波乱万丈な頼子第十回

三章

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「え。採用メールが来たんですか?」
 事務所近くの洋食屋。藤村のスプーンが止まった。ふわとろのオムライスがスプーンの上で居心地悪そうに震えている。
「そう、例の動画、採用されちゃったの」
 莉々子のナポリタンも、フォークに絡まったまま、固まっている。
「ね、どうしたらいいと思う?」
「間違いでしたとか言って、辞退すればいいんじゃないですか?」
 藤村は意外と冷静に、そんなことを言った。そしてスプーンを口の中に押し込んだ。
「辞退ね......」
 莉々子も、フォークを口にもっていった。が、その手前で、フォークを皿に戻した。
「もしかして、高幡さん、せっかくだから潜入調査しようとか思ってません?」口の周りにべったりとケチャップをつけながら藤村がニヤリと笑った。
「え? まさか」
「いえいえ、隠してもダメです。仮に、高幡さんが本当に後悔しているなら、即、辞退していたはずです、誰にも相談せずに。なのに、高幡さんは、僕に相談した。しかも、わざわざランチまでおごったりして。それはつまり、"辞退"以外の選択があるからです。それを選択していいかどうか、他者の意見が聞きたい、あるいは背中を押してもらいたい、そう思っているんでしょう?」
 そうなのかもしれない。このモヤモヤを言葉にしたならば、まさに、藤村が指摘した通りの内容になるのだろう。
「僕は、反対ですけどね、首を突っ込むのは」
「やっぱり?」
「でも、高幡さんのお母さんが応募したというなら話は別ですけどね」
「どういうこと?」
「だって、そうでしょう? 応募した動画は、高幡さんのお母さんが料理しているところを撮ったものなんでしょう? つまり、高幡さんのお母さんが、小遣い稼ぎに動画を応募したということなら、うちの事務所とはまったく関係ない」
「なるほど」
「でも、あくまで、高幡さんのお母さんが応募した場合の話ですよ?」
「もちろんよ。もちろん、うちの母親が応募したのよ。私はそれを手伝っただけ」
「なら、いいんじゃないですか」
「だよね?」
 莉々子は、再びフォークにナポリタンを巻き付けた。
「でも。なにか変だな、妙だなって思ったら、すぐに引き返してください。そして、僕や明石先生に相談してください。わかりましたね?」
 さすがは、元高校教師。頼りになるじゃん。
「うん、わかった。......母にはそう言っておく」
「で、どんな動画を送ったんですか?」
「見てみる?」
 そして莉々子は、スマートフォンに保存しておいた動画の一本を藤村に見せた。
「すごい! きれいに撮れているじゃないですか!」
「でしょう?」
「これじゃ、採用されるはずだ」
「いや、実は私もちょっと自信あったんだ」
「ちなみに、お母さんのお名前はなんていうんですか?」
「静子。静岡県の"静"に子供の"子"で、静子」

   +

『高幡静子様。このたびは、スマイル企画に動画をお送りくださり、ありがとうございます。お送りくださった動画は、すべて採用させていただきます。10分の動画が10本ですので、500円×10で、5000円の契約料となります。つきましては、振込口座をお教えください』
「ご採用、ありがとうございます。ところで、動画の著作権とかはどうなりますか?」
『動画は買い取りとなりますので、著作権も当社に移ります』
「では、正式な契約書を交わしたほうがいいと思いますが、いかがでしょうか?」
『了解しました。後ほど、契約書を送らせていただきます。では、振込口座の情報もお願いします』

 振込口座か。さすがに、口座情報を教えるのは、気が引ける。
 というのも、最近、「振り込む・・・・詐欺」が横行しているからだ。振り込め詐欺とは違う。振り込む・・・・詐欺。
 SNSなどで、「一万円差し上げます」などと投稿し、応募してきた人から口座番号を聞き出して、悪事に利用するのだ。その手口は多々あるが、ロースクール時代の友人から聞いたのは、あるとき口座に五百万円が入金されていたというケースだ。間違って振り込んだので現金で返還してほしいと言われて、その通りにしたところ、振り込め詐欺の受け子として逮捕されてしまったのだ。つまり、その五百万円は、振り込め詐欺の被害者が振り込んだものだった。受け子の疑いをもたれたその男性はまったく心当たりがないと訴えたが、結局、実刑がくだった。その日、男性は拘置所の中で自殺した。
 あまりに悲劇的な事件だったと、友人は泣いた。友人は、見習い検事としてその事件を担当していたに過ぎなかったが、なぜ助けられなかったのかと、心を病んでしまった。
 莉々子もその話を聞いて、あまりの理不尽さに震えが止まらなかった。
 たぶん、その男性は、口座番号を誰かに見られたのだろう。口座番号なんて、ATMの利用明細書にも堂々と印字されている。それを安易に捨ててしまう人も多いだろう。詐欺師はそれを手がかりに、善良な市民に詐欺の片棒を担がせるのだ。
 本当に許せない!
 莉々子の中に、忘れかけていた猛烈な正義感が燃え上がった。
 そうだ。私は、不正をする人が許せないのだ。騙す人を見逃すことができないのだ。それは、どんな趣味嗜好をも凌駕する、莉々子の核となる信念だった。
 だから、私は弁護士になりたかったのだ。
 なにも、好奇心が強いからではない、ミステリーが好きだからではない、ただただ、悪人が許せないのだ!
「よし」
 莉々子は、スマートフォンに指を置いた。そして、適当な口座番号を入力すると返信した。

