波乱万丈な頼子第九回

三章

「よし、これでどうだ?」
 パソコンに向かうこと、二時間。
 莉々子は、ようやく十本の動画を完成させた。どれも、母親が料理をしているところを撮ったものだ。一本、十分に編集して、十本の動画にしてみた。
「うん、我ながら、上出来」
 妙な高揚感に襲われる。久しぶりの興奮だ。高校時代、映像研究会の手伝いをしたことがあるが、あのとき以来だ。
 そして、改めて思う。自分は、こういうのが好きなんだ。動画を撮ったり、編集したり。そういえば、中学校のときにも演劇部の手伝いで、メイキング動画を撮ったことがある。あれも、楽しかった。寝不足が続いてもエネルギーがつきることがなかった。むしろ、周りもドン引きするぐらいのハイテンション。たぶん、脳内麻薬というやつがびたびたに分泌されていたのだろう。
 でも、司法試験を目指したあたりから、そんな興奮状態は遠ざかった。視界の風景もどことなく色褪せて、「所詮、人生なんてこんなものか」などと、日に何度か呟く始末。死にたいとまでは思わないが、生きている意味もよくわからなくなっていた。「懲役をくらって刑務所にいる受刑者もまた、こんな気分なのかな? いや、むしろ、死刑を宣告された死刑囚の心境に近いかも」
 刑務所にいる受刑者は、日々、イベントで忙しい。そのイベントをこなしているうちに、あっというまに時間が過ぎていく。ある元受刑者に話を聞いたことがあるが、「まさに、浦島太郎ですよ。娑婆に出て、こんなに時間が経っていたんだって、驚きました。そういう意味では、刑務所っていうのは、竜宮城なのかもしれませんね。もちろん、綺麗な乙姫もタイやヒラメのダンサーもいませんがね」
 一方、特になにもすることがない拘置所に長年拘留されていた人は、「拘置所の中では、時間が驚くほどゆっくりと流れるんですよ。一時間が一年にも思えるときがある。時間という鎖につながった状態です。最も残酷な地獄ですね。仕方ないから、辞書をずっと写本してましたけど、一冊写本が終わっても、半年も経ってないんだ。想像できます? ありあまる時間というのはね、ある意味、最も効果がある拷問器具だと思うんですよ。想像できますか?」
 その人はそれから三年後にようやく裁判で判決が出て、刑務所送りとなった。
「あー、ようやく刑務所に行けますよ」
 と、喜んだ顔が忘れられない。
 死刑囚の場合は、死ぬまで拘置所にいなくてはならない。まさに、時間という拷問器具で、死ぬまで責め苛まれるのだ。
 想像できますか? と問われたとき、莉々子は曖昧に微笑んでみたが、それは答えに窮したからではない。たやすく想像できてしまったからだ。拘置所にいなくても、時間という拷問は存在する。なんなら拘置所にいるときよりも、残酷な拷問が行われるときがある。
この世は、一見、自由・・ではあるが、その自由・・というのが曲者なのだ。自由を充分に発揮できるのは、それぞれのテリトリーの中においてのみ。人がそれぞれ持つ自由(テリトリー)に阻まれて、身動きがとれなくなるときがある。そう、自由とは、まさに檻の柵でもあるのだ。
 そういう意味では、莉々子の自由(テリトリー)は、ひどく狭く、小さい。まさに、この四畳半の部屋ぐらいの範囲だ。大の字で寝転ぶのも難しい。もっと広い部屋が欲しい......と思うこともあるが、「いや、もっと狭い部屋で我慢している人だっているんだし」などと、勝手に合理化して自分を慰める。そして、「所詮、人生なんて、こんなものだ」などと諦観する。窒息しそうになっても、「もっと苦しんでいる人がいる。みんな苦しいんだ。私なんて恵まれているほうだ」などと他者の不幸を勝手に想像して、自分を高みに置いてみたりする。「鳥のように自由になりたいなんていう人もいるけど、鳥だって、いろんな天敵に狙われて、喧嘩して、全然自由じゃない。鳥かごに閉じ込められていたほうが幸せな鳥だっている」などと、自分が置かれた環境に正当性を与える。
 でも、ときおり、ふと思う。
「私、拘置所にいる死刑囚と同じじゃない?」と。
 そう思うたびに、その思いを強引に頭の隅に追いやってきたが、そろそろ限界かもしれない。頭の隅も、そうそう空いているものではない。そう、まさに、この部屋の収納庫のように。収納庫には、服やら雑貨やら参考書やら、使わないものがぎゅうぎゅうに押し込まれている。イライラが止まらない。
 そんなイライラを凌駕する興奮の中に、莉々子は今、いる。
 できあがった動画をいま一度確認すると、
「うん。いいんじゃない?」
 と、空に向かってハイタッチしてみた。もちろん、そこには誰もいない。傍から見たら酔っ払いのように見えるかもしれないが、ここは自分にとって唯一のテリトリー。咎める人は誰もいない。莉々子はさらに、
「いえーい!」
 と、上半身をくねくねと躍らせた。
 我ながら、逸脱したテンション。そう思いながらも、止まらない。莉々子はその勢いに任せて、動画を送付した。

   +

「はぁぁぁ」
 そのため息につられて、同僚の藤村が顔をこちらに向けた。
「なにか、失敗でも?」
 藤村が、どこか嬉しそうに言う。なによ、この人もなんだかんだ言って、人の失敗が美味しいんだ。
「失敗? まさか」
 莉々子は、背筋を伸ばした。「朝一で契約書を修正して、明石先生に褒められたんだから。あなたは本当に仕事が速いわね。しかも、正確。まさに、失敗しない女ねって」
「でも、さっきから、ため息ばかり。十回はしてましたよ」
「数えてたの? なに、それ、マジ、引くんですけど」
「引くのはこっちですよ。近くでため息ばかりつかれていたら、こっちまでざわついてきますよ。なにか、あったんですか? 悩み事なら聞きますよ。こう見えて、僕、カウンセラーの資格もっているんですよ。教師時代は、スクールカウンセラーもしていたんですから」
「だから、別に悩んでいるわけじゃなくて――」
「じゃ、なんです?」
「どちらかといえば、後悔」
「後悔って、なにかしでかしたんですか?」
「うん、まあ、大したことじゃないんだけど......」
 それから莉々子は、昨夜のことを簡単に説明した。
「つまり、お母さんが料理しているところを動画に撮って、例のクラウドソーシングに応募したんですか?」
「そう」
「なんで、また?」
「だって、黒幕・・の存在が気になるからよ」
「まさか、潜入調査?」
「そんな大袈裟なことじゃないけど」
「やめたほうがいいですって。うちらは探偵ではないんですから。なにか変な事件とかに巻き込まれたらどうするんですか? そしたら、この事務所にも迷惑をかけますよ?」
「だから、後悔しているんでしょ!」
「っていうか、なんで、そんなことを?」
「深夜にハイテンションになることない? で、変なことをSNSに投稿したり」
「まあ、ありますけど。僕も昔、深夜にどうしても恋の告白をしたくなって、ラブレターを書いたことがありますよ。......あれは、出さなくて本当によかった」
「そう、それ。まさに深夜のラブレター症候群」
「取り消すことはできないんですか?」
「もう、応募しちゃったもん。先方に届いてるだろうから、もう無理」
「あちゃ......」
「でも、一応、偽名を使ったし、フリーメールで送ったから、最悪、ばっくれる」
「偽名で送ったんですか?」
「偽名っていっても、うちの母親の名前だけど」
「なんか、いやな予感がするな......」
「でも、大丈夫よ、大丈夫。たぶん、採用されないだろうから」
 そんな莉々子の強がりも、三十分後には挫かれた。なにげに、スマートフォンを確認したときだ。
「ね、藤村君......」
 十二時五分過ぎ。ランチ休憩に行こうと席を立った藤村を、莉々子は小声で呼び止めた。
「ちょっと、相談にのってくれない?」
「え? 今ですか? でも」
「おごるからさ。今日のランチ、おごるから」

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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