波乱万丈な頼子第十一回

三章

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鎌倉市X町二丁目湘南マリーナコーポ二〇一号室で見つかった遺体は、久能頼子さん(73)であることがわかった。現在、部屋の住人との関係を調べている。

 そのニュースは、その二時間後には早速、ウェブサイトにあがった。
 午後六時五分。本来は職場をあとにする時間だが、莉々子は足止めをくらっていた。
 明石先生から、残業をお願いされたのだ。
「ごめんなさいね。急に、残業させちゃって」
「いえいえ。私もこの件、気になっていますので。っていうか、すでに片足突っ込んじゃってますので」
 そう、このまま帰宅しても、結局は頼子のことが気になってあれこれと調べまくるのだろう。だったら、ちゃんと報酬がもらえる"残業"という形のほうがありがたい。
 それにしても、あの部屋で亡くなっていたのが、本当に頼子だったなんて。実在する人だったなんて。
 藤村の推測のほうが正しかったなんて。
 その藤村は、もういない。今日は予備校で模擬試験があるとかで、四時には早退した。
「でも、ご遺体の身元、どうしてわかったんですか?」
 莉々子が訊くと、
「歯の治療痕でわかったみたい。なんでも、事件現場近くの歯医者に通っていたみたいで、だから特定も速かったのよ」
「なるほど。......じゃ、頼子さんは、鎌倉に住んでらっしゃったんですか?」
「それが、歯医者のデータによると、住所は大阪みたいなのよ」
「大阪の人なんですか?」
「今、その住所を警察があたっているんだけどね」
「なんで、大阪の人が、鎌倉のアパートで死んでいたんでしょう? そもそも、あのアパートの住人は四十代の男性だと聞きました」
「そう、それが今回の問題点。住人はいまだ行方知れずで、頼子さんとの関係もわからない。依頼者の大家さんとしては、問題山積みなのよ」
「店子がいなくなったからといって、家財道具を処分したり、賃貸契約を一方的に解約したりすることはできませんもんね」
「そう。賃貸契約は三ヵ月の家賃滞納が発生した時点で、契約は取り消すことはできるんだけど、家財道具は処分できない。しかも、当該部屋は事故物件になってしまった。大家さんとしては、大損害。こうなったら、とれるところから少しでもとりたいというのが、大家さんのご希望なの」
「大家さんの気持ち、わかります。......あ、保証会社は?」
「ところが、保証会社は通してないの。保証人を立てているからって」
「じゃ、その保証人は?」
「その保証人も、行方知れず」
「え......」
「ね、ややこしい事件でしょう? 正直、私もどこから手をつけていいかわからないのよ」
「あ」
「なに? どうしたの?」
「もしかして、あの部屋の実質の住人は、亡くなった久能頼子さんなんじゃないでしょうか?」
「どういうこと?」
「大家さん、言ってました。あのアパートは高齢者には貸さないって。孤独死が怖いからって。つまり、七十三歳の頼子さんは門前払いなんです。だから、他の誰かに代わりに借りてもらって、自分が住んでいたんでは?」
「名義貸しってことか。......可能性はあるかもね」
「頼子さんって、動画をやっているじゃないですか」
「うん、わたしも見た」
「結構、人気動画で。その動画は、あの部屋で撮影されているようなんです。実は、私、それを確認しようと、あのアパートに行ったんです」
「え? どういうこと?」
「まあ、話せば長くなるんですが。簡単にいえば、個人的な好奇心です。人気YouTuberが実在するのかどうか気になって。......お恥ずかしい話ですが」
「なにも恥ずかしがることないわ。この商売、好奇心は重要なアイテムよ。......いずれにせよ、久能頼子って人が、なにか鍵を握っていそうね。......いったい何者なのか、それを探ってみるのもいいかもしれない」
「あ、そういえば。藤村君から聞いたんですけど、頼子さんから、うちのホームページに相談メールが送られていたって」
「え? そうなの?」
「はい。なんでも、終活に関する相談らしくて」
「いやだ、そんなの、わたし、聞いてないわよ。藤村君は? 藤村君、いる?」
「今日は、模試があるから早退しました」
「あー、そうだっけ」
「あ、でも、共有フォルダーの中にたぶん、メールが保存されていると思います。探してみましょうか?」

   +

 はじめてメールをいたします。パソコンにもメールにも慣れていませんので、不躾な点も多々あるかと思いますが、どうかご容赦ください。
 私は、久能頼子、七十三歳です。一人暮らしです。天涯孤独です。今風に言えば「おひとりさま」です。
 今、私が一番心配しているのは、私が死んだらどうなるのか?ということです。看取る者はおりませんし、私の遺骨を引き取ってくれる人もいません。この場合、私の骨はどうなるのでしょうか?
 いえ、それ以前に、仮に私が病気して手術だ入院だとなった場合、身元保証人はどうすればいいんでしょうか。以前、こんな話を聞きました。身元保証人がいなかったばかりに入院も手術も断られて、路上で亡くなった人の話です。その人はまさに私と同年代の方で、とても他人事とは思えませんでした。
 また、現在借りているアパートの心配もあります。仮に、私が孤独死した場合、その後始末は誰がするんだろう? 大家さんに迷惑がかからないか。
 そんなことを考えていると、夜も眠れなくなります。
 最近、つくづく思うのです。
 人間、生まれるより、死ぬ方が難しい......って。
 最近は、エンディングノートというものが流行っていると聞きます。私も書いてみようかと、書店でそれっぽいものを購入してみたのですが。なんだかややこしくて、二ページ目で挫折してしまいました。
 だって、私とは関係のない項目がずらずらと並んでいて、なんだか辟易してしまったんです。私が購入したノートは、どうやら、私のような天涯孤独な老人を対象にしたものではなかったようです。子供がいて、パートナーがいて、親族がいて。そういった、標準的な人をターゲットにしているようでした。
 でも、思うんです。このご時世、そんな標準的な人がどれだけいるのかって。
 標準的といえば、国民的漫画の『サザエさん』ですが、あれが本当に標準的な家族なんでしょうか。私にはファンタジーにしか思えません。あんな家族、今の日本で、どれだけいるというのでしょうか。
 そんなことを、小さい頃から思っていました。ちなみに、私が物心ついた頃にはすでに『サザエさん』は朝日新聞で連載しており、私も楽しみに読んでいました。
 一日遅れではありましたが。
 というのも、うちは大変貧乏な家庭で、新聞など取る余裕はなかったのです。だから、うちにあったのは、母親がどこかから拾ってきた一日遅れの新聞でした。
 うちにあるものは、ほとんどが拾いもの。服はもちろん、身の回りの日用品も。
 ご飯だって、誰かが捨てた残飯でした。
 私が生まれたのは昭和二十五年、日本が最も貧しかった時代です。みんな貧乏だったので、当時は自分が貧乏だという意識はありませんでした。むしろ、新聞を取っていて新品の服を着て、三食自炊できるような家庭のほうが、少数派だったのです。少なくとも、私が生まれ育った村ではそうでした。そんな村で生まれた女の子の唯一の夢が、新聞を取っているような家、そう、サザエさん一家のような、サラリーマン家庭に奉公に上がることでした。
 サラリーマン。今と昔とではずいぶんとその言葉の意味も響きも違ってきましたが、当時、サラリーマンといえば、女性の憧れでした。サラリーマンと結婚して家庭を持つ。それが、女性が思い描く夢でした。今風にいえば、年収二千万円の高収入エリートと結婚してタワーマンションで暮らす......という感じでしょうか。
 でも、今も昔も、そんな幸運に巡り会う人は一握りです。村の娘には、とうてい届かない幸運。だから、村の娘は、サラリーマンの家庭に奉公に上がることで、その幸運のお裾分けをなんとかいただこうとしました。
 私には、三人の姉がいました。それぞれ村を出て、サラリーマン家庭の女中になりました。......女中というのは今は放送禁止用語らしいですね。お手伝いさんといえばいいでしょうか。それとも、家政婦のほうが耳馴染みがいいでしょうか。
 いずれにしても、サラリーマン家庭のお手伝いさんになった姉三人は、お正月のたびに、垢抜けて帰ってくるのです。そして、垢抜けたお土産をたくさんもってくるのです。
 それが、本当に羨ましかった。本当に本当に、羨ましかった。
 特に、二番目の姉は私をとても可愛がってくれて、帰省するたびに、可愛らしい服を私にってもってくるのです。それは、奉公先の娘さんのお古でしたが、私が普段着ているゴミのような古着とはまったく異なり、まるで新品のように美しく、そしておしゃれなものでした。
 ああ、どれほど私がお正月を待ち望んでいたことか!
 今度のお正月には、どんなお土産をもってくるだろう? どんな服をもってくるだろう? そう考えただけで、胸がはちきれんばかりでした。

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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