「いや、それにしても」
 クールダウンしようとお気に入りのハーブティーを淹れながら莉々子は思った。
「十分五百円って、いくらなんでも安すぎない? それが相場なの?」
 仮に、『波乱万丈な頼子』がスマイル企画が制作したフェイク動画だとして。チャンネル登録者数は十万人を突破している。再生回数も相当なものだ。かなり収益もあるはずだ。なのに、動画を提供している人は十分で五百円の報酬しか得ていないことになる。動画は全部で二百三十五本。つまり、動画提供者には約十二万円。一方、この動画チャンネルを運営している者には――
「具体的にどのぐらい儲けているんだろう?」
 頭の中だけで考えていたはずが、つい、口から漏れる。
「え?」
 横でコピー機を操作していた藤村が、きょとんとこちらを見た。ランチのときにこぼしたのか、ワイシャツに血のようなケチャップが飛び散っている。
 あ、そうだ。あの大家の奥さんに借りた服、返さなくっちゃ。
「どのぐらい儲けているか......って、なにがです?」
 藤村の問いに、
「うん。だから、『波乱万丈な頼子』の動画はどのぐらいの収益があるのかな?って」
「開設されてから今までで、五千万円近いですかね。開設されたのは一年半前ですから、まさに荒稼ぎ」
「え。なんで、わかるの?」
「昨日、なんとなくネットで検索してみたんですよ」
「そんなの、ネットでわかるの?」
「はい。そういうサイトがあるんです。動画のチャンネル名を入れると、おおよその収益が出てくるんです」
「でも、動画の収益って非公開なはず」
「もちろん、そうですけど。でも、おおよその額はわかるみたいですよ。むろん、案件(タイアップ)なんかも絡んでくるので、実際はもっと稼いでいるはずです。『波乱万丈な頼子』は、ライブのスパチャ(投げ銭)でもそうとう稼いでいますし」
「なんだか、納得いかないわね。動画提供者の報酬は、たぶん、十二万円弱なのに」
「動画提供者って?」
「だから、『波乱万丈な頼子』のチャンネルに、動画を提供していた誰かさんよ」
「高幡さんは、『波乱万丈な頼子』は完全なる創作だと?」
「あなただって、そうかもしれないって言っていたじゃない」
「確かにそうなんですけど。でも、そうなると、ライブは? ライブにも、頼子って人は出ていますよね?」
「それも、誰かに依頼したんじゃないの? 少ないギャラで」
「だとしたら、そうとう悪質だなぁ」
「悪質だって、ずっと前から言っているでしょ」
「で、高幡さんのお母様・・・が投稿した動画はどうなりました?」
「今さっき、振込口座を聞いてきた」
「教えたんですか?」
「まさか。出鱈目を教えた」
「じゃ、入金されないじゃないですか」
「たった五千円だもん。惜しくもなんともないわよ」
「五千円でも大金だと思うけどな。少なくとも、五日分の食費だ」
 食費に換算すると確かに、ちょっと惜しい気もする。五千円を稼ぐのはなかなか大変だ。学生時代、牛丼屋でアルバイトをしていたことがあるが、五時間立ちっぱなしの重労働でようやく得ることができる報酬だ。
 だからなのかもしれない。ときどき、なんでこんな少額に目がくらんでこんなことをしたのか?と思うような事件に遭遇する。たった三千円で、特殊詐欺の片棒を担いだ人もいた。
 たかが五千円、されど、五千円。
「でも、なんとなくなんですけど、波乱万丈な頼子は、実在すると思うんですよね」
 藤村は、どこか確信めいた口調で言った。さらに、
「そして、あの動画を運営していたのも、頼子本人だと思うんです」
「だとしたら――」
 矛盾だらけじゃない、と言おうとしたとき、
「ニュースよ、ニュース」
 と、明石先生が部屋から飛び出してきた。
「今、例のアパートの大家さん、中曽根さんから連絡があったんだけど」
 もしかして、服返せの催促か? と、莉々子が立ち上がったところで、
「二〇一号室で見つかったご遺体の身元がわかったのよ!」

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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