2017 01/10
著者に聞く

『入門! 進化生物学』/小原嘉明インタビュー

キャベツ畑でモンシロチョウを観察する小原さん

モンシロチョウの配偶行動などを行動生物学から解き明かしてきた小原嘉明さん。それらの知見も踏まえて、ダーウィン以前から最新の分子生物学までをやさしく概説する『入門! 進化生物学』を上梓されました。生命の進化と人間の将来について小原さんにうかがいました。

――まず、本書を執筆した動機をお教えください。

小原:進化学は近年の分子遺伝学的成果とその手法を取り入れ、急速に発展すると同時に新しい領域を切り開きつつあります。そこで、従来のオーソドックスな進化学と、新たに切り拓かれた領域の両者を紹介した進化学の入門書を、この時期にまとめておくことは意義があると考えて執筆を思い立ったのです。また進化についての私なりの考えも表明しておきたいとの考えも執筆を思い立った一因です。

――執筆中にとくに印象に残った出来事をお聞かせください。

小原:長時間パソコンにへばりつくことが多かったせいか、はじめて椎間板ヘルニアの洗礼を受けたことです。その痛さに耐えきれず、夜の2時ころ救急車を呼んで病院に搬送してもらいました。救急車は初体験でした。

――そんなときに校了まで作業をお願いして申し訳ないです。どうぞお大切になさってください。

本書の内容に関わることについて質問します。本書では進化論の系譜についてもくわしく触れられています。ダーウィンの自然淘汰や性淘汰、メンデルの法則については学校で習うので私たちにも馴染みがありますが、さきほどお話しになったように分子遺伝学など、ここ数十年の成果についてもかなり詳しく触れられています。これらの近年の進化学で先生がとくに重要だと思われるトピックは何でしょうか。

小原:エボデボ(進化発生生物学)を中心とした分子遺伝学の研究だと思います。エボデボは現生の動物の器官や組織の発生に関わる遺伝子を種間で比較することによって、これまで想像もしなかった新知見を次々に生み出しています。

昆虫の翅が実は節足動物の付属肢から進化したという、従来の予想を覆す発見はその一つですが、このような発見は今後も大いに期待されます。これについては本書の注にも記しましたが、ショーン・B・キャロルによる『シマウマの縞 蝶の模様――エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』(光文社、2007)の一読をお奨めします。もう一つは表現型の中立進化説の研究です。日本発の中立進化説が表現型の進化まで拡張できるという研究報告が、とても楽しみです。

――本書では同じ種の中に利己的な行動をするグループと利他的なグループがあった場合、利他的な集団のなかに利己的な個体が入り込むと、利己的な個体が競争に打ち勝ち、利他的な集団は淘汰されてしまうこと、それに対して利己的な集団は利他的な個体が侵入しても安定して継続することができることが説明されています。それでは、わたしたち人間は、どのように行動するのが望ましいのでしょうか。

小原:生涯に何度も出会い、社会的やり取りをする動物で、かつ自分に対する相手の過去の対応を記憶できる動物では、ゴチゴチの利己主義者に成功はほとんど期待できません。人間を代表とするこのような動物では「情けは他人(ひと)の為ならず」(他人への施しは巡り巡って己に還ってくる)、あるいは「互恵的利他行動」が進化するとされています。

――本書の末尾で、特殊な環境に適応した種は絶滅の危険性が高いこと、また地球上の生物はすべて地殻変動に伴う絶滅の危険にさらされていることが説明されています。先生は現在の人間はどのような立場にいるとお考えですか。また、人間の将来はどんなものになるのでしょうか。

小原:一般の動物は自らの形質を環境に合わせることによって生き延びてきました。それに対し、人間は自らの生物形質を変えることをしないで、逆に知能の力で自分の周りの局所的環境を自分に合うように変えて対応する稀有な動物です。たとえば衣類、家屋、冷暖房、銃火器等による他の動物からの防衛、病害虫などに対する医療技術などは、すべて姿かたちを変える代わりに知能によって生み出したものですが、これによって人間は自分の形質を変えることなく、普通なら生存不可能な高温下、あるいは酷寒の環境などでも生き延びることができるようになりました。戦争などによる殺し合いが無ければ、人間は一般の動物よりもしぶとく生き延びるのではないでしょうか。人間が絶滅の崖っぷちにいるとは考えていません。

――本書では動物たちのユニークな行動がいろいろ紹介されています。たとえばナナホシテントウの雄はココノホシテントウの雌にも交尾しようとすることや、餌を分け与えあうチスイコウモリなどです。紹介されている行動のなかで、とくに先生にとって印象深いケースはなんですか。

小原:ある種の動物の雌による息子と娘の産み分けでしょう。人間の女性もまたこの能力を備えていると確信しています。東京のある産院では、若いカップルの希望に応じて男児と女児の生み分けのための産科的指導をしていますが、その結果は女性に男女を産み分ける潜在的能力があることを示しています。

――今後の先生の研究課題、テーマをお教えください。

小原:3つ考えられます。まず、進化発生生物学(エボデボ)を中心とした進化分子遺伝学的研究による「遺伝子系統樹」の追究。次に上の質問とダブりますが、本書でも少し触れた表現型の中立進化の追究。3つめとして遺伝子の水平伝搬あるいは雑種からの種形成の追究です。

――最後に、読者へのメッセージを一言いただけますか?

小原:今、進化は実に面白い。繰り返しになりますが、世界に先駆けて木村資生が敷いた「分子レベルの中立進化」を表現型の中立進化へと展開することはそのひとつで、面白い宝の山であるといえます。チャンスが到来しています。ノーベル賞級の研究です。若い研究者にもぜひ挑戦してほしいと思います。

小原嘉明(おばら・よしあき)

1942年福島県生まれ。東京農工大学農学部卒業。1985年同大学教授。1997~2005年イギリスケンブリッジ大学にて同大マジェラス教授と共同研究。2007年より東京農工大学名誉教授。宮城教育大学協力研究員.理学博士.専攻・動物行動学。著書『モンシロチョウ――キャベツ畑の動物行動学』(中公新書、2003)、『暗闇の釣り師グローワーム』(福音館書店「たくさんのふしぎ」、2015)、『アオムシの歩く道』(福音館書店「たくさんのふしぎ」、2013)、『進化を飛躍させる新しい主役――モンシロチョウの世界から』(岩波ジュニア新書、2012)、『イヴの乳――動物行動学から見た子育ての進化と変遷』(東京書籍、2005)、『恋の動物行動学――モテるモテないは、何で決まる?』(日本経済新聞社、2000)、『父親の進化――仕組んだ女と仕組まれた男』(講談社、1998)、 『行動生物学』(培風館、1997)、『みつばち家族の大冒険』(偕成社、1992)、『入門 動物の行動』(岩波書店、1986)など。