波乱万丈な頼子第三十九回
十章
39
――あなたの名前と、生年月日を教えてください。
「私は、猪又千栄子と申します。昭和三十九年九月二十日生まれです」
――あなたは、高幡静子さんを殺害しましたね?
「高幡静子? やっぱり、あの女、頼子ではなかったんですね」
――頼子とは、『波乱万丈な頼子』ですか?
「そうです」
――あなたは、『波乱万丈な頼子』の熱心な視聴者で、投げ銭もかなりしていましたね?
「そうです」
――なのに、なぜ?
「なぜとは?」
――調べによると、高幡静子さんは、四代目頼子だった。つまり、あなたが熱心に推していた頼子本人だったわけです。
「でも、頼子じゃないんですよね?」
――なるほど。あなたは、『波乱万丈な頼子』という人物が実在して、動画で語られている内容も真実だと思っていたんですね。それで、頼子に同情して、投げ銭にも精を出していた。......まあ、確かに、阿漕(あこぎ)なことをやっていたとは思います。フェイク動画で視聴者を騙して、金銭を巻き上げていたのですから。限りなく、詐欺行為に近いです。だからと言って、殺害するというのは。......あれですか? 裏切られたと思ったから? 可愛さ余って憎さ百倍ってやつですか? わからないでもないです。私にも、かつて推しがいましたが、その人のセックススキャンダルが出たときは、ほんと、悔しかったし悲しかった。推していた分、憎しみに変わりました。
「あなた、なに言ってんですか。私は、頼子を推していたわけではありませんよ」
――は?
「推していたわけではない。......監視と確認をしていただけです」
――どういう意味ですか?
「頼子は、タナカさんである可能性が高かったからです」
――タナカとは?
「うちで長いこと、家政婦をしてくれていた人です。私にとっては、母親であり姉であり親友のような存在でした。でも、タナカさんは心に病を抱えていて。今でいうPTSDです。ときどき、パニックになるんです。その理由が知りたくて、いつだったか、タナカさんの日記を盗み見したことがあるんです。そしたら、過去に、見知らぬ男たちに酷い目に遭ったことがわかりました。その他にも、日記には小さい頃からの苦労話が切々と綴られていました。まさに、波乱万丈な人生です。
......そうなんです、その人生が、『波乱万丈な頼子』で語られていたんです!
たまたまその動画を見つけた私は、とても驚きました。「あ。タナカさん?」って。でも、動画の頼子の手は、タナカさんのものではない。だって、タナカさんの小指は欠損していましたが、頼子はそんなことはありませんでした。なんでこの頼子は、タナカさんの人生をなぞっているのか? それが知りたくて、『波乱万丈な頼子』の視聴者になったんです」
――なら、なぜ、投げ銭なんか?
「自分でもよくわかりません。頼子の動画を見ているうちに、なんだか知らない間にのめり込んでいって。推しているわけではないのに、動画がアップされるのが待ち遠しくて。アップされない日が続くと、落ち込んで。あれは、もしかしたら、アンチの心境なのかもしれませんね。ほら、アンチほど、執着するっていうじゃないですか」
――アンチとは?
「私、タナカさんのことが大嫌いなんです。だから、タナカさんの可能性が高い頼子にも粘着しました」
――でも、さっきは、母親であり姉であり親友のような存在だったって。
「そういう時期もありました。でも、タナカさんは私たちを裏切って、夜逃げしたんです。ママの通帳とハンコも持ち出して。しかも、ママの名前で借金までしてました。被害総額は三億円。そのせいで、ママは、出たくもないポルノまがいの作品にも出演せざるを得なくなり、精神のバランスを崩していきました。そして、死んでしまったんです。タナカに殺されたようなものです!」
――あなたの母親って、いったい......。
「昭和の歌姫の南条ちかです!」
――ああ。和製エマニュエル夫人って言われた......。
「違います、違います! 二度と、そんな風に呼ばないでください! 今度呼んだら、ただじゃ済まないですよ!」
――落ち着いてください。......いいから、落ち着いて。いずれにしても、タナカさんは、あなたの母親の仇だと。そして、『波乱万丈な頼子』の可能性が高いと。だから、あなたは、頼子に粘着したんですね。
「そうです。頼子本人でなくても、あの体験談を綴っているのはタナカさんだと思ったんです。タナカさんは、間違いなく、あの動画制作にかかわっている。だから、その証拠を探していたんです。ライブ配信のときにはいろんな質問をしたりして。そのためには、熱心な視聴者である必要があったんです」
――なるほど、なるほど。
「でも、なかなか確証は得られなかった。そんなとき、頼子の中の人が、あきらかに変わったんです。騙された振りをしていましたが、私は見逃しませんでした。
新しい頼子の小指には、絆創膏が。あ、タナカさん?と、私は飛び跳ねました。とうとう、尻尾を掴んだって。それで、暴露系YouTuberに凸したんです。『波乱万丈な頼子』はインチキだ。深掘りしてくれって。案の定、大炎上。あちこちからネットの特定班が集まってきて、たちまちのうちに頼子の自宅が特定されました。そして、頼子の正体が高幡静子であることもわかったんです」
――それで、あなたは、自宅を訪れた?
「はい。でも、......違いました。タナカさんではありませんでした。とうとう本懐を遂げる日が来たと思ったのに、まったくの別人でした!」
――本懐を遂げるって。やっぱり、あなたははじめから殺意をもって、高幡静子さんの自宅に行ったのですね?
「違います。そういう意味ではありません。ただ、タナカさんに謝ってほしかった。ママの仏前に線香のひとつも供えてほしかった。それだけなんです!」
――でも、結局、あなたは高幡静子さんを殺害してしまった。
「高幡静子って人が、私を激しく拒絶したからです。全然、話を聞いてくれなかったから。それで、揉み合いになって、つい、高幡静子さんを突き飛ばしてしまって――」
――つまり、殺人ではなくて、傷害致死ってことですか?
「そうです、それです!」
――仮に、高幡静子さんが傷害致死だったとしても、あなたは実刑は免れませんよ。
「どうしてですか?」
――あなたは、大塚頼子さん、そして久能頼子さんの殺害の容疑者でもありますから。
「は? 誰ですか、その人たち」
――気付いていなかったとは言わせませんよ。『波乱万丈な頼子』が複数人いたことは。
「もちろん、気が付いてましたけど」
――大塚頼子さんは二番目の頼子、そして久能頼子さんは三番目の頼子なんです。しかし、その二人も殺害されています。あなたがやったんですよね?
「はぁぁぁ?」
+
二〇二四年、八月。
「このたびは、色々とお世話になりました」
中曽根光子が、晴れ晴れとした顔で、事務所を訪れた。そして、
「久能頼子さんの死体遺棄の件は不起訴となりました。もっとも、フェイク動画制作に関しては、警察からたんまりお説教をくらいましたが、特にお咎めはなし。すべて、明石先生のおかげです。本当にありがとうございました」
と、頭を深々と下げた。続けて、「皆様でお召し上がりください」と、虎屋の羊羹を紙袋から出した。
「私、これ以上ないってほど心も体も軽くなりました。今にもどこかに翔んでいってしまいそうなほどです」中曽根光子のハイテンションなおしゃべりが止まらない。「なにしろ、猪又千栄子がいなくなったんですからね。久能頼子さん、大塚頼子さん、そして高幡さんのお母さんを殺害した殺人鬼がこの世からいなくなったんですから!」
そう、猪又千栄子は、先週、拘置所で自殺が確認された。舌を噛み切ったというのだから、なんとも壮絶な自殺だ。
「私もようやく、枕を高くして眠れます。だって、連続殺人犯はこの世から消えたのですから。めでたし、めでたしです」
そう言い残して、中曽根さんは事務所を後にしたが。
でも、本当にめでたしめでたしなのだろうか? 莉々子は、首を捻った。
舌を噛み切るというのは、焼身自殺同様、この世に深い恨みがあるか強く抗議したい場合にとる手段だ。世を儚んで......とか、自身の行いを悔やんで......という理由では、決して選択しない方法だ。
猪又千栄子は、高幡静子の殺害は認めたが、久能頼子と大塚頼子の殺害は否定していたという。
「どうしたんですか? なんか、納得いかないという顔をしていますが」
虎屋の羊羹を頬張りながら渋いお茶を飲んでいると、藤村から声をかけられた。
ずきんと、心臓に甘い痺れが走る。
唯一の身内であった母親が死んでから半年、その傷はまだ癒えてはいないが、藤村の言葉が絆創膏の役割をしてくれている。
「なんか、すっきりしないのよ」
「頼子殺人事件のことですか?」
「そう。そもそも、被害者は二人の頼子とうちの母だけではなくて、もう一人いる」
「こーちゃんこと、柏木光太郎」
「そう。なんでこの人は、『波乱万丈な頼子』を企画したのか」
「あれから色々と調べたんですけどね、スマイル企画は、柏木光太郎が一人でやっていた会社でした。一応登記はしていますが、大手不動産会社の孫請けをしていた個人事業主です。主に、チラシ配りの業務を請け負っていました。動画制作に手を出したのは、単純に、儲けたかったからでは。事実、『波乱万丈な頼子』で、彼は一億円ほどの収益を手にしています」
「一億円! そんなに?」
「そして、ずっと気になっていたのが、瀬山涼の言葉です」
「瀬山涼? ああ、動画撮影の手伝いをさせられていたバイトくんね」
「そうです。彼、言ってましたよね? 柏木光太郎は、久能頼子さんのことを『お母さん』って呼んでいたって」
「ああ、そういえば」
「それで、色々と深掘ってみたんですよ、久能頼子さんのことを。そしたら、ちょっと面白いことがわかりました」
「面白いことって?」
『藤村君、頼んでおいた書類、できてる?』
いいところで、明石先生の邪魔が入った。藤村は「またあとで」と言い残すと、軽快な足取りで、その場を去っていってしまった。
しかし、藤村の「またあとで」がなかなかやってこない。明石先生のお供で出かけたっきり、戻ってこないのだ。
もやもやしながら残業をしていると、藤村からメールが来た。
『ニュース、見ましたか?』
貼り付けられていたリンクをクリックすると、ニュースサイトに飛んだ。
「え? ......中曽根光子さんが、殺された?」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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