波乱万丈な頼子第三十八回
十章
38
『ごめんなさい、こんな早くに』
電話の相手は、湘南マリーナコーポの大家さんの奥さん......中曽根光子だった。そういえば、自分のスマートフォンから奥さんに電話をしたことがある。その履歴を辿って、電話をしてきたらしい。
「中曽根さんの奥さん? どうしたんですか?」
『ニュースを見たの。......もしかして、殺害された高幡静子さんって、あなたのお母様? 苗字が同じだし、お顔もどことなく似ているし。もしかしてって思って』
ママの顔写真、もうニュースで取り上げられているんだ。いったい、どこから入手したのか。
「......はい。殺害されたのはうちの母です」
『なんて言ったらいいか。......ああ、もう本当に、なんて言ったらいいか』
「もしかして、あなたは、私の母をご存じなんですか?」
『もうこうなったら、すべて話します。今日、そちらの事務所に伺っていいでしょうか? 事務所は何時からですか?』
「一応、十時からですが......」
+
午前十時。事務所が開くとともに、中曽根光子が飛び込んできた。
結局、莉々子も付き合う形で、事務所に顔を出す羽目になった。藤村からは休めと言われていたのに。でも、こういうときは、仕事をしていたほうが気が紛れる。それに、中曽根さんの様子が気になっていた。すべてを話すって言っていたけど、どういうことなんだろう?
「私、自首したほうがいいでしょうか?」
案内された会議室のテーブルにつくなり、中曽根さんはいきなりそんなことを言った。
同じテーブルについた明石先生が、暴れ馬を宥(なだ)めるように、
「まあ、落ち着いてください。とりあえず、コーヒーを召し上がれ」
中曽根さんは、言われた通りにコーヒーカップに口をつけたが、すぐにカップを元の位置に戻すと、
「やっぱり、自首したほうがいいんですよね?」
「なんで、自首する必要があるんですか?」明石先生が、今度はチョコレートを勧めた。が、中曽根さんは目もくれず、
「だって、私、嘘をついてお金を取っていたんですから! これって、詐欺行為ですよね?」
「どういうことですか?」
「『波乱万丈な頼子』っていう動画、ご存じでしょうか?」
「ええ、まあ」
明石先生の視線が莉々子に飛んだ。
「あの動画の制作に、私もいっちょ噛みしていたんです!」
やっぱり! 莉々子は、椅子から腰を浮かせた。やっぱり、あのアパートで、あの動画は撮影されていたんだ!
「はじめは、部屋をスタジオとして貸してほしいって言われて。家賃の二倍を出すからって言われて。そしたら、今度はモデルになってくれないかって」
モデル? もしかして、初代頼子って、この人だったの?
「顔は出さない。料理をしているところを撮るだけだって。まあ、私も若い頃は女優のような真似をしていたから、ちょっと面白いかも?って思って、協力してしまったんです。シナリオ作りにも協力しました。私自身の昔の経験なんかを織り交ぜて」
「え? あの波乱万丈な内容は、あなたのことだったんですか?」
莉々子が訊くと、
「全部じゃないですよ。ところどころね。知り合いの経験なんかもブレンドして、フィクションとノンフィクションを塩梅よく絡めていって。......楽しかった。再生数がどんどん伸びていって、ほんとに快感だった。顔は出してないけれど、私の姿と私が作ったシナリオに惹かれて、こんなに人が集まるんだ、こんなにお金が集まるんだって思ったら、天にも上るような気分だった。でも、バイクに轢き逃げされて腕を骨折して、うまく料理が作れなくなったんですよ。そしたら、スタッフの一人だったこーちゃんが、私と背格好が似ている女性を連れてきてね」
こーちゃんとは、柏木光太郎のことだろう。そして、連れてこられた女性というのは、二代目頼子。秩父の山林で遺体で発見された大塚頼子に違いない。
「でも、その女性もすぐにやめちゃって――」
「ご存じないんですか? その女性は、亡くなっているんですよ」
莉々子が言うと、中曽根さんの顔が紙のように真っ白になった。
「え。......本当ですか?」
「たぶん、間違いないと思います」
「じゃ、三人の"頼子"が亡くなったということですか?」
「そうです。あのアパートの二〇一号室で遺体で発見された三代目頼子、そして、私の母親で四代目の頼子、どちらも殺害されています。二代目頼子も殺害されている可能性が高いと思います」
「ちょっと待ってください」
言葉を挟んできたのは、藤村だった。
「初代から三人目までは、あのアパートの一室で撮影していたんですよね?」
「そうです」中曽根さんが、か細い声で答えた。「二○一号室と二○二号室をスタジオとして使用していました」
「でも、四人目の頼子は、ネットで動画を募集して、それを採用しただけですね? それはどうして?」
「.........」
「もしかして、あのアパートで撮影できない理由が?」
「.........」
中曽根さんの顔が、ますます白くなる。
「三代目の頼子が、二○一号室で死んでいたからではないですか?」
「!」
「三代目頼子の遺体が発見されたのは、うちの高幡が湘南マリーナコーポをはじめて訪れた二月四日のことです。でも、本当は、もっと前にあの部屋で遺体を発見していたのでは?」
「.........」
「だから、あの部屋を即席のゴミ屋敷に偽装したのでは?」
「ああああああ」
中曽根さんが、机につっぷした。そして、「やっぱり、自首します!」
「もしかして、あなたが、三代目頼子さんを?」
明石先生が尋ねると、
「違います!」
と、中曽根さんが勢いをつけて頭を上げた。
「確かに、二月四日より前にあの部屋で遺体を発見しました。発見したのは、こーちゃんです。こーちゃんが言うんです。とりあえず、死体を隠そうって。で、私、ゴミをあちこちからかき集めてきたんです」
「なぜ、隠す必要が?」
明石先生が鋭い視線で質問すると、中曽根光子は子供のようにわなわなと体を震わせた。
「わかりません! わからなかったけど、こーちゃんがそう言うから、私、従ったほうがいいと思って......!」
「それで、死体を発見したのは、いつ?」
「二月二日です」
「そのとき、遺体はどんな感じでした? 風船のように膨らんでいたとか、異臭がしたとか」
「いえ、それはありませんでした。はじめは、ただ、寝ているだけなのかしら?と」
「なるほど。その時点では、亡くなってからそれほど時間が経っていなかったということですね。ということは、こーちゃんという人は、死亡推定時刻を誤魔化すために、ゴミ屋敷に偽装しようと計画したのかもしれない」
「どういうことです?」
「生ゴミなんかが含まれたゴミと一緒に死体を放置しておけば、腐敗が本来より早く進みますからね」
「はい。おっしゃる通り、ひどい異臭がすると他の部屋の住人から苦情が来て、それで仕方なく、死体を発見せざるを得なかったんです。それが、二月四日のことです。......あれから二日しか経っていなかったのに、遺体はかなり腐敗が進んでいました」
「第一報では――」藤村が、タブレット片手に、言葉を挟んだ。「死後二週間以上は経っているとあります」
「でも、実際は、死亡してから一週間も経っていなかった」明石先生が、再び、鋭い視線を射る。中曽根光子は震える唇を指で押さえながら、
「......やはり、これも罪になるんでしょうね」
「ですね」
言いながら、明石先生がコーヒーを啜(すす)った。続けて、「それにしても、そのこーちゃんという人は――」
「柏木光太郎という人物で、スマイル企画の社員のようです」
打ちひしがれている中曽根光子に代わって、莉々子が答えた。
「その人物は、なぜ、遺体の死亡推定時刻を誤魔化す必要があったのかしら。というか、その人物は、今どこに?」
「亡くなりました」
「えええ!」かなり驚いたのか、明石先生がコーヒーカップを落としそうになる。すんでのところでカップを両手で支えると、「どういうこと?」
「昨日のことです。しかも、発見されたのは、二○一号室のゴミの中からです」
「だから、どういうこと?」
「......もしかして、連続殺人ではないでしょうか」中曽根光子が、地を這うような声で言った。「二代目頼子も三代目頼子も、そして四代目頼子も誰かに殺害された。そして、頼子の動画を企画したスマイル企画のこーちゃんまでもが。......残りは、私です。なにしろ私は初代頼子で、シナリオにも参加していたんですから!」
そして中曽根光子は、コーヒーカップを掴み取ると、その中身を一気に飲み干した。
「だから、私、自首します! これは、自己防衛のためです。警察だったら、さすがの連続殺人犯だって手が出せないでしょう?」
「確かに、そうですけど――」明石先生が困惑した表情で言葉を濁した。
「それで、お願いがあるんです。どうか、私の弁護人になってください!」
「うーん」はじめは難色を示していた明石先生だったが、「うん」と覚悟を決めたかのように小さくテーブルを叩いた。
「わかりました。お引き受けしましょう。ただし、今日はいったん、お帰りいただけますか? 自首するかどうかは、また改めて。こちらで色々と作戦を練りますので」
「いやです! 今すぐに警察に行きます! だって、連続殺人犯に狙われているかもしれないんですよ? 家で待ち伏せされているかもしれないじゃないですか!」
「まだ、会議室に籠城しているの?」
裁判所から戻ってきた明石先生が、呆れたように肩をすくめた。
午後三時を過ぎていた。しかし、中曽根光子は会議室から出ようとしない。近くの洋食屋から出前をとって昼食は済ませたが、この調子では夕食も出前で済ませるつもりだろう。
「まさか、ここに泊まるつもりじゃないでしょうね?」
「やっぱり、中曽根さんのご希望通り、自首させたほうが?」
莉々子がそんなことを提案していたときだった。スマートフォンが鳴った。
電話の末尾は0110。警察からだ。
電話に出ると、例の女性警官からだった。
『あなたのお母様を殺害した容疑者が、逮捕されました。つきましては、容疑者とお母様の関係についてお尋ねしたいことがありますので、署まで来ていただけますか?』
電話が終わっても放心状態で立ちすくむ莉々子。
「どうしたの? 電話、誰から?」
明石先生が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「中曽根さんは、もう安心です」莉々子は、大根役者が棒読みするように言った。
「うん? どういうこと?」
「犯人が捕まりましたから。......だから、中曽根さんが殺される心配はもうなくなりました。というわけですので、もう、帰ってもらいましょう」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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