波乱万丈な頼子第三十七回
十章
37
『凸者さん、今日はどんなご相談で?』
「『波乱万丈な頼子』の件です」
『あー、はいはい。先日、取り上げたシニア動画ね』
「あれは、偽物でした」
『はい? どういうこと?』
「晒されたS N Sのプロフィールを頼りに、彼女の家に行ってみたんです」
『凸者さん、ダメだよ、そんなことしちゃ!』
「でも、偽物でした! 頼子じゃありませんでした!」
『うん? だから、どういうこと?』
「本物の頼子の住所を教えてください。知っているんでしょう?」
『知りませんよ! 知っていたとしても、教えるわけないじゃないですか』
「どうしても知りたいんです」
『知って、どうするの?』
「それは――」
+
高幡莉々子は、タブレットを引き寄せた。タブレットには、二時間ほど前に生配信されたという動画の切り抜きが表示されている。
ここは警察署の一室。
先ほど、母の遺体を確認したばかりだ。その動揺がおさまらないうちに、こんな動画を見せられても。
「どうですか? この声に心当たりありますか?」
私服警官の一人が、ぶっきらぼうに訊いてきた。明石先生と同じぐらいの年齢の女性だ。先ほど名刺をもらったが、巡査部長とあった。この年齢で巡査部長ということは、ノンキャリアなのだろう。の割には、どことなく高飛車だ。
答えずにいると、
「この動画はいったい、なんなんですか?」
と、藤村が代わりに答えてくれた。
母親が殺害されたという連絡を受け、莉々子は崩れるように藤村に抱きついてしまった。藤村は、「よしよし」と莉々子の背中をポンポンと叩くと「僕も一緒に行きますから」と、そのまま莉々子を東海道線に乗せ、警察署まで同行してくれた。
時刻は、午前一時になろうとしていた。
「この動画はいったい?」
藤村の問いに、
「これは、チャンネル登録数五百万を超すトップYouTuberの動画で、いわゆる暴露系といわれる生配信です。凸者......警察用語で言うところのタレコミをライブで配信して、有名人のスキャンダルやYouTuber界のトラブルを赤裸々にしていくというのがコンセプトです」
「ええ、もちろん、それは知っています。知りたいのは、どうしてこれを僕たちに?」
「この動画は、今から約二時間前に配信されたのですが、ご覧になった通り、『波乱万丈な頼子』の件で、ある凸者から相談が寄せられています。『波乱万丈な頼子』、もちろん、ご存じですよね?」
莉々子は、小さく頷いた。
「あなたのお母様は、『波乱万丈な頼子』の一人だったんですよね?」
「違います!」莉々子は、勢いをつけてパイプ椅子から立ち上がった。が、すぐによろよろと椅子に戻ると、「......違うんです。母はなにも知らなかったんです。私が勝手に母の姿を動画に撮って、それで――」
「それで?」
「動画をスマイル企画に送ったんです」
「スマイル企画?」
「スマイル企画というのは――」どう説明していいのかわからず、口篭っていると、
「っていうか、なんで勝手にそんなことを?」と、女性警官がイライラとした様子で次の質問を繰り出した。
「わかりません! 自分でもなんでそんなことをしたのかよくわからないんです。強いていえば、好奇心というか......」
「なるほど。まあ、好奇心は、犯罪動機の上位にランキングされますからね。犯罪の大半は、"衝動"か"好奇心"によって引き起こされるものです」
女性警官が、どこか小馬鹿にするように言った。続けて、タブレットに指先を滑らせると、
「ここのところ、もう一度見ていただけます?」
「晒されたSNSのプロフィールを頼りに、彼女の家に行ってみたんです」
『凸者さん、ダメだよ、そんなことしちゃ!』
「でも、偽物でした! 頼子じゃありませんでした!」
そして、一時停止ボタンを押すと、
「この件(くだり)から推測するに、凸者があなたの家に行き、そしてお母様を殺害した可能性がとても高いんです。犯行後、暴露系チャンネルに生電話をしたと私たちは考えています」
「確かに、そうですね」藤村が冷静に反応した。「でも、なんで、凸者は偽物だと思ったんでしょうか?」
「どういうことですか?」
「『波乱万丈な頼子』は、顔出ししていません。だから、偽物かどうかは視聴者にはわからないはずなんです。もっといえば、頼子はどうやら、四人いるんです。高幡さんのお母さんは四人目の頼子です。だから、本来は"偽物"ではないんです。この凸者は、なにをもって"偽物"と判断したのか」
「なるほど......」女性警官がやおら腕を組む。続けて、「は? 頼子って人は、四人もいたの?」
「はい。僕たちもちょうど、その件について調査していたところでした」
「調査? っていうか、あなたたち、何者?」
藤村が名刺を差し出すと、
「あら、あなたたち、パラリーガルなんですか」
警官の口調が、少しだけ丁寧になった。
「いずれにしても。この凸者の声に心当たりありませんか?」
警官の繰り返しの問いに、莉々子は、微かに首を横に振った。
それから莉々子は新橋駅近くのビジネスホテルに宿をとった。空気が抜けたビニール人形のように項垂(うなだ)れる莉々子をここまで運んできたのは、やはり藤村だった。
「もう午前三時ですが、チェックアウトの十時まで寝れば、七時間近く睡眠がとれます。とにかく、ゆっくり休んでください」
「......仕事は?」
「もちろん、休むんですよ。事務所には僕のほうから言っておきますので」
「......なんか、いろいろとごめんね。そして、ありがとう」
「今度、また、あの洋食屋でナポリタンをおごってください」
「うん」
「じゃ、僕は行きますんで」
藤村に頭をポンポンと叩かれて、莉々子の緊張が少しだけ解けた。すると、急激に睡魔がやってきた。催眠術を掛けられた被験者のように、莉々子はそのままベッドに体を沈めた。
しかし、その二時間後、莉々子は目を覚ました。
体の感覚が、変だ。
まるで、深夜の海に放り出されて、イカダで漂っているかのよう。
そうか。私、ひとりぼっちなんだ。
父親もいない、親戚もいない、正真正銘、自分は天涯孤独になってしまった。
窓の外、東京タワーがきらめいている。それはまるで、あの世からの誘惑のようにも見える。
ママ。待っていて。私も行くから。すぐに行くから。
そして、莉々子は窓をゆっくりと開けた。
「ダメですよ」誰かが、莉々子の腰にしがみつく。
藤村君?
「ふじむらくん......」
自分の声に起こされる形で、莉々子は夢から生還した。
窓は閉まっている。そして、もちろん、藤村はいない。
「夢だったか」
それにしても、なんで、夢の中にまで藤村が?
もしかして、私、藤村君のことを――。
そんな、まさか。
頭によぎった言葉を打ち消すように、莉々子はベッドから上半身を剥がした。
あれ? いやだ、私、外出着のまま、寝てしまったの?
道理で、なにか寝心地がゴワゴワしていた。しかも、うっすら汗もかいている。
そういえば、お風呂に入っていない。
莉々子は、ギシギシと軋む体を引き摺りながら、浴室に向かった。
熱いシャワーを浴びたらちょっとだけ体が軽くなった気がした。思考もだんだん鮮明になっていく。すると今度は猛烈な空腹がやってきた。
見ると、センターテーブルの上、コンビニのレジ袋が置いてある。開けると、シャケのおにぎりとツナマヨネーズのおにぎり、そしてチーズケーキが入っていた。どれも、大好物だ。メモもある。
『落ち着いたら、食べてください。藤村』
なにか温かく甘い痺れが全身を駆け巡る。
莉々子は、火照る体をそのままに、まずはシャケのおにぎりを手にした。
と、そのときだった。
スマートフォンに着信音。
「え? 誰?」
画面には、電話番号しか表示されていない。つまり、電話帳に登録されていない人物からだ。
時計を見てみると、午前八時。
「え? まじで、誰?」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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