2017 03/22
編集部だより

「もうすぐ消えてなくなるかもしれん」風景

読んだ後、うなされて眠れなくなる本がある。くらもちふさこのマンガ『天然コケッコー』もその1つだった。

主人公の「右田そよ」は島根の田舎にある、全校生徒3人という中学に通う中学2年生。ある日突然「大沢君」というかっこいい男の子が東京から転校してきて......という、高校2年までの4年間の日常を描写したもので、主人公が自分のことを「わし」と石見弁で言うなど、田舎のディテールが細かく細かく描かれているところも魅力である。
だが、読み終わって愕然とした。主人公の将来の夢は、自分が教師になって母校に戻って来ること、そして大沢君と結婚することの2つなのだが、どちらも叶わないことに気付かされるからだ。
村にはバスが通い、郵便局や理髪店、雑貨店、お好み焼き屋がある。それ以外の産業は農業だけで、主人公の父親がつくる無農薬米も評判である。ただ、ここには大沢君の働き場はない。主人公は結婚後の大沢君の姿を妄想するが、やる気のない大沢君が田んぼから脱走するなど、だいたい途中でおしゃかになる。「初恋は叶わないから美しい」と福永武彦はいったが、そうなる可能性が大である。
また、ストーリーの途中で赤ちゃんが一人生まれるが、村の未就学の子供はそれだけで、主人公が教員になる数年後に学校が存続しているかもかなり絶望的である。

ところで、このマンガは1990年代なかばに連載されたが、2007年に映画化された。この映画には、田園風景だけでなく、あちこちで鉄道が出てくる。隣町の高校に通うために利用する山陰本線の馬路駅、ポスターに使われた三江線の川平駅、そして海水浴に行く際に歩いた廃線跡(建設途中で放棄された今福線の橋とトンネル)などである。
昨年末、このうちの三江線に乗った。三江線は日本海ぞいの島根県江津市から中国山地の真ん中にある広島県三次市までを結ぶ100kmほどの路線である。山陰と山陽を結ぶのが建設の目的だったが、江の川沿いに線路を敷いたため、江津から広島までは台形の3辺を行くような遠回りとなってしまい、陰陽連絡線としては機能していない。

日本海に面した江津を朝6時ちょうどに出る2両編成のディーゼルカーに乗った。三次で乗り継いで広島に着くのは11時29分である。一方、江津を6時17分に出る山陰本線で浜田まで行ってそこから高速バスに乗れば広島には9時に着く。『天然コケッコー』にも広島市の画材屋に、鉄道ではなく高速道路を使って行く話があったのを思い出す。
ディーゼルカーは非常にゆっくりと走る。スマホのGPSでは最高時速が30キロだった。『天然コケッコー』に出てきた川平駅の次の川戸駅に6時29分に着くと、高校生が4人乗り込んできた。冬至に近く、まだ真っ暗で、こんなに早起きしなければならないのは気の毒だが、次の列車は昼過ぎなので、これに乗るしかない。
このあと4駅に停車するが乗り降りはなく、ひきつづきのんびりと18.7kmを38分かけて走って、7時7分、石見川本着。沿線唯一の高校があり、高校生たちはここで降りた。このあと粕淵で中学生が1人降り、これで朝の通学輸送は終わった。
あとで高校のホームページを見ると、寄宿寮が2つあり、スクールバスも各方面に運行しているようだ。『天然コケッコー』の世界では、高校に合格すると最寄り駅までのバスを増発してもらい、「バスで10分、電車で32分」かけて通学していたが、現実では、駅までバス便を設定して、そこから鉄道に乗り継ぐのではなく、学校まで直接バスが乗り付けるように変わったようだ。2000年の石見川本駅の乗車客数は一日平均168人だったが、2014年には23人にまで減っている。全員が高校生だとしても高校の生徒数の10分の1にすぎない。

沿線は石州瓦をのせた立派な家々が散見される。「空中の駅」として有名な宇津井駅も、すぐ下には集落がある。「人煙稀な」という感じではない。同じように利用客の少ない北海道の宗谷本線や根室本線沿線とはそこが違う。だが乗客は少ない。
三江線は2018年春に廃止になることが決まっている。都市間輸送の使命はすでになく、通学輸送も微々たるものである。暗い気持ちで三次駅に降りたところ、ホームには中高年のツアー客が20人ほど待っていた。折り返す列車に乗車するらしい。輸送力過剰とも思える2両連結だったのは、この団体客を迎えるためだったのかと合点した。(酒)