方が非常に多い町です。人が亡くなっても、遺族や関係者といった残される側の人が存在しないケースも多いです。遺骨の引き取り手がいないことも当然のように多々あります。確かにこのことは「問題」ではあるわけですが、単に悲惨なものとして取り上げることには違和感がありました。むしろこれからの日本社会は、こうした課題に向き合っていかざるをえない。とするならば、あいりん地区で起こっている出来事や、それへの対応策は、いわば先駆的な事例とみなすべきだと考えたわけです。
――本書では、あいりん地区での弔いのあり方についても論じられています。まさに宗教と社会の関わりという点につながりますね。
白波瀬:そういう意味では大学院の頃から関心が持続しています。博士論文をまとめた最初の本である『宗教の社会貢献を問い直す』(ナカニシヤ出版)もそのテーマを扱ってますからね。
制度として整えられていない部分に宗教は入っていく傾向があります。たとえば、社会的孤立の問題などだと、行政がある程度関与していることも多いです。それが、亡くなる時や亡くなった後のことに対して、行政はあまり関知しません。それは家族、あるいは遺族の領域だから、ということになるわけです。でも、現実にはそこにこそ大きな課題があるんですね。その人がどのように亡くなっていくのか、そして亡くなった後どうするのか、といったことに向き合わねばなりません。そこに宗教が介在する余地も生まれます。
単身者が非常に多いあいりん地区では、亡くなった方たちを地域の関係者で慰霊する取り組みなどが行われています。「地域の関係者」といっても、濃密な地縁とは異なります。個人化した人間同士がゆるやかにつながっているイメージです。課題先進地域であるあいりん地区は、今後の日本で生じる問題にいち早く取り組んでいるとも言えます。萌芽的な動きではありますが、この地では、宗教が社会的孤立を防ぎ、ゆるやかなつながりを作っています。そこに現代における宗教の役割の一端があるのではないかと考えています。
――今後のお仕事やテーマについてうかがえますか。
白波瀬:貧困問題については引き続き研究をしていきたいですね。また、私は福祉社会学とともに宗教社会学を専門としているので、多死社会の中における宗教の役割も考えていこうと思っています。あと、移民の研究とか色々とやっていることはあるんですが、とりあえず今はあいりん地区の話をひとまずまとめられて、宿題を提出した気持ちにはなっていますね